ハレルヤ。主の御名をほめたたえます。
昨日の礼拝は素晴らしい礼拝だった。主、イエス様が礼拝の中におられ、愛と慰めに
満ちていた。私は涙が溢れて止まらず、賛美の時も祈りの時も涙、涙でした。集った
すべての人が喜びに満たされ輝いていた。礼拝をささげる事は最高であり、全ての
全てであることを強く思った。
私は四万十市の貧しい家庭に育ち3女であり、いつも姉たちの後ろにかくれて、もじ
もじしている様な子供であった。自分で自分の人生をどのように生きるか全く考えな
いで高3も終わりとなった時、無口で無干渉な父が私を怒鳴り飛ばしたのだ。「お前は
自分の人生をどう生きるのか自分で決めろ!」と。無口の人が怒るとひどく怖いものだ。
私はその父の一喝ですぐに行動した。そして四万十市から横浜へ行った。看護学校に
入ると隣の席の友達がクリスチャンだった。そして、私は教会へ行き,クリスチャン
となった。今,思い起こせば全ての中に神の計らいがあったと思う。
<人の道は主の目の前にあり、主はその道筋のすべてに心を配っておられる。>
箴言5:21
2013.5.20 トマトでした。