延岡というまちをアーカイブ化していくには。

延岡というまちについての記憶を考えていく。

まちづくりと学生 ~市民と協働する中心市街地での活動~。

2012-09-07 06:43:12 | まちづくり
1:延岡のまちと九州保健福祉大学
延岡市は九州の中央部に近く、宮崎県の最北部にある。面積は隣接する大分県佐伯市についで、九州で2番目に大きい。戦国期は豊後の有馬氏と薩摩の島津氏との間で地元城主が入れ替わる。江戸時代になって、は度々大名の国替えがあるが、近世城下町として発達した。

近代初期は旧藩主であった内藤家が周辺の鉱山開発を手がけ、これによって学校や橋梁等数々のインフラを整備していった。

大正期に熊本県にある日本窒素(現在のチッソ)が太平洋側に工場を求め、旧延岡町に隣接していた周辺2村がそれぞれ誘致した事で、大きく2群の工場が設立された。これが後に旭化成の発祥となった。特にこの工場群とともに、市街地が形成された。
九州保健福祉大学は平成11(1999)年に開学した。これは延岡市の誘致によるもので、市が用地・設置費用等を部分的に提供し、学校法人が運営する公私協力方式によって運営されている。

大学開学当初は周辺に学生の居住環境が整備されておらず、まちなかに暮す学生が多かった。また商店街等も若年層が市街地に増加する事への期待があった。ところが学生が思ったようにまちなかへお金を落とさず大規模商業施設へ流れてしまったり、徐々に大学周辺に居住環境が整備されていった事から、まちなかへ行く機会が減少してしまった。

この結果、まちなかと大学・学生との関係性が希薄化したり、市民の大学に対する誤解が生じてしまう結果となった。

さらに最も気になったのは、学生が自分の通っている大学のあるまちを卒業しても全然知らなかったり、延岡で蓄積されてきた文化や社会を語れないという状況があった。


2:学生のまちなかへの回帰をどう促すか?
学生がまちなかへ回帰するにはどうしたらいいのか。この事を考えた場合、全国的に問題となっている中心市街地の疲弊、すなわち商店街のシャッター通り化や高齢化の進行にどう対処するのかという問題に向き合う事になる。要するに地域社会の重要な課題である「まちづくり」に、学生が関与していくという点である。当初はゼミ活動としてスタートし、まちなか調査を開始した。

高齢化が進行した現代社会において、医療費を削減するという課題は重要である。これに対処するために介護予防として回想法という手段を援用してみた。この活動は良好な結果を得たが、この頃から自治体との関係が出来、延岡駅周辺のまちづくりに関係する事となった。回想法活動も中心市街地商店街の空き店舗で実施するようになった。

回想法活動は、空き店舗を活用したまちなかギャラリー的なコミュニティースペース活動にもつながった。

※後にこの際高齢者から得た情報をベースにして、iPhoneアプリ「ブラリ、ノベオカ」を開発した。


3:高齢者と子供をつなげる
自治体商業観光部局から、さらに商店街との関係性が構築されていく中で、特に伝統的な祭りや商業振興・活性化を目的とした様々なイベントに関与していく事となった。恒常的なまちづくり活動への参加は学生には難しいが、決まった時期のある特定期間開催される祭りやイベントへの参加は比較的関与しやすい。ただし重要なのは、客体的に参加するのではなく、どちらかと言うと企画立案から準備・後片付けのような裏方的な活動へ参加しなければ意味がないという点である。しかしながら、これら活動を運営する商店街振興組合と学生との活動時間や方針がマッチングしない事も多く、商店街側も学生との協働を理解していなかった点もあり、結果的にお互いの負担が大きくなってしまうケースもあった。これらの理解のために自治体をも含めて調整し、対話を重ねていく事で双方の役割の理解、合意形成をはかっていった。

活動を重ねていく間、延岡駅周辺整備計画が浮上し、市民参加型の「駅まち」づくりの方向性へ向かうようになる。中心市街地を商店街だけのものとするべきではく、広く様々な活動を行っている市民が参加するべきだという考え方が強くなってくる。
こうした活動を展開している中で、学生達から子供向けの企画をやってみたいという意見が生じてくる。様々な活動の中で、中心市街地の将来の後継者たる子供の姿があまり見えない事に対する不安感から出てきた意見である。

そこで、空き店舗での写真展と同時に花火会を企画した。「大会」としないのは、大型の打ち上げ花火ではなく、手持ちの花火を中心とした小さな試みであるからだった。開催場所の確保に苦労したが、商店街の駐車場での開催にこぎつけた。この企画は好評で、参加者保護者から「まちなかは子供を遊ばせる所がなく、花火などとても出来ないのでこういった企画をもっとやってほしい」という意見が多かった。

子供達-若年層がまちなかへ来るようになるきっかけとして考え付いたのが、宮崎県北部山間部集落にのこる、伝統的技術の継承を行う高齢者の役割であった。役割を持ってもらう事は、高齢者が健康的な生活をすごし、介護予防にもつながってくる。
そして若年層がまちなかへ来るきっかけとして考えたプログラムが、高齢者が子供達に昔の遊びを教えるというものだった。この活動は商店街の七夕祭りに開催した。初年度は子供達には好評であったが、世代の異なった二つの層をつなぐという役割が、学生達にはなかなか大変であった。翌年(本年)はこうした点を踏まえた結果、世代間交流を促進する活動を果たす事が出来た。

現在、学生達はまちなかでの活動を評価され、一定の役割を期待されるようになってきている。

#平成24年9月6日、第40回九州地区学生指導研究集会 至メリージュ延岡 にて講演。