【『ジェノサイドの丘』-ルワンダ虐殺の隠された真実
WAVE出版 2011年12月 新装版第1版
2004年に映画化され、日本では2006年に公開された『ホテル・ルワンダ』をはじめて見たときの衝撃は大きかった。その後公開された『ルワンダの涙』も更に詳細に「ルワンダ虐殺」までのいきさつを描いていて、一層ショッキングな映像だった。
本書は、この『ルワンダ虐殺』をいち早く扱った(といっても唯一のものしれないし、映画はこれを素材に作られたのではないかと思われる)ドキュメンタリー・レポート(ルポルタージュ)である。ただし、映画の方が1994年の大虐殺を主に描いているのに対し、こちらは「ルワンダ」建国以来のツチ族とフツ族の確執を書いている。
いきなり本文を読むには読みにくい本である。往々にしてある翻訳物特有の《訳のまずさ》からではなく(一部言葉足らずの表現も見受けられるが)、原文の《説明なしの》いきなりの記述によるのと、『日本』という《世界の見えにくい環境》にいる自分らの、世界情勢や、こと『ルワンダ』に関する知識の無さが、読みにくくしている原因かもしれない。
ナチ・ドイツのユダヤ人大虐殺=ホロ・コーストは別格として、インドネシアやカンボジアでの大虐殺にも、地球のどこかでこんな恐ろしい事が現実に起きていることに、その事実を知ったとき衝撃を受けたものだが、1994年という現在にこんな近い時期に、アフリカの小国でこんな《事件》が起きていることを、映画で初めて知って、強いショックを受けた。
1994年に自分らはいったい《何をして何を考えていたのか》、思い出そうとするがよく思い出せない。それより、《どうしてそのような大事件を知らなかったのか》という思いが残る。
「訳者あとがき」に訳者の心情と共に、ルアンダの歴史と『ジェノサイド』の経緯・背景が簡潔にまとめられている。
『最悪なのは、自分が見殺しにしていたことすら知らなかったという点だ。当時国連高等難
民弁務官の地位についていたのは日本人外交官緒方貞子である。彼女は日本の国連外交
のチャンピオンであり、国内の政治家や官僚の腐敗と無能とは一線を画した存在ではなかっ
たのか?百万人が死ぬあいだ彼女は何もせず、殺害犯たちに「人道支援」をおくり、そのこと
を日本人は誰一人気にもとめていなかった。・・(後略)』
これを読み、全く同じ認識を持っていたからショックを受けたと同時に、同じ心境に陥った。全くその通りである。
「訳者あとがき」からもう数カ所、抜粋しておく(元の文を読んでいただいた方が良いが・・)のと、理解の助けとなる【WEBページ】を拾っておくので参照されたい。
『1994年4月6日、ルワンダの大統領(フツ族)で独裁者のハビャリマナの乗った飛行
機が首都キガリの近くで撃墜され同乗していた隣国の大統領共々暗殺される。これに火を付け
られ多数派のフツ族が少数派のツチ族を全人口の1割にあたる80万人以上を虐殺する。・・・
虐殺が始まる前まで殺人者と犠牲者は隣りあって暮らしていたし双方の結婚もあたりまえだった。
世間で知られているのはこのくらいだが(映画でもこのくらいである)これはルワンダ虐殺
の恐怖の百分の一も伝えていない。・・・・』
『・・・4月7日、朝日新聞の夕刊では一面で・・・飛行機が撃墜され、内線が激化しつつ
あることが伝えられた。4月8日、細川首相が辞意を表明する、以後、紙面はすべて新生党と
新内閣を巡るゴタゴタに埋め尽くされ、・・・国際面でも・・激化するボスニア内線とNATO
による空爆であり、ルワンダ内線については片隅に短信が載るだけだった。・・・結局のところ、
日本人は誰もルワンダ人の生死になど興味を持っていなかった。・・・だが、本当にそれでいい
のだろうか?・・・・(後略)』
これで多少、当時のことを思い出した。本当に、このあとがきはズシリと響く。このあと、ルワンダとその周辺の国々のその後のことが簡単だが的確に記述されている。
この本を読む場合、この「訳者あとがき」から、まず先に読むことをお薦めする。ルワンダで起こったことの全体像をつかまないと、細部の描写からいきなり本文が始まっていることが多いので、その方がわかりやすいと思う。
それと、できたら映画『ホテル・ルワンダ』、『ルワンダの涙』の方も見ると、なお分かりやすいと思う。
『ホテル・ルワンダ』のマイブログ
『ルワンダの涙』のマイ・ブログ
『ルワンダ虐殺』の解説ページ(Wikipedia)
