[2007年11月19日] 京都シネマ
本当のお母さんに会いたくて、孤児院を抜け出し苦難の末、実現したという話ならよくある話である。
問題はその背景である。
一方で、子供を欲しくても授かれない裕福な先進国の夫婦。他方で、子供を育てるだけの余裕のない貧困、やむにやまれぬ事情。その間で暗躍するブローカー。
「題名のない子守唄」は母側からみた、同じ問題を扱っている。国内の格差、貧困も深刻だが、地球規模の格差、貧困は想像を絶する悲劇を生んでいる。
運良く裕福で優しい家庭の養子に納まったらまだしも、子供が「部品」として売買されているとしたら、いたたまれない。
それでも、ワーニャは豊かで優しそうなイタリア人夫婦の家庭でなく、実の母を選ぶ。
最後のシーンで、ワーニャの微笑む顔はあったが、母の姿は映らなかった。
いかなる事情であれ、子供を手放すのは許されがたいが、それ以上過酷な現実のもと、親の姿を公衆にさらしのはつらすぎるだろうという、監督の意図を感じた。
「この道は母へとつづく」-公式サイト
本当のお母さんに会いたくて、孤児院を抜け出し苦難の末、実現したという話ならよくある話である。
問題はその背景である。
一方で、子供を欲しくても授かれない裕福な先進国の夫婦。他方で、子供を育てるだけの余裕のない貧困、やむにやまれぬ事情。その間で暗躍するブローカー。
「題名のない子守唄」は母側からみた、同じ問題を扱っている。国内の格差、貧困も深刻だが、地球規模の格差、貧困は想像を絶する悲劇を生んでいる。
運良く裕福で優しい家庭の養子に納まったらまだしも、子供が「部品」として売買されているとしたら、いたたまれない。
それでも、ワーニャは豊かで優しそうなイタリア人夫婦の家庭でなく、実の母を選ぶ。
最後のシーンで、ワーニャの微笑む顔はあったが、母の姿は映らなかった。
いかなる事情であれ、子供を手放すのは許されがたいが、それ以上過酷な現実のもと、親の姿を公衆にさらしのはつらすぎるだろうという、監督の意図を感じた。
「この道は母へとつづく」-公式サイト