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最近上映されて良かった映画、以前見て心に残った映画、感銘をうけた本の自分流感想を。たまには旅行・山行記や愚痴も。

『2人のローマ教皇』-前教皇ベネディクト16世と現ローマ教皇フランシスコとの交代劇の背後にある、人と人との味わい深い会話と交感の物語

2019-12-25 00:44:59 | 最近見た映画

   【 2019年12月19日 】   京都シネマ

 上映開始時間ぎりぎりに駆け込み、観に行った。思いのほかの感動作で、無理をして見に行った価値があったと、終映後の暗い会場の中で思わずガッツポーズをした。

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 フランシスコ現ローマ教皇が日本を訪れて、核廃絶を訴えたのは記憶に新しい。全世界で13億人、日本国内で44万人ほどと言われいるローマカトリック教会のTOPに立つ人だから、その人の発言の影響力は計り知れない。映画はそのフランシスコ教皇(映画の中では、まだベルゴリオ枢機卿)が、保守派と言われていた前教皇ベネディクト16世から教皇位を引き渡られるまでの過程を描いている。ベネディクト16世はドイツ生まれで、カソリックの伝統様式を重んじ、避妊、人工妊娠中絶、同性愛などの問題に関しては反対の立場で知られ、もう一方のベルゴリオ枢機卿はアルゼンチンの中流労働者階級の出身で、1960代に世間に広まった「解放の神学」を彷彿させる実践派であり、貧困層と被抑圧者の味方という評価がある。その二人の間にどんな駆け引きがあって何が語られ、互いに何を信頼し合って、どうして教皇位を引継ぐことになったかがこの映画の見どころである。

                         
                               【 ふたりの教皇 】

 キリスト教やカトリック教会やローマ法王庁を巡っては、この二人の《交代劇》に至るまでに様々な問題があってそれを乗り越えてきたが、その後も問題は次から次へと起こり山積みにされてきた。《ルターの宗教改革》や《ガリレオの地動説異端問題》や《魔女狩り》まで逆戻るまでもなく、現代も大きく揺り動き、現代的課題に立ち向かっている姿も見えてくる。
 フランシスコ第266代の教皇であるが、それに至るここ5代の教皇の歴史を見れば激動の歴史の一端が垣間見れる。

 第262代教皇パウロ6世は「旅する教皇」と言われ《飛行機に乗ること》も《エルサレムに踏み入れた》ことも初めてのことだったらしい。「エキュニズム(教会の一致)」にも心血を注いだとある。

 北イタリアの貧農の子に産まれた第263代教皇のヨハネ・パウロ1世は華美な儀礼の縮小を求め、避妊にも理解を示したという。バチカン銀行の改革に着手し、不正に手を染めた側近の解任名簿まで作成したが、突然の《不審な死》でわずか33日だけの在位となっている。《謀略説》もささやかれ、その話題が映画『ゴッドファーザー・PartⅢ』に取り入れられている。

 1978年10月にヨハネ・パウロ1世の後を継いだ、第264代教皇ヨハネ・パウロ2世は2005年まで在位し、1981年に法王として初めて来日しているから記憶している人も多いだろう。ポーランド出身で初のスラブ系教皇であり、ソ連邦の崩壊やベルリンの壁の解体、東欧の民主化などの世界の歴史の大変動にも直面していて、在位中に世界百か国以上を回り世界平和を祈願し、マザーテレサやクリントン大統領にもあっている。長崎、広島を訪れ、それまで広島に行くことのなかった歴代首相だったが、これを機会に原爆慰霊碑を首相が訪問するようになったという。
過去を振り返ることは、未来に責任を持つことだ』という言葉を残し、平和な世界を作ることに腐心したという。(どこかの首相に爪の垢でも煎じて飲ませたいものだ

 そういう歴史を背負って二人の教皇が後に続いていく。

           
            【 ベネディクト16世(アンソニー・ホプキンス)】


 政治の世界が様々な問題で見解を違え、対立し敵対し合うように、宗教の世界でも様々な問題があり、また上に見たように、不正もある。

 第265代教皇になったベネディクト16世の反動的とも思える方向性について、ベルゴリオ枢機卿が将来を悲観し、辞表を出すつもりでヴァチカンに向かうところから映画は始まる。辞表を受理することは「ヴァチカン内部に対立があること」を世間に露呈するものだと思うベネディクト16世はそれを拒絶する。

 ここからのやり取り、会話、二人の交感がこの映画の見せ所だ。映画を見て存分に味わってほしい。

                        
                        【 ベルゴリオ枢機卿-フランシスコ教皇(ジョナサン・プライス)】

 ヒトは複雑な生き物だ。いろいろな問題に対し様々な考えを持っている。しかし、人は往々にしてその一面だけを取り出し非難し合っている。全く違う立場の人間と思っていた人でも一致点はある。共感できるところはともに喜び楽しむ心が必要だ。人を一面だけでみてレッテル張りで済ましてはいけないということを、改めて感じさせてくれた。(とはいっても、日本の現首相・安倍晋三に関しては全く共感できるところが見つけられないー先日の講演会である人が「安倍さんとも今晩一緒に酒を酌み交わせるかもしれない」と言っていたが、私はその境地には至っていない
 
 もうひとつ面白いのは、ベネディクト16世が生前退位したということである。よその世界にも似たようなことがあったんだと、改めて驚かされた。

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 自分は、普段どころか人生この方、ずーっと《祈る》とか《十字を切る》とかに全く縁のない人間であるが(恐らく今後も)、この映画は偉く心に沁みる映画だった。



 帰りがけに、この映画のカタログ(プロダクションノート)を買い求めようと思ったら、発行されていないという。どうしてなんだろうと思いつつ、家に帰り公式サイトを探して見ようと思ったら、「Netflix」というインターネットで動画をストリーム配信している会社のサイトが出てきて、それ以外の通常あるような映画自体の【公式サイト】が見当たらない。だから、メニューに「イントロダクション」も「ストーリ」や「配役」のコーナーもなく、代わりに、【TVと映画が見放題】【Netflixですぐ見よう】【今すぐ登録】みたいな【バナー】があるだけである。よく見たら、この『2人のローマ法王』の映画自体が「Netflix」のオリジナル作品ということで、一般上映が一部の映画館に限られ、しかもごく短期間なので、どうしてなのかと思ったが、このページ自体が「Netflix」への勧誘広告みたいになっていたのだ。テレビの「WowWow」でもオリジナル作品があって、それに加入しないと見れないようになっているみたいだが、名作が一部のメディア会社に《囲い込まれる》のはどうかと思う。
 配役を見ればアンソニー・ホプキンスやジョナサン・プライスなどのそうそうたるメンバーが並び、監督は、私のお気に入りの一押しの映画『ナイロビの蜂』や『シティー・オブ・ゴッド』を撮ったフェルナンド・メイレレスだ。脚本は「博士と彼女のセオリー」「ボヘミアン・ラプソディ」のアンソニー・マッカーテンとなっている。
 名作こそ広く一般に広く公開されるべきと思うが、果たして【DVD】は発売されるのだろうか。





  
  『二人のローマ教皇』-NETFLIXの公式サイト





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