若僧ひとりごと

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自立死

2017-10-04 21:57:49 | 日記
矢部武さんの本を読んだ。タイトルは『ひとりで死んでも孤独じゃない: 「自立死」先進国アメリカ 』(新潮新書)だ。

この本は自立を重んじるアメリカにおいて高齢者がどのように自らの老後を営んでいるのか、そして社会から孤立することなくどうやって死を迎えていくのかについて書かれている。
アメリカの価値観で面白いのは、家族はそれぞれが自立した人間だ、ということだ。アメリカはパートナー文化で二人で一つという価値観があるという記事をどこかで見たが、子供についてはむしろ親から離れて暮らすように教育する。それが自立という価値観に結びついている。子供は自立するので、必ずしも親の面倒をみる必要がない。本書の中にも度々登場するが、一緒に暮らしていると嫌になる時があるという。これは真実なのだろう。上野千鶴子が『おひとりさまの最期』の中で言及しているのが、高齢者の中で幸せそうなのは一人暮らしの人であって、子供世帯と同居しているような人は不満を漏らすような傾向にあるそうだ。アメリカでは一方で別居している子供世帯と会うことは日本以上に頻繁だという。お互いが自立した存在であって、その中で関わっていくというのがそれぞれの安定して安心した暮らしに必要なのだろう。

この本の最後の方で印象的な箇所がある。それはサンフランシスコでソーシャルワーカーをしているという女性の言葉だ。
「(日本は)スーパーやデパートなどで店員がなんどもお辞儀したりして、すごく親切なことだ」
「その一方、道で人とすれ違っても目をあわせなかったり、電車の中で足を踏んでも何も言わなかったりする。このギャップはなんだろうと思います。仕事の制服や帽子をとると、なぜあんなに無表情でアンフレンドリーになってしまうのか。日本へ行ったことのある外国人はよく、日本人はとてもフレンドリーでいろいろと助けてもらったという話をする。でも日本人同士ではそうならない。何も欧米人のように振る舞う必要はないが、知らない人に対してもっと気軽に話をしてもいいのではないでしょうか」p164

役割がある人間はそれに期待する行為をするが、役割の取れたオフの状態では、日本人は何も役割が課せられていないと感じ、このような傾向に繋がっているのだろう。以前は地域住民という役割があったのだろうが、今はそれが役割として認識されることは希薄なのだろう。

著者が他に紹介しているものとして興味深いのは、どれだけのコミュニティに所属しているか、と言うものだ。
OECDの調査で、教育、文化、人権、スポーツ、ボランティアなどの社交団体のうち、平均して幾つの団体に所属しているのか、という調査でアメリカは3.3団体、それに対して日本は0.8団体だったそうだ。
もちろんこのコミュニティという概念が日本でどう捕らえられているかは難しい。習い事はしているが、その集団がコミュニティかはわからない。ボランティアには行っているがコミュニティかと言われると断言できない、といったケースもあるだろう。
しかしここで考えなくてはならないのが、自分が所属するコミュニティが仕事しかない、もしくは家族しかないと考える人が多いということだ。
自分自身もそうだが、地域の何かしらの集会に集まるようなことをしていないと自分が所属している仕事のコミュニティからは定年になり、いつかは抜け出さなくてはならいない。
家族もまたどちらかが先立つ可能性、離婚の可能性、また子の巣立ちなど、決して固定的なコミュニティではない。むしろ流動的なものだとも言える。離婚については昨今ますます増えてきているようだから、家庭が頑健なコミュニティとして成り立つのはこれから一層難しくなるだろう。

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