河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

歴史36/祭りじゃ俄じゃ 補筆

2024年01月17日 | 歴史

以下の文章とスケッチは、川面出身の鶴島輝雄さん(故人)がかかれたものである。

戦争が終わって軍国色が一掃されると、それまで自粛を強制されていた盆踊りや祭りが爆発的な勢いで復活した。
この絵は昭和二十二年頃(一九四七)の、秋祭りにおけるだんじりの宮入りを示している。
この当時、二〇台に近いだんじりが繰り出した。
青年団が祭りを取り仕切り、九月中旬から〈にわか〉の練習に励んで、十月十八日の本祭りの日、神社の境内で〈にわか〉を奉納した。
だんじりの周りには〈にわか〉を見る人で溢れていた。

昭和十年刊の喜志尋常高等小学校〔現代の中学1・2年〕『学びの栞』の中に次の記事がある(国立国会図書館デジタルより)。

(十月)十七日 神嘗祭(かんなめさい)
この日初穂を皇太神宮にお供へになり、勅使が立たれます。宮中でも、賢所でおごそかな祭典をあげさせられます。
同日 氏神秋祭
村の年中行事中一番にぎやかなものの一つでせう。大国宮では盛大な祭典が行はれ神輿かきや地車引もあつて、森厳な森に太鼓の音がひびき人の波で境内が埋まります。
  柿赤き 二十ヶ村の 祭かな

尋常小学校は現在地の木戸山町にあったが、高等小学校は美具久留御魂神社の境内にあった。
娯楽の少なかった時代、秋祭りが村々あげての楽しみだったのがよくわかる。
しかし、『学びの栞』が発刊された翌々年の昭和12年7月の盧溝橋事件で日中戦争勃発し、13年4月に国家総動員法が公布される。
祭の自粛を強制されたのは、おそらく、この頃だろう。
「柿赤き二十ヶ村の祭りかな」の「二十ヶ村」は当時の氏子村の数だ。
鶴島さんの説明に「二〇台に近いだんじりが繰り出した」とあるから、戦後初の祭に、ほぼ全ての氏子地区が地車を出したことになる。

誰もが祭の復活を待ちこががれていた。
そして、誰もが祭の復活に歓喜した。
冬の寒さに耐え忍んでいた草花が、一斉に花を咲かせ、実を結ぶ。
戦争で忘れていた自然や人の、在りのままの姿や流れを取り戻した瞬間だったにちがいない。

宮入を終えて村に帰る途中、俄を演じた衣装のまんまの春やん・彦やん・ミッツォはん三人に、明治生まれの師匠の徳ちゃんのオッチャンが寄って来て言った。
「わしが子どもの頃に見た俄は面白ろかった。どんなけ笑かすかが俄あった。
それが、宮さんで俄を奉納するようになった時に、天皇陛下の祖先を祀る宮さんで奉納する俄は笑かすのは不謹慎ややと言われるようになってしまいよった。
せやから、歌舞伎の真似事して、落とし(オチ)だけで笑かすような、面白ろない芝居になりよった。
そよさかいに、笑かしたらアカンのなら泣かしたろやないかいと、新国劇やら新派の芝居やらをとりいれたんや。
それでも、観客は笑いたいからヤジを飛ばしよる。そのヤジに一言返す即興は、さすがに、お上(警察)も許しよった。
そんな昔の古い河内俄を見せてもろたワ! 俄みたいなもんは、子供の遊びと同じや! やった者勝ちや!」
昭和生まれのミッツォはんから聞いた話である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史36 戦後/ 祭りじゃ俄じゃ⑨

2024年01月16日 | 歴史

※連載ものです。①から順にお読みください。
大歓声、大爆笑の中で、ハプニングがおこった。
娘のお登勢(ミッツォはん)が母親の小浜(彦やん)に、なぜ兄を引き止めなかったのかと言い諭す場面だ。
台本では「それでもあなたは母ですか」という一言なのだが、ここが見せ場だとミッツォはんもセリフを増やしていた。 
それでもあなたは母ですか。子を持つ親というものは、そんな邪険なものでない。母に捨てられ父には死なれ、広い世間にただ一人、そんな兄さんを一人で返す親はない。たった一人の兄さんとともに涙を流したい
冬の場面設定に加えて、生娘なので付け下げを隙間なく着こんでいる。
きりりとした顔で母を見つめて「それでもあなたは母ですか」まではよかった。
ところが、西日がまともにあたって暑い。たらりと汗が流れる。
子を持つ親というものは・・・」と目が潤んでいる。
そんな邪険なものじゃない・・・」と肩を震わせる。
見事な泣きの演技だと観客は感心する。

