談志落語、もう一度 東京・銀座の山野楽器本店で追悼コーナー(産経新聞) - goo ニュース
もうなくなったことに関するニュースのリンクは山ほどで尽くしていると思うし、
とりあえずCDが欲しいのでリンク記事はこっちにした。
俺の訃報はタイトルを談志が死んだにしてほしいって、仰っていたらしい。
格好つけすぎだよね。これをダンディズムというのか。
落語好きです。
うんと若い頃、寄席にも連れて行ってもらっていた。
談志師匠、寄席で聞いたことがあり、しかもしっかり解かる年齢だったから
間違いなく80年代初頭ですねえ。
勿論30年前、小娘が出入りできる雰囲気の場所ではなかったですが。
暗所、閉所に弱い私は、映画館があまりすきぢゃなかった(今も)ので
寄席、よかったんですよ居心地。
五代目円楽師匠はホールでしか聞いたことがない。亡くなった時に、残念の思ったことの1つでした。
家で商売していたせいか、元々はラジオから聴くものでした。
だから音としての馴染みのよしあしが私にとっては一番。
談志師匠の師匠である先代の小さん師匠は、枕とか、あと、ラジオのゲストとか
深いいはなしいっぱいでよく覚えてるのですけど、肝心な落語で好きだったって言うのがない。
記憶にないんですよね。
それに対して、談志。
落語以外の事やってるときのキャラクター、作りこみすぎにみえてで大嫌いでした。
だけど、落語は、聴きたい。
誰が出演(や:談志師匠の書き物には出演ったと書いてやったと読むのが殆どです)るのとも違う味を感じて、なんだか好きでしたねえ。
ちょっとリズムよく動いていたいときなんか、作ってもらったテープを
ラジオの替りにつけてるの、楽しかったですよ。
んー。声のせいかな?
この件でぐぐっていたら、南光さんが昔、談志さんに
落語だけをやっていろと、金の問題だったら食わしてやるから、
落語以外の事はやるなといったというのが出てきて、趣深かったですねぇ。
円楽師匠は演目によるんですねえ。
私には円楽さんが女性の声色やっているのが今一好きになれなくて。
実は声だけで言うと全く違うのに、当代円楽のおっかさんの声もなんかダメ。
なんででしょう。
…で、ここまで書いてきて、突然話が飛ぶんだけど。
私は、ものを書くのは好きだけど、自分の感じたことを具体的に書き分ける力が
ないんだなあと、好きなものは好き、だけではダメなのに。
という風に25年位前に思ったことがあって。
そのきっかけが談志師匠の落語なんですよ。
談志がテレビでコメンテーターみたいなこと言っていて、ほんと嫌いで。
なのに、落語は好きなんですよ。
聴きたいときがあるんですよね。うん。
それを、自分で自分自身に(まあ、非公開の日記ですね)詳細に説明が出来ず、
めちゃくちゃ苛立ったことがあって。
死にたくなるくらい、ヒリヒリしてましたねえ。文章を書きたいのに力がない自分に。
懐かしい思い出というか、今も力のなさは変わっていないわけだが。
談志はフィレステーキ。いいときに堪能したい感じで、
それに対してまあ小腹の空いた時にも体調の悪いときにも、
聴いたら癒されるのが歌丸の落語。
音楽と同じで、こんな使い分けがあって良いよね。
談志師匠に合掌。
そしてあちこちでコメントだしまくっている歌丸師匠、長生きしてください。
もうなくなったことに関するニュースのリンクは山ほどで尽くしていると思うし、
とりあえずCDが欲しいのでリンク記事はこっちにした。
俺の訃報はタイトルを談志が死んだにしてほしいって、仰っていたらしい。
格好つけすぎだよね。これをダンディズムというのか。
落語好きです。
うんと若い頃、寄席にも連れて行ってもらっていた。
談志師匠、寄席で聞いたことがあり、しかもしっかり解かる年齢だったから
間違いなく80年代初頭ですねえ。
勿論30年前、小娘が出入りできる雰囲気の場所ではなかったですが。
暗所、閉所に弱い私は、映画館があまりすきぢゃなかった(今も)ので
寄席、よかったんですよ居心地。
五代目円楽師匠はホールでしか聞いたことがない。亡くなった時に、残念の思ったことの1つでした。
家で商売していたせいか、元々はラジオから聴くものでした。
だから音としての馴染みのよしあしが私にとっては一番。
談志師匠の師匠である先代の小さん師匠は、枕とか、あと、ラジオのゲストとか
深いいはなしいっぱいでよく覚えてるのですけど、肝心な落語で好きだったって言うのがない。
記憶にないんですよね。
それに対して、談志。
落語以外の事やってるときのキャラクター、作りこみすぎにみえてで大嫌いでした。
だけど、落語は、聴きたい。
誰が出演(や:談志師匠の書き物には出演ったと書いてやったと読むのが殆どです)るのとも違う味を感じて、なんだか好きでしたねえ。
ちょっとリズムよく動いていたいときなんか、作ってもらったテープを
ラジオの替りにつけてるの、楽しかったですよ。
んー。声のせいかな?
この件でぐぐっていたら、南光さんが昔、談志さんに
落語だけをやっていろと、金の問題だったら食わしてやるから、
落語以外の事はやるなといったというのが出てきて、趣深かったですねぇ。
円楽師匠は演目によるんですねえ。
私には円楽さんが女性の声色やっているのが今一好きになれなくて。
実は声だけで言うと全く違うのに、当代円楽のおっかさんの声もなんかダメ。
なんででしょう。
…で、ここまで書いてきて、突然話が飛ぶんだけど。
私は、ものを書くのは好きだけど、自分の感じたことを具体的に書き分ける力が
ないんだなあと、好きなものは好き、だけではダメなのに。
という風に25年位前に思ったことがあって。
そのきっかけが談志師匠の落語なんですよ。
談志がテレビでコメンテーターみたいなこと言っていて、ほんと嫌いで。
なのに、落語は好きなんですよ。
聴きたいときがあるんですよね。うん。
それを、自分で自分自身に(まあ、非公開の日記ですね)詳細に説明が出来ず、
めちゃくちゃ苛立ったことがあって。
死にたくなるくらい、ヒリヒリしてましたねえ。文章を書きたいのに力がない自分に。
懐かしい思い出というか、今も力のなさは変わっていないわけだが。
談志はフィレステーキ。いいときに堪能したい感じで、
それに対してまあ小腹の空いた時にも体調の悪いときにも、
聴いたら癒されるのが歌丸の落語。
音楽と同じで、こんな使い分けがあって良いよね。
談志師匠に合掌。
そしてあちこちでコメントだしまくっている歌丸師匠、長生きしてください。