高尾山麓日誌

東京、高尾山麓付近に暮らす日常から、高尾山の状況や、高尾山・八王子周辺地域で気付いたこと、周辺鉄道情報などを掲載

台湾に行ってきました

2016-05-12 22:16:02 | 旅行
 ゴールデンウィーク中、家内がどこか海外へ行きたいというので、台湾へ。飛行機&ホテル付で一部自由行動の日のあるパッケージツアーで行きました。
 今回是非行ってみたかったのは九份と金瓜石。侯孝賢の映画のロケ地として有名な場所です1)。最近の人だと宮崎駿が『千と千尋の神隠し』の建物のイメージのヒントになった場所として有名らしいですが...
 パッケージツアーのオプションで九份に行くものもあったのですが、九份滞在はたった一時間、しかも金瓜石はスルーなので、自由行動日一日当てて自力で行くことにしました。
 台北およびその近郊では悠遊カード (Easy Card) という交通カードが普及しているようで、捷運 (地下鉄&新交通システム)、バス、一部台鉄 (台湾の国鉄) も乗れるようです。それを使いました。捷運は運賃20%割引、また捷運とバスを乗り継ぐとNT$8割引になるらしいです。またSuica同様、コンビニなど一部の物販、飲食店でも利用可能です。運賃で使い切れなければ、コンビニでものを買って使い切ることもできます。因みにデポジット料はNT$100です。




 九份まで自力で行くには例えばこのサイトなどが役に立ちます。なお台北から九份までNT$102、金瓜石までNT$115でした。

▼途中トイレ休憩のため立ち寄った瑞芳近郊の基隆客運車庫。思いっきりフロントをぶつけた事故車2台。


▼お祭りの行列?と思いきや葬式の行列でした。(九份)

 『地球の歩き方』には台北からは瑞芳まで台鉄で行って、そこから基隆客運のバスに乗り継ぐとありましたが、台北からの直通バスもあり、大体20分ごとの出発とかなり本数は多いです。侯孝賢の映画のイメージだとかなり山がちなのんびりした田舎というイメージなので、予想外にバスの本数は多いな、と思いましたが、実際に行ってみたら九份はめちゃめちゃ観光客が多く、道幅の狭い一部の名所路地が大量の観光客でひしめき合っています。



 たしかに、侯孝賢の映画で有名になったとは言え、どちらかと言えばアート系映画、決して大衆映画ではありません。もちろん町の雰囲気は悪くないのですが、率直に言ってここまで激混みになるほどの場所なのか、という気がします。京都あたりの方が余程見所が多いような気がしますが... とはいえバスの本数の多さも納得の観光客の多さです。


地図はこちら

 金瓜石は(実は九份も含めてそうなのですが)、山の上に広がる元々金鉱山街。日本植民地時代に最初に開発され、1970年代まで台湾金属によって採掘されていましたが、その後閉山し寂れた街です。ただ海に近いので海と山が同時に見られ、景色はよいです。そこの黄金博物館では、金鉱山時代の施設が一部そのまま保存されています。日本統治時代の日本家屋などもかなり神経を使って熱心に保存しているのですが、残念なことに九份とは異なり日本人観光客はとても少なく、韓国人観光客ばかりです。韓国人観光客は団体ツアーでどんどん押し寄せるのですが、どうも日系の旅行社で金瓜石をツアーに入れているところはないらしくそれが日本人観光客の少なさの原因のようです。金瓜石と九份は歩いても30分足らずの距離なのですが... ちなみに日本人観光客のいる九份でも、韓国人観光客はおそらく日本人の3-4倍程度の人出でした。
 中国からの観光客もいるのかもしれませんが、地元の観光客なのか大陸からの観光客なのかは区別がつかず...

▼新北市立黄金博物館内の旧日本人幹部住宅。日本式長屋。戦後は台湾金属幹部住宅として使われた。



▼金瓜石神社跡。黄金博物館の敷地内にあり。鳥居や一部石造りの基礎などが残されている。ここから金瓜石の街が一望できる。


▼黄金博物館、旧本坑5番坑跡。50台湾元で中を見学できる。なお黄金博物館は基本的に無料で、体験学習や坑内見学を行う場合のみ入場料や体験料が必要となる。



▼日本式の旧事務所。現在も博物館内の業務用建物として使われている。


 天候の変わりやすさ、雰囲気は映画に映っていたそのままで、非常に良かったです。






▼金瓜石の共同墓地。沖縄の亀甲墓と共通のものを感じさせる。なお今日九份附近の山並みにはお墓が目立つが、『恋々風塵』台湾盤Blu-rayの付加映像を見ると、撮影当時(1984年)こんなにたくさんお墓はなく、緑豊かな山並みだったようだ。




 九份の夜景を見てからバスで台北に戻りましたが、帰りのバス停 (九份老街 [旧道]) が長蛇の列。これでは乗れるまでだいぶ待たされると、九份老街バス停の1つ先の基隆山登山口 (基隆山脚)バス停まで歩いて (といっても歩いても6-7分程度ですが) バスを待ちました。バスに乗って九份老街 (旧道) バス停に来ると、案の定、乗客が乗り切れません。多分大人しく待っていると2-3台ぐらい待たなければならないぐらいの長蛇の列です。台北行きのバスは高速道路を通るせいか座席を超える乗客は乗せないので、多客時は要注意です。
 やはり、Google Mapを事前に印刷して持っておくこととだいぶ違います。バス停の位置も乗っていますし、便利な時代になったものです。
 なお、ブログなどで九份老街で降りて、基山路をぶらぶらして九份派出所バス停からバスに乗って帰るのが定番と書いてある場合もありますが、おそらく週末の夕方などは九份派出所バス停からバスはほぼ絶対乗れないと思います。上りになりますが逆コースを取るか、または九份老街バス停までもどり、そこでも乗客が長蛇の列だったら、上で述べたように一つ起点寄りの基隆山登山口まで歩きましょう。なおわざわざバスに乗って起点の金瓜石まで行く必要まではないと思います。



 因みに同じ基隆山登山口で乗ってきた韓国人男性の二人組、乗車時に運転手が「台北?」と行き先を確認するのですが (というのは台北、瑞芳、基隆行きのバスがあるので。特に基隆行きは瑞芳を経由しませんので要注意です)、その時に彼らが「九份」と言って、運転手に「OK」に言われて乗り込んだものの、走りだしてものの2分ほどで、停車し運転手に「九份」と言われて、「なんだよ、歩いて行きゃよかった」と言いながら下車していきました。まあ、運転手も外国語ができる訳ではないし、Noと言う訳にも行かない訳ですからしかたないのですが。と言う訳でやはり事前情報収集が重要ですね。

1) おそらく九份が有名になった最初のきっかけは侯孝賢監督の映画『恋々風塵』(1984年)だと思われます。この映画は脚本家呉念眞の自伝的作品で、九份は彼の出身地であり、彼自身九份の鉱夫の息子でした。但し映画では九份と平渓線 (これも今や観光路線として有名になっていますが) の駅のある十分が、主人公の出身地のロケ地として使われています。
 その後同じ監督の『悲情城市』がやはり九份をロケ地として使用し、ベネチア国際映画祭で金獅子賞を取るなどして有名になったものと思われます。
 なお呉念眞自身は、学校への通学にはおそらく宜蘭線の瑞芳駅まで歩いて列車に乗り、基隆まで通ったのではないでしょうか?因みに瑞芳駅までは、九份の下の方の七番坑まで2km、九份の中心街までも3-4km程度の距離です。



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