が、違った。汗で化粧が流れ、目に入って痛かったのだ。
そんな薄情なものじゃない・・・」と間をあけて、突然「オヨ、オヨ、オヨヨヨヨヨー」とすっとんきょうな声で泣き崩れた。
下を向いて、手拭いで目を拭いているのだ。
名演技だと感心しているところに、すっとんきょうな声で泣くものだから、観客はあっけにとられている。
異変に気づいた彦やんが「けったいな声で泣きないな!」と地声でツッコミをいれる。。
ミッツォはんが目を拭いて、正面を向き、真面目な顔して「汗が入って、目ぇが痛いねん」とボケる。
なるほどと、理由がわかった観客は、緊張が解けてどっと笑う。
観客の一人が「お登勢ちゃん、このウチワ貸したるわ!」と、ウチワを渡す。
ミッツォはんが「おおきに、うちわ、嬉しい」とかわいく洒落る。

邪険じゃなきゃ、この水熊の身代を守っていけないよ!」と彦やんが元の筋に戻す。
母に捨てられ父には死なれ、広い世間にただ一人、そんな兄さんを・・・
ミッツォはんの名演技を、観客は再び真剣に見つめる。
そんな兄さんを、一人で返す~親はない・・・オヨ、オヨ、オヨヨヨヨヨー
観客はまたもや肩透かしをくらって、どーっと笑いがおこる。
たった一人の兄さんと~ともに涙を~流したい・・・
彦やんが「また泣くんとちゃうやろなあ」とつっこむ。
泣きますかいな! ・・・オヨ、オヨ、オヨヨヨヨヨー!
よーお泣くなあ!
祭が出来る世の中になって、嬉しおますねん!!
笑いやら拍手やらで宮さんの山が揺れた。大声で泣いている人もいた。

母と娘が「忠太郎~、兄さ~ん」と兄を追う。
その呼び声を聞いた忠太郎は開き直って言う。
何が今更忠太郎だ・・・誰が、誰が逢ってやるもんか。逢いたくなったら、俺ア瞼をつぶるんだ
喜志の劇場の舞台に立ったこともある春やんが、女役者の奥さん相手に稽古した演技に、観客は声をつまらす。
二人の呼ぶ声が近づき、忠太郎は居ても立ってもいられなくなり、「忠太郎は此処だよ、おっ母さん!」と叫ぶ。
そして、三人がしっかりと抱き合う。
徳ちゃんからもらった台本はここまででオチが無かった。
「そんなん、お前らで考えんかいな」と徳ちゃん。
だから、三人しかオチは知らない。
一万人の大観衆が固唾をのんで見つめる。

よかった、よかったと親子が抱き合う中で、
お登勢が「兄さんがお腹をすかしているだろうと、慌てて袂(たもと)に入れた、これで一つになれたのかしら!
そう言って袂から丼ぶり鉢を取り出した。
忠太郎が「何や! 空の丼ぶり鉢やないかい!
小浜が「これで一つになれたとわ?
お登勢が「はて!
忠太郎が「はて?
お登勢が「はーて、わかった!
三人そろって「苦労七坂乗り越えて、末広がりの八(鉢)の中、やっと一つの親子丼になれたわい

※補筆につづく

※写真は亡くなられた「ミッツォはん」からお借りした若き頃の写真です。謹んで感謝申し上げます。
※春やんたちが演じた俄を「俄32/瞼の母」に載せました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史36 戦後/ 祭りじゃ俄じゃ⑧

2024年01月15日 | 歴史

※連載ものです。①から順にお読みください。
南河内に心地よい秋風が吹きだした。
稲穂がそよいで金色に揺れる中を、十年ぶりに太鼓の音が響く。
今の地車囃子には小太鼓と摺鉦(すりがね)が入るが、昔は大太鼓だけだった。
揃いの法被も無く、各自が自由の服装でよかった。
当時の秋祭りは曜日に関係なく10月16日(宵宮・試験曳)、17日(本宮・渡御)、18日(後宴祭・地車宮入り)の三日間と決まっていた。
天候にも恵まれ、宮さん(美具久留御魂神社)の境内は、富田林中の人々が集まったのではないかと思うほど、秋祭りを心待ちにしていた人々でうまった。
楠公崇拝の神社で戦中の風が残っているのか紋付袴の人もいる。
女性はモンペ姿ではなく、着物を着た中にスカート姿が目立つ。

