ゲーフラ職人の青赤徒然観戦記

東京の事を中心にいろいろ突き刺してます(笑)
ついでにマンガも描いてます(笑)

元青赤のあの人は今~初観戦の思い出~

2024-07-29 22:15:00 | 日記
今でこそ、年間40試合以上は
現地観戦をしているワタシですが、
初めて観戦したのは2002年と、
意外と浅かったりします。

サッカー観戦も初めてでしたが、
そのきっかけは
東京にもJリーグのクラブができていたこと。
そして・・・
「家から近かったから」(流川楓理論)

そんなわけで、2002年3月2日。
シーズン開幕戦を観戦に
東京スタジアムに行きました。
相手は前年度王者の鹿島。
確か中田浩二が出場停止だったんです。

試合開始、
そして目の前に飛び込んできた光景は・・・
後半10分までで東京が4点先行!
ヒロミ初采配のこの試合、
きっとベンチで何度も
ピョンピョンしてたんだろうなあ(笑)
※ちなみに大して詳しくもなかったので
ヒロミのことも「元浦和の人」くらいの認識しかありませんでした(笑)


そんな初観戦の試合で、
オープニングゴールをはじめとして
2点を上げた選手がいました。
その選手が今回取り上げる選手。それは・・・
小林成光!


成光は1997年に東京ガスに社員選手として入社。
その後、まさにこの年2002年から
プロ契約に移行したのでした。
つまり、プロ契約からのプレー時間
10分ほどでゴールを決めたと(笑)

ヒロミのもとで左ウイングに抜擢され、
前述の開幕戦では鹿島を相手に
2得点2アシストの大活躍。
というか全得点に絡んでるじゃん(笑)
翌日のスポーツ紙には
「日韓W杯の秘密兵器」
という見出しで一面を飾るなどしました。
次の試合でも決勝点を決め、
これは「本当に代表あるんじゃね?」
という期待を膨らませた
その矢先に悲劇が襲います。それは・・・

バイク事故。

2002年4月15日、
練習場に向かう為にオートバイを運転中に
突風でバランスを崩し転倒し、
右大腿部骨幹部を骨折。

その時の公式のリリースはこちら

以後、東京に在籍している間、
実に4回の手術を行なうも、
トップフォームに戻ることはなく、
2005年限りで東京を退団。

その後は2006年に鳥栖、
2007~2008年は故郷の栃木でプレーをし現役引退。
そして、2009年に成光は東京に戻ってきます。
スクールコーチから2012~2013年はU-15深川コーチ、
2014~2015年はU-18コーチ、
そしてアドバンスクラスの担当を経て
作新学院大学の監督に就任。
ちなみに作新学院大学には
U-18時代の教え子でもある、レオが進学し
芳賀日陽も進学しました。

その作新学院大学は一昨年の天皇杯で
ウーヴァを差し置いて栃木県代表に。
こちらの記事に小林成光監督の名前が出てきます。

天皇杯は初戦敗退も手応えの作新学院大学。
その照準は関東2部昇格へ。


ただ、一昨年をもって監督を退任。
その後はどこにいるのか・・・?

やっぱり初めて観たときの
インパクトがあまりに強すぎて、
OBを含めた東京の選手の中でも
最も思い入れがある選手の一人です。

東京にハマるきっかけを
与えてくれたようなものですからね。


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