【 2018年4月18日 】 京都シネマ
身震いするほど素晴らしい映画だった。
イタリアやフランス、あるいは他の国に比べて、ドイツ映画で印象に残るものはそう多くない。かなり以前見た映画で『嘆きの天使』が印象深いが、それ以外はもうひとつだ。他の国との共同制作になっている作品は沢山あるのだが、純粋なドイツ映画で一般受けするのは『バグダッド・カフェ』と『ラン・ローラ・ラン』くらいしか思い浮かばない。
最近では『善き人のためのソナタ』とか『東ベルリンから来た女』、『ヒトラー最期の12日間』とか『顔のないヒトラーたち』とか沢山あるのだが。どれもヒトラー・ナチがらみの映画か東ドイツの政治体制がらみの映画がほとんどだ。
先日見た『はじめてのおもてなし』は、現在のドイツの移民問題という現実を扱っていて、この映画と共通の背景があるが、映画の作り方も出来具合も全然違う。圧倒的に、この映画の方を支持する。
○ ○ ○
さて、この映画、最初から最後まで一瞬たりとも緊張と集中の糸が切れない。まさに釘付けである。
どれもこれも、ウソごまかしがない。全て現実的で、もっともその通りなのだ。主人公夫婦らを善人として飾り立てることなく、不完全さをさらけ出している。
法廷映画として見ても見応えがある。緊迫感ある言葉の応酬が続き、弁護人の論告の証人側の反論もなるほどと思うし、裁判長の言葉も現実問題として重いものを突き付ける。サスペンス映画としても、社会派映画としても楽しめるのがいい。
主人公以外の配役も皆、敵役で、いかにも個性がにじみ出てすばらしい。みなそれらしく、不自然なセリフもしぐさもないのだ。
【 警察に通報した犯人の父親とカティア 】
【 原告弁護人・ダニーロ 】 【 亡くなった夫・ヌーリ 】 【 被告側弁護人・ハーバーベック 】
ドイツは、『おじいちゃんの里帰り』で描かれているように、トルコからの移民が多いが、ここには挙げていないヌーリの両親も、それに対するカティアの両親も、両民族間の矛盾や利害関係を垣間見るようで、それぞれ存在感があった。
史実に基づく映画とはいえ、ここまで話を凝縮し、巧みにドラマとしてまとめ、展開していく監督の力量は大したものだと感心する。
映画の最終部分でのカティア(ダイアン・クルーガー)の心の葛藤とその行動を《いったいどう終わらせるなるか》とドキドキしたが、これについては公式サイトにある『高橋源一郎が寄稿した話』に全く同感である。
この映画を見て、ただ一つだけ気になるのは、【爆弾が素人でも、材料の入手も含め、意図も簡単に作れるのか】ということである。そんな簡単にできては、物騒でしかたないのだが。
○ ○ ○
主役のダイアン・クルーガーが公式サイトで挨拶しているが
私は、きれいに化粧して、女優然としているこの姿より映画の中の 【 挨拶する 主役のダイアン・クルーガー 】
凛々しく毅然とした姿の方が好きだ。それにしても、ドイツに
こんな魅力的な女優がいるなんて知らなかった。
-公式サイト