終戦まで宮さんは高等小学校だったので、下拝殿の前は運動場として整地されていた。
そこへ各地区の地車が順に宮入りをし、河内俄を奉納する。
宮、櫻井と宮入りを終えるたびに、人が揺れるように動く。
ちょうさじゃ、ちょうさじゃの掛け声で、人々をかきわけるようにして新しい川面の地車が神前に進む。
コマ止めがされると人々が地車を取り囲む。
ドドーンと太鼓が鳴り、口上役のノブさんが欄干に上る。
やんやの喝采があがり、チョンチョンと拍子木が入る。
 生駒・葛城・信貴・二上、金剛山より吹き下ろす、風にゆらゆら揺れている、提灯の灯も鮮やかに、地車囃子をとどろかす・・・
となるのだが、春やん、彦やんがセリフを好き放題に追加したのだから、自分も負けてはいられないと、
 ・・・風にブギウギ揺れている、提灯の灯も鮮やかに、心ズキズキワクワクと、だんじり囃子もリズムよく・・・
9月に発表された笠置シヅ子『東京ブギウギ』の歌詞を折り込んだものだから、どーっと歓声が起こってなりやまない。
戦前なら村総代もろともに警察に出頭なのだが、世の中には新しい風が吹いていた。
その歓声を聞いて、また人々がぞくぞくと地車を取り囲む。

口上を終えたノブさんが汗びっしょりで幕裏に入り「おまはんらも俄を楽しんできてや」と言う。
村を出るときに徳ちゃんが皆に言った言葉だった。
「ええか、なんぼ上手に俄をやったからというて、玄人には叶わんわい。素人がうまいことでけへんけど、楽しいやってんのを見に来たはんのやさかい、盛大、楽しんどいで」
春やんが、幕裏から登場する。
劇団から借りたカツラと衣装、顔を白く塗って、黒や青で隈をいれた歌舞伎役者さながらの姿なもんだから、ギャーという悲鳴のような歓声がやまない。
春やんは、静まるのを待って「母の面影瞼の裏に、描きつづけて旅から旅へ・・・」と切り出す。
感情を込めた流れるようなセリフに、五千人はいるだろう観客はシーンと聞き入る。誰も微動だもせずに見つめている。
忠太郎が「おっ母さん、あっしが伜の忠太郎でござんす」と名のると、目を点にして聞いていた観客が泣きながら思わず拍手する。
しかし、小浜役の彦やんは「私には、おまえのような子はいないよ」と邪険に否定する。
それを聞いて、完全に感情移入させられた観客の一人が「小浜、意地はらんと許したれ!」とヤジを入れる。
周りの観客も「そやそや!」とヤジる。
彦やんは、ぐるりと観客を見渡し、そっと涙をぬぐって言う。
そら、私かて、腹を痛めたウミの子が、カワいかろないはずはない。許したいのはヤマヤマなれど、たった今すぐニワカでは、許すわけにはイケまへんねん
見事な即興に大きな拍手がおこり、またもや人が集まってくる。

「ご免なすって!」と言い捨て、忠太郎は愕然として幕裏にひっこむと、すれ違いざまにミッツォはんが演じるお登世が登場する。
後に俄芝居の名人と言われたミッツォはん18歳の初俄だった。
「おっかさん、今、出て行ったのは、いつもおっかさんが話していた、番場に残した忠太郎兄さんじゃないの?」
実に品よく可愛い声で言うものだから、観客のオッサンが「べっぴんやがな、今晩、うちに食べにおいで」と大きな声で言う。
ミッツォはんはニコッと笑って「そらあきまへんねん。この通りの頑固な親でっさかいに」と彦やんをにらむ。
彦やんが「すんまへんなあ、私あったらあきまへんか」ときり返す。
「アハ、ワハ、ガッハハ」と訳の分からぬ爆笑がおこり、「ああ、そやそや、これやがな」と、それまでに封じ込められていた感嘆、感動、歓喜の声が一気に出て鳴りやまない。
それを聞いたのか、またまた人が押し寄せた。
ところが、この後にハプニングがおこる。
※⑨につづく

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史36 戦後/ 祭りじゃ俄じゃ➆

2024年01月14日 | 歴史

※連載ものです。①から順にお読みください。
徳ちゃんが一週間かけて読んだ台本を皆が書き写し、それを照らし合わせて一つの台本が完成した。
コピーなんぞは無かった時代。完成した台本を順ぐりに一人ずつ書き写す。
一回りした頃には、誰もがすべてのセリフを覚えていた。
田んぼの真ん中で「母の面影瞼の裏に、描きつづけて旅から旅へ。昨日は東、今日は西、尋ね尋ねてやって来た・・・」と一人芝居をやっている。
見回すとあっちでもこっちでもやっているものだから、負けてはならぬと余計に練習に熱が入る。

