延岡というまちをアーカイブ化していくには。

延岡というまちについての記憶を考えていく。

文化の行く末。

2014-10-01 03:32:07 | まちづくり
一見「オシャレ」にみえる文化が結局はパッケージングされたものであった時の残念さというのがあります。

都会で作成された機能をそのまま一般化して地方にも移出するというのはこれまで郊外型のショッピングセンターや、様々なロードサイド店がやってきた手法です。批判されつつ、「それでもいいや色んな店が入っているし」、という事で色んな所で妥協された小東京が再生産されてきました。

例えば図書館や博物館という文化の領域は一見それとは違うものに見えます。けど実際は本来市民自らが獲得していくべき知識や文化そのものが、おきまりの"コンビニエンス"な"カルチュア"として定食化されてしまっています。これでは文化そのものも小東京と化してしまいます。

多様性が失われた先にあるのは、生物の進化が指し示す様にその弱さです。同じものは、一つが生きていけなくなった際に全てがダメになる。変化した環境に適応出来ないからです。

延岡の場合、それが駅にありました。かつて乗降客が多かった駅と、その周辺の中心市街地。商業地としては役割を終えつつあるこの空間を、言ってみれば公民館的な市民の活動拠点、「新たな公共空間」にしていこうというこの考え方そのものはとてもいい。市民参加型として、色んな人が色んな活動を数年間行ってきました。活動をまとめていくべき商店街も市民団体も問題点が多いのは確かです。このままでは頓挫してしまう状況にはあったでしょう。

しかしながら、それが最終的にはお定まりの企業が、お定まりの方法を持って取り仕切る方向になりそうです。賛否両論も含め話題の自治体に向かい、どうして伊万里市や小布施町を目指さないのか、飯田市のように生涯学習の中から地域の課題を見出し、それを解決していくという自立した市民を生み出す方向性に向かわないのか。そんな事は、一研究者としてこれまでの参与観察を踏まえて、考えていく必要性があると思っております。