八ヶ岳キリスト教会 牧師ファミリーのブログ

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信仰DAY'S

2015年01月23日 02時09分10秒 | 日記

SAKです。

主は良き神である。 

なので、 
「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。ヨブ記1:21」 
そして、 
「あなたの一生を良いもので満たされる。詩編103:5」 
のである。 

だから、ヨブ記1章21節を自分はこう読んでいる。 
【主は良きものを与え、不要なもの(罪や罪の種)をとられる。】と。 

自分の試練については、ヨブのそれと比べものにならないが、ヨブは主により練り鍛えられた。 
そして、神に会えた。 
自分もそうなりたい。 
なので、この世的な豊かさを10年かけて取り去られた主に感謝である。 
そして、信仰が与えられ、受洗することが出来た。 

今は主なしでは生きてゆけない。 
神様からの一方的な恵み・愛により、必要なものは全て与えられ、生かされている。 
このような喜びがあろうか。 

世的なものへの未練が残っている自分を情けなく思うが、神を知る前の「己頼み」の不安定な自分には戻りたくない。 

あの頃に比べれば経済的にも社会的にも弱者であるが、感謝である。 

だって、パウロだってはこうおっしゃっている。 

「 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。 
ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。第2コリント12:9−10」 

主の恵みは弱さのうちに完全に現れる! 
なんと素晴らしいことか! 

こうして主の恵みを日々感じている。 
感謝な事である。 


SAK 2015/01/23