若僧ひとりごと

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夢をかなえるゾウ

2019-04-30 16:35:49 | 読書感想・書評
『夢をかなえるゾウ』を読んだ。
あちらこちらで宣伝されている本で興味を持っていたのだが、いちいち買うのもためらっていた。ちょうど旅行中に読む本が無くなってkindleの読み放題の中で面白そうなものを探していたところ、この本を見つけたので読むことにした。
著者の水野敬也は1976年、愛知県生まれ。愛知の名門東海中学・高校を卒業して、出身大学は慶應義塾だ。この人の本は初めて読んだつもりだったが、『人生はニャンとかなる!』の著者でもあったらしい。というわけで2冊目となる。そして『温厚な上司の怒らせ方』にも関わっているらしい。意外なところでお世話になっていた。

この本の流れについて簡単に書いておく。なおネタバレもあるのでご注意。

「自分を変えたい」と悩む主人公は突如現れたガネーシャ(像の姿をしたインドの神)から様々なお題を出されていく。なかなかに無茶振りが多いお題を主人公は渋々ながらこなしていく。靴を磨いたり、他の人のことを褒めたり、手伝ったり…。いつもは変われていなかったのに、今回は変われているという実感も得ていき、充実した日々を送り始める。けれどガネーシャから衝撃の事実を聞かされる。実はこのガネーシャが主人公にやれと言っていたことは、その多くがすでに主人公が持っている本の中に書いてあることだった。ガネーシャはこのままでは変われない、と伝え、最後のお題を出すことになる。


この本の中では成功する上では他人のために何かをすることが大切であると繰り返し強調される。気に入ったのはここだ。

「成功したいんやったら絶対誰かの助けもらわんと無理やねん。そのこと分かってたら、人のええところ見つけてホメるなんちゅうのは、もう、なんや、大事とかそういうレベル通り越して、呼吸や。呼吸レベルでやれや!」

成功するために人をホメるということはこの手の本をあまり読まない人間にとっては意外なものなのかもしれない。人間は本来利他的な動物だとも言われる。自分が孤独感を感じている時などは自分が何かをされるよりもむしろ自分が何かをする方が良いということを聞いたことがある。

こんな話もある。ある高齢の女性が施設に入り、手取り足取り身の回りの世話をしてもらうことになった。彼女はその都度「ありがとう」と伝えていた。けれど元気がなくなっていったそうだ。そして彼女は理由を尋ねられると、「私はありがとうといってもらえるようなことをしたい」と答えたそうだ。


話を元に戻す。

もっとも、成功するために人のことをホメる、というのは違和感がある。人のことをホメるということも自分の成功が頭の中にちらついていたらうまくいかないだろう。成功につながるような「ホメ」は、成功というノイズを捨てて相手のことをホメなくては成立しない。おそらくそうした矛盾した構造を持っているのは確かだ。


そもそも成功するとはどういうことなのだろうか。経済的に裕福であること、社会的に良い地位につくこと、良い配偶者と結ばれること、子宝に恵まれること、様々なものが「成功」として語られる。ある人にとっての成功は他の人にとっての成功ではなくなるかもしれない。



話がラストに向かうと課題の質が変わる。自分が本当にやりたいこと、やりたかったことをするというのが課題になるのだ。
ガネーシャはこんな励ましの言葉もかける。

「自分には何か才能がある、自分にしかできない仕事がある、そのことに関してはあきらめたらあかん。見つかるまでそれを探し続けなあかん。自分自身に対してはあきらめたらあかん」

自分のやりたいことを見つけたり、やるべきことを見つけることなのだろう。やりたいことはいくらでも見つかる。けれどやるべきことというのを見つけるのは難しいのかもしれない。けれどそれを見つけていくこと、見つかる可能性を諦めてはいけない。

最終盤に至ってはこんなことも言う。
「成功だけが人生やないし、理想の自分あきらめるのも人生やない。ぎょうさん笑うて、バカみたいに泣いて、死ぬほど幸福な日も、笑えるくらい不幸な日も、世界を閉じたくなるようなつらい日も、涙が出るような美しい景色も、全部全部、自分らが味わえるために、この世界創ったんやからな」

ここに至ってはもはや成功は絶対の価値を持っていない。成功することだけが人生ではない。けれども自分の理想を追うことを諦めてはいけない。ここでは問題が「成功」から「生きがい」に変わっているということができるのではないか。経済的な成功や社会的地位や世間的認知度などが成功の尺度として捉えられがちだが、そこを目指しても仕方がない。実際にその尺度で振り切れるところまで行ける人間はごくごく少数だろう。けれど、そこを目指すプロセスの中には誰もが入れる。

少し文脈を無視するが、この文章の「自分らが味わ」うというところもとても大事だと思う。僕らは理想の自分を他の人のサクセスストーリーで埋めてしまいがちになる。学校教育、偏差値至上主義の教育などへの反発が結局は他の価値観に擦り寄ることになってしまうことがあるのだ。他人のレールから他人のレールに飛び移っただけ、と表現することもできるだろう。
自己啓発本やネットニュースが発達している現在ではなおさらこの傾向は強まっているのかもしれない。けれど自分の理想は自分の中に求めなくてはいけない。自分の悔しさ、もどかしさ、後悔、こうであったら良いのにという葛藤などのネガティブな感情にこそ自分らしさのヒントがある。それを単純に覆い隠してはいけない。

今の世の中では「生きがい」が問題になっている。生きがいを失った社会というのは何かしらの形で均質化してしまったのだろう。このような世の中だからこそ、自分が本当に好きなことを見つけていかなくてはならない。
ただ、そうした理想の自分を追い求めることは難しい。理想がはっきり分かっていれば苦労はしない。やりたかったことがあった人はまだ良いが、それすらもわからない人にとってはこの本は救いになっていない。そうした人はまず自分の理想は何かという問いに対してもがかなくてはならないのだろう。それも含めて人生なのだろうが、充実した生というのは難しいものだと改めて考えさせられた。