【2011年11月5日】 京都みなみ会館
ケビン・コスナーやトミー・リー・ジョンズら《4人のアカデミー賞受賞者の競演》と宣伝文句にあるが、それはどうでも良い。
リストラされるという《悲劇》は日本では日常茶飯事であるが、『終身雇用制度』や『年功序列賃金』など、もともとないアメリカでは会社渡り、再就職は当たり前で、この種の話はドラマになりにくいと思っていたが、やはり『リーマン・ショック』以来の不況は、サラリーマンにとって日米共通の問題なのかと思った。
やり手の販売部長のボビー(ベン・アフレック)が突然リストラされたところから話は始まるが、《ジーンの片腕》といわれた、工場たたき上げのフィルが解雇され、最後は、会長と共に会社を育て上げてきたジーン(トミー・リー・ジョンズ)までもが会社から追い出されてしまう。
リストラされた後の対応は三者三様だが、物語の中心はボビーである。
ポルシェに豪華な家。毎日の外食に毎週のゴルフ。この辺が日本の《リストラ組》とは事情が違う点である。しかし、リストラされたら《それまでの生活》が成り立たないのは同じである。アメリカの場合あまり貯金をせずローンに多く頼っているから、ギャップは日本より大きいのかもしれない。
そんな状況の変化にすぐに対応できる賢い伴侶というのは、そう滅多にいるものではない。ボビーの妻・マギー(ローズマリー・デヴィット)ができすぎの感もあるが、物語だから許すことにしよう。(子供ら家族もできすぎだが。)
映画をみていて、黒澤明の『天国と地獄』のシーンを思い浮かべてしまった。一つは、《誘拐犯にお金をくれてやる》という場面で、『資金繰りが苦しくなり会社を乗っ取られたら、貧乏のどん底に落ち、贅沢しか知らないおまえが耐えられるわけない。』と妻を一蹴する権藤の表情である。妻(香川京子)は、それでも『私だって、貧乏にたえられますわ。』というのだが。
もう一つは、会社乗っ取りを持ちかけてきた連中から、紙と糊で貼り合わせたような靴を見せられた、工場上がりの権藤が、『こんなぺらぺらな靴を作れるか(売れるか)。』と拒否する場面である。
見せかけや架空の取引でなく、目に見えて実際に役立つ物の生産こそが大切なんだという認識は二つの映画に共通している。それと《会社》という、得体の知れないもの-さらにはこの《企業社会》というものを、誰がどうやって動かしているのかという疑問を投げかけている。
ケビン・コスナーが大工の棟梁とは面食らったが、意外と似合っていた。
ジーンらに解雇通告を行い、相手をしている女性、どこかで見た顔と思っていたら、『イエロー・ハンカチーフ』のメイ役のマリア・ベロだった。
様々な人間を登場させ、何が大切なものか、自然体で描いてみせる。まあ、良い映画だった。
『カンパニー・メン』-公式サイト