高尾山麓日誌

東京、高尾山麓付近に暮らす日常から、高尾山の状況や、高尾山・八王子周辺地域で気付いたこと、周辺鉄道情報などを掲載

1956→1957年旧性能国電移動動向

2016-05-22 00:11:52 | 旧型国電
仙鉄局(仙台電車区)
国鉄形の転入による社型の淘汰が進行しました。また社型電動車は電装解除が行われ制御車として活用さました。

高鉄局(高崎第二機関区)
80系の増備による列車の電車化が進行しました。

千鉄局(津田沼電車区)
大きな変化はありませんでした。

東鉄局
常磐線(松戸区)では、三鷹から転入した山スカを再び返却し、その後釜を主にモハ72と区は16で埋めています。

京浜東北線は、おそらく更新修繕等に伴う多少の車両の入れ替えはありましたが大きな変化はありませんでした。

山手線では、池袋で徐々に車両の20m化が進行、品川区は若干の配置増とおそらく更新修繕に伴う多少の車両の入れ替えが行われました。

中野区は72系の新製車輌投入による17m車の淘汰と72系の旧車輌の放出が進行、三鷹区は初の新性能車モハ90(のちの101系)の投入ならびにモハ71等の松戸区からの復帰、そして他区捻出車による72系の増備が進みました。

田町区では80系、70系の新製投入が行われる一方、42系やモハ30の他区放出が進みました。また伊東支区ではモハ42を放出した分、田町本区から捻出したモハ43でその穴を埋めました。

矢向や弁天橋区はおそらく更新修繕に伴うと思われる車両の入れ替えがありました。

静鉄局
身延線
モハ14が7輌転入していますが、そのうち3輌(001, 009, 010)は低屋根化されずに残った車両でした。おそらくこの年静岡ローカルのモハ14による電車運転(~1963まで)が始まったのだと思います。多分静岡ローカルには低屋根車、通常車が混ざって運用されていたのでしょう。またクハ16の転入も静岡ローカル対策と思われます。ともあれ差し引き11輌の配置増となっています。

飯田線
豊橋区は、モハ14を富士区に取られた分、主として20m車の転入で補っています。また元鳳来寺鉄道のモハ1700がドサ回りから戻っていますが、これは豊川分工場の牽引車代用として使われたようです。

モハ14は全般に複雑な動きをしていますが、更新修繕や低屋根化改造で取られたものを他区からの転入車で補うというような車両交換が行われていたものと思われます。また伊那松島区の社型の淘汰は20m車の転入で補われていますが、その余波で中部天竜区には20m車がいなくなってしまいました。

名鉄局(大垣区)
80系による列車の電車化が進行しています。主として新製による配置増となっています。
金鉄局(富山区)
社型転用による若干の配置増が図られています。

大鉄・天鉄局

東海道・山陽本線
宮原区の80系集中化が進むと共に通勤形の他区への転出が図られています。

阪和線
主として2扉車の飯田線等への転出が図られる一方、不足分を70系の新製配置で補っています。

岡鉄局(府中電車区)
社型の富山港線への放出が図られると共に、国鉄型化が進行しました。

広鉄局
宇部線の快速列車運転のため、伊東支区のモハ42が転入する一方、同じ両運のモハ12が可部線に転出し、社型の淘汰に使われました。