東大野球部の優勝を応援する会

東京大学硬式野球部の優勝を願い応援するファンのブログ

「私の記憶に残る東大野球部の名選手たち」

2021-04-22 13:41:46 | 日記

私が東大野球部ファンになったのは、1969(昭和44)年頃だから、かれこれ50年以上。

とはいえ、途中、仕事や病気で1988(昭和63)年頃から2015(平成27)年頃までの30年間近くは、全く生観戦していない。

新聞やテレビなどで気にかけてはいたが、この間の選手などは、よく分からない。従って実質のファン歴は20年強位か。

どうしても記憶に残るのはエースピッチャー。敬称は略させていただくが、私が見始めた頃のエースは、前にも書いたが湘南高校出身の門松武。右の下手投げで通算4勝を挙げている。

法政の田淵、山本浩二、明治の星野仙一らが卒業した後に活躍した。大学院生をしながら助監督をしていたが、その後、国土交通省の局長にまでなった。

彼以外にも、江川に投げ勝った、元三井造船ホールディングス副社長でヤクルト戦で始球式をやった、リーグ戦3勝の山本隆樹。

山本の1年上で3勝の現在、美術史家の早川、山本の同期で4勝の御手洗元監督。

現在、関西外語大監督をしている8勝、2連続完封の西山。

西山の同期で投打二刀流で投手で3勝、4年生時、レフトで強肩巧打で、春秋3割を打ち、通算打率.284の中沢。

ちなみに私は、東大の野手では、この中沢文哉を好走守優れた最高の選手だと思っている。

余談だが、この学年で東大のマネジャーを務めていたのが今の連合会長・神津里季生。

又、この学年の東京6大学には、法政に「昭和の怪物」江川卓を始め、袴田(ロッテ)、植松(阪神)、島本弟(巨人)、社会人野球に行った金光、楠原らがいて、早稲田には山倉(巨人)、1学年下の明治には鹿取(巨人)など錚々たるメンバーがいた中での好成績だけに評価に値する。

その後、あわや優勝かと思わせた赤門旋風時の10勝を挙げた大山、同期で2勝の国友、1勝の水原、2年下で3勝挙げた大小田。

その1年下が、8勝を挙げた、現在NHKの大越。大越は、リーグ戦もだが新人戦決勝戦の早稲田戦を0対1で敗れ初優勝を逃した試合を、神宮が使えず早稲田にあった安倍球場で見た。

東大は、新人戦も優勝経験が無いが、この時は、惜しかった。

大越の1年下が都立勢として甲子園初出場した都立国立のエース出身で7勝した市川武。大越、市川武の2人で通算15勝。今では、ちょっと考えられない。

はっきり覚えているのは、この辺りまでで、この後のプロ入りした小林至、遠藤、松家は、遠藤をテレビか何かで見た記憶があるだけ。

その後、宮台の活躍まで生観戦から遠ざかってしまった。従って40連敗位は見たことがあるかもしれないが、94連敗も、70連敗も、ありがたいことに知ってはいたが観てはいない。

私にとっても現在の59連敗継続中は初めてである。



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