やなえのつぶやき~気になるものあれこれ~

♪2011年8月出産、慣れない育児勉強中♪
気になったもの、おいしかったもの、やなえの日常をつぶやきます☆

【岡山】後楽園散策①@旅先の思ひ出

2008-09-29 | 旅先の思ひ出
桃太郎さんを拝んでから、バスに乗り、
後楽園」へ
・・・ちなみに後楽園って遊園地じゃないです
あたしゃてっきり遊園地かと思いましたが(笑)
日本三名園のうちの一つです。
ちなみに、
茨城水戸の「偕楽園」石川金沢の「兼六園」そして岡山の「後楽園」が日本三名園です。

後楽園着。
入園料350円
もともと情報で「無料のボランティアガイドさん」がいるというのを調べていたので、
入り口の看板どころで待っていると、
ガイドさんがきてくれました。おばさま
特に時間に制限がなかったので、その旨を伝えると「1時間コースで園内全体をまわりましょうか」とアドバイス。お願いしました。

・・・なめくさってました(笑)後楽園ものすごい広いです。
ちなみに東京ドームの3.5倍だとか!!
ま、後々の悲劇に繋がっていくわけですが・・・(笑)

えぇ、ちなみに後楽園について…
江戸時代に岡山藩主・池田綱政によって造られた「大名庭園」で、
日本三名園の一つ。
14年の歳月をかけ1700年に一応の完成を見た「林泉回遊式庭園」で、
日本で唯一、築庭当時の姿をほぼ残すと言われる。(おかやま観光案内より)
ってことで、
岡山藩主の池田綱政さんがつくった岡山城に隣接するお庭です。
参勤交代とか、江戸の時代背景が重なって、
当初はお城のみだったこの土地に、お庭が後から作られたそうです。
※江戸に行っていたときは江戸屋敷が決められていたので、
各々の個性を出すのがお庭だったそうな。
他の藩主の江戸屋敷の庭を見ていた藩主が、岡山城に戻ったときに、
とても寂しく思ってお庭をつくった。それが「後楽園」らしい。(ガイドさん談)

園内散策開始

ボランティアの方に連れられてまず行ったのが
鶴舎(タンチョウ)

HPにある説明
 昭和31年、岡山の旧制第六高等学校に学んだことのある中国科学院の郭沫若(かくまつじゃく)氏から、戦後途絶えたままであったタンチョウ2羽が贈られました。
 その後、釧路市の協力もあり多くが生まれ育ち、その美しい姿が園内によみがえりました。現在では8羽飼育しています。

ツルの名前が書いてあるのがこの看板。

超見えにくいけどツルらをとりました(笑)

で、コレがここの鶴に関して詠まれた歌だそうな。

〈読み下し文〉
後楽の園はなほあれど
烏城尋ぬ可からず
願はくは丹頂の鶴をもって
作対して梅林に立たしめん
〈意 訳〉
留学時代が懐かしい後楽園も、
戦争で城を失った今の眺めは寂しい限り。
せめて鶴を立たせて後楽園の良き伴侶としたい

※郭沫若氏が、タンチョウのいなくなった後楽園を寂しく思い詠んだ歌です。

ちなみに
正月、元旦には2羽が園内に放されるみたいです。
公式HPのタンチョウについてはコチラ


つづきまして~
馬場・弓場
後楽園は、藩主の楽しみの場としてだけでなく、文武両道を怠らぬよう武芸の稽古場も設けられています。(HPより)

コレが馬場。




観騎亭



おばちゃんがちょっと写ってます。
暑い中ご説明ありがとうございました

観騎亭・観射亭などは、藩主が家臣の馬術・弓術を上覧した所です。
看板なり。




道脇には花が
この花は珍しいのかと思いきや、
結構いろんなところに生えているそうで、
そういわれてみると、関東に戻ってきてから、
至る所で目にします(笑)意識するとしないの違い。大きいのね~


これは園内にある大きな岩。
有名なのかと思いきや、あまりHPにはのっていない(笑)
ガイドさんが「一畳岩」とか言ってた気がする



つづいて参りましたのが、
延養亭
ここは一番の見所

延養亭(えんようてい)
藩主の居間で、園内で最も重要な建物でしたが、戦災で焼失し、
昭和三十五年に当時第一級の木材と技術で築庭当時の間取りに復元されました。
園内外の景勝が一望できるように作られており、歴代藩主もここから眺めました。
現在もこの景観の保全につとめています。(HPより)

藩主の池田さんが、
ここにいつもいて、景色を楽しんだそうです。

「完成後は藩主の静養や賓客の接待、藩校の儒学者の講義場として使われた」(参照
ともあるので、接待として景色を楽しむだけじゃなく
勉学の場としても使われたんですね。
やっぱり勉強するにはいい環境に限るんだウンウン。




キレイな建物です。




この日は本当に天気が良かったので
(台風一過ね
青空に公園内の風景がとても映えていました
いい日にいけてよかった


さてさて・・・

後楽園散策はまだまだ続きます・・・(笑)






最新の画像もっと見る

コメントを投稿