WAVE出版 2011年12月 新装版第1版
2004年に映画化され、日本では2006年に公開された『ホテル・ルワンダ』をはじめて見たときの衝撃は大きかった。その後公開された『ルワンダの涙』も更に詳細に「ルワンダ虐殺」までのいきさつを描いていて、一層ショッキングな映像だった。
本書は、この『ルワンダ虐殺』をいち早く扱った(といっても唯一のものしれないし、映画はこれを素材に作られたのではないかと思われる)ドキュメンタリー・レポート(ルポルタージュ)である。ただし、映画の方が1994年の大虐殺を主に描いているのに対し、こちらは「ルワンダ」建国以来のツチ族とフツ族の確執を書いている。
いきなり本文を読むには読みにくい本である。往々にしてある翻訳物特有の《訳のまずさ》からではなく(一部言葉足らずの表現も見受けられるが)、原文の《説明なしの》いきなりの記述によるのと、『日本』という《世界の見えにくい環境》にいる自分らの、世界情勢や、こと『ルワンダ』に関する知識の無さが、読みにくくしている原因かもしれない。
ナチ・ドイツのユダヤ人大虐殺=ホロ・コーストは別格として、インドネシアやカンボジアでの大虐殺にも、地球のどこかでこんな恐ろしい事が現実に起きていることに、その事実を知ったとき衝撃を受けたものだが、1994年という現在にこんな近い時期に、アフリカの小国でこんな《事件》が起きていることを、映画で初めて知って、強いショックを受けた。
1994年に自分らはいったい《何をして何を考えていたのか》、思い出そうとするがよく思い出せない。それより、《どうしてそのような大事件を知らなかったのか》という思いが残る。
「訳者あとがき」に訳者の心情と共に、ルアンダの歴史と『ジェノサイド』の経緯・背景が簡潔にまとめられている。
『最悪なのは、自分が見殺しにしていたことすら知らなかったという点だ。当時国連高等難
民弁務官の地位についていたのは日本人外交官緒方貞子である。彼女は日本の国連外交
のチャンピオンであり、国内の政治家や官僚の腐敗と無能とは一線を画した存在ではなかっ
たのか?百万人が死ぬあいだ彼女は何もせず、殺害犯たちに「人道支援」をおくり、そのこと
を日本人は誰一人気にもとめていなかった。・・(後略)』
これを読み、全く同じ認識を持っていたからショックを受けたと同時に、同じ心境に陥った。全くその通りである。
「訳者あとがき」からもう数カ所、抜粋しておく(元の文を読んでいただいた方が良いが・・)のと、理解の助けとなる【WEBページ】を拾っておくので参照されたい。
『1994年4月6日、ルワンダの大統領(フツ族)で独裁者のハビャリマナの乗った飛行
機が首都キガリの近くで撃墜され同乗していた隣国の大統領共々暗殺される。これに火を付け
られ多数派のフツ族が少数派のツチ族を全人口の1割にあたる80万人以上を虐殺する。・・・
虐殺が始まる前まで殺人者と犠牲者は隣りあって暮らしていたし双方の結婚もあたりまえだった。
世間で知られているのはこのくらいだが(映画でもこのくらいである)これはルワンダ虐殺
の恐怖の百分の一も伝えていない。・・・・』
『・・・4月7日、朝日新聞の夕刊では一面で・・・飛行機が撃墜され、内線が激化しつつ
あることが伝えられた。4月8日、細川首相が辞意を表明する、以後、紙面はすべて新生党と
新内閣を巡るゴタゴタに埋め尽くされ、・・・国際面でも・・激化するボスニア内線とNATO
による空爆であり、ルワンダ内線については片隅に短信が載るだけだった。・・・結局のところ、
日本人は誰もルワンダ人の生死になど興味を持っていなかった。・・・だが、本当にそれでいい
のだろうか?・・・・(後略)』
これで多少、当時のことを思い出した。本当に、このあとがきはズシリと響く。このあと、ルワンダとその周辺の国々のその後のことが簡単だが的確に記述されている。
この本を読む場合、この「訳者あとがき」から、まず先に読むことをお薦めする。ルワンダで起こったことの全体像をつかまないと、細部の描写からいきなり本文が始まっていることが多いので、その方がわかりやすいと思う。
それと、できたら映画『ホテル・ルワンダ』、『ルワンダの涙』の方も見ると、なお分かりやすいと思う。
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『ルワンダ虐殺』の解説ページ(Wikipedia)