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『憲法を武器として』-50年前の「恵庭裁判」を通して、《いま、自衛隊と日本国憲法を問う》

2018-05-03 21:57:02 | 講演会

      【 2018年5月2日 】     立命館大学 京都衣笠キャンパス 創思館

 5月2日、立命館国際平和ムージアムの主催で『恵庭事件で問う憲法』の講演会と映画上映があった。


 『恵庭事件』とその事件を巡る裁判の概要は次のようである。
 
 1960年当時の北海道千歳郡恵庭町で以前から酪農業を営んでいた家族が、戦後進駐してきた米駐留軍より放牧場の周囲を演習地で囲われ、その実弾訓練や飛行機の爆音に悩まされていたが、抗議が認められ米軍は謝罪し演習場も移転した。しかしその後、代わってそこを演習場として使用することになった自衛隊は、以前にも増した射爆訓練を行い、牧舎から1kmも離れていない場所を爆撃標的として家屋の上空を30mの低空飛行で1日に何千回も飛び、爆音や飛行騒音のため両親は体調を崩し札幌に《疎開》せざるをえなくなり、母親は不調を訴えなくなっている。二人の兄弟は、乳牛の健康被害や搾乳量の減少等でも何度も陸自に対応を申し入れたが無視され、やむなく訓練を中止されるため演習場の通信回線をペンチで切断した。それに対し、検察は「自衛隊法違反」で二人を起訴する。
 そもそも、民間人を自衛隊法で告訴するということ自体おかしな話だが、それはまた「自衛隊法」の土台を成す「自衛隊の存在自体が憲法に違反しているのではないか」という争点に移行せざるを得なかった。
 しかし、判決は二人を無罪として、自衛隊が憲法に違反しているかどうかの憲法判断を巧みに《回避》した。しかも《敗訴》となった検察は上告しないで、背後に何等かな圧力があったのではないかと疑いもありながら、違憲・合憲の判断に幕を引いて終わらせている。


 対談では、この事件の映画をつくった稲塚監督と弁護団の1員として闘った内藤巧弁護士、それと進行役の君島教授が登壇し、それぞれの立場から当時の様子や今日的意味を語ったが、これは、「今まさに沖縄で起こっていることと同じではないか」というのが第一印象だった。

 全部を引用すると長くなるので、印象的な事だけを挙げると、

 ・自衛隊と憲法の関係は、基本的には大きく変わっていないと言うこと-確かに安保法制が国会を通過し集団的自衛権の内容も範囲も
  大きく拡大されようとしているが、まだ踏みとどまっている。50年前にこうした裁判があったというのはある意味、驚きである。

 ・憲法の文面解釈も大切だが、こと9条に限っていえば、自衛隊の実態をもっと知ってもらう事が大切だ、ということ-50年前から、
  自衛隊は日本国民とその領土を守るためでなく、アメリカ軍に完全に従属していたという事実があり、今日ではさらにその形態がよ
  り緊密に高度になっているにもかかわらず、国民にはあまり知られていないという現実。

 ・当時、憲法を回避したという背景と、現在安倍首相がたくらんでいる自衛隊明記での《9条骨抜き》の狙い。-三権分立の要である
  司法の役割と官僚の働きで今も昔もあまり変わっていないと感じると共に、別の角度からみれば、それでもなお、司法は「自衛隊は
  合憲である」とは言いきれていない、国民の声の存在とそれぞれの苦悩も。


 いろいろ示唆と多い参考になる内容で、今日的課題-時宜にかなったいい企画だったと感じた。


 映画の最後では、判決を下した当時の主任裁判官の娘が、「長い間の沈黙を破り父親が、《何らかの上からの圧力があり、判決を変えざるを得なかった》という状況を語ってくれた」というくだりがある。-この事をこのまま言わずにはあの世に行けなかった、と。



 講演自体は終わりましたが、映画『憲法を武器にして』は5月5日(土)より京都シネマ(烏丸四条、cocon烏丸4F)で毎日am10:00より、1週間限定で上映さるので、是非ご覧ください。
 



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