いよいよ配役を決めることになった。
希望など採るまでもなく、全員が主人公の番場の忠太郎だった。
我々子どものヒーローがウルトラマンなら、春やんたちのヒーローは、番場の忠太郎であり中乗り新三だった。
祭事で内輪もめはよくないというので、徳ちゃんに決めてもらうことになった。
徳ちゃんが決めたのは、忠太郎に春やん、母の小浜に彦やん、娘のお登勢は若いミッツォはんだった。
「役から外れた者から三人は、宮入から帰ってから村の中で同じのんをやっらええ! 民主主義の世の中や、神さんも許してくらはる。あとの者は短い辻俄(曳行の途中で披露する俄)があるから、それを演ったらええ」
徳ちゃんがもめごとがないように、その場をうまく取りまとめてくれた。
「それとなあ、奉納俄の内容は、神さんが何が出てくるか楽しみにしたはるのやさかいに一切内緒や!」
皆がうなづく。
ノブさんが「ワイに口上あげさせてもらえまへんか?」と尋ねる。
「そやそや、口上を忘れてた。口上は村総代に代わっての挨拶や。わしの弟のマサが覚えとるから教えてもらい!」

次の日から稽古が始まった。
忠太郎が出て来て最初のセリフを言う。
「母の面影瞼の裏に、描きつづけて旅から旅へ。昨日は東と訊いたけど、今日は西だと風便り。縞の合羽が涙に濡れて、母は俺らをどうして捨てた。恨む心と恋しい想い。宿無し鴉の見る夢は、覚めて悲しい幕切れさ。生れ故郷も遥かに遠い、母恋い番場のこのおいら。もしやもしやと逢う度毎に、尋ね尋ねてやって来た。此処はお江戸の柳橋、人に知られた水熊よ」
自分のセリフを少しでも長く恰好よくしようと、映画や浪曲の文句を追加しているのだ。 
彦やんが「春やん、そんなズルしたらアカンやろ!」と言う。
「なんぬかしとんねん! 俄みたいなもん早い者勝ちの、やったもん勝ちやがな!」
次の稽古では、負けてはならじと彦やんもセリフを増やしてくる。
さらに次の稽古では、お登勢役のミッツォはんもセリフを追加する。
やったもん勝ちの、子どもの遊びと変わらない。

十日ほどして一通り俄の格好がつきだして、三人がはたと気づいた。
「落とし(オチ)が無い!」
自分のセリフを恰好良く見せることばかり考えていて、誰も気がつかなかったのだ。
徳ちゃんに相談に行くと、
「落とし・・・そんなんどないでもかまへん、おまえらで考えてやったらええ!」
「そんなもんですか?」
「そんなもんや!」
春やんが「それともう一つ、衣装はどないしまひょ?」
「そんなもん、おまえらで考えて段取りせんかいな!」
「そんなもんですか?」
「そんなもんや!」
落としは三人で考えることにし、衣装は、春やんの奥さんの小春さんが道頓堀の劇場で働いていたので、席亭(支配人)にお願いしてもらった。
「空襲で煤けたカツラでよかったらよろしおます。衣装も小道具もドウラン(化粧品)も段取りして貸したりまっさ!」と快く引き受けてくれた。
※⑧につづく

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史36 戦後/ 祭りじゃ俄じゃ⑥

2024年01月13日 | 歴史

※連載ものです。①から順にお読みください。
徳ちゃんのオッチャンから台本を見せてもらったが、達筆すぎて読めない。それで、徳ちゃんに読んでもらったのを皆で紙に書き写すことになった。
晩飯を食べて会所に集まる。本来ならば縄を編んだりして夜なべの作業をしなければならないのだが、「俄の稽古に行ってくるわ」と言うと、親たちも快く許してくれた。
この時点では、まだ配役は決まっていない。祭の花形である奉納俄がしたくて、我こそが主人公の番場の忠太郎だと意気込んでいる者が十人ほど集まった。

一杯機嫌の徳ちゃんがやって来て講義を始めた。
「ええか、忠太郎が別れた母親に会いに来る、料亭水熊の場や!」
昔は、誰もが映画や浪曲で見たり聞いたりしていたから、あらすじどころか結末までわかっていた。
「口に出して覚えながら書きや。母の面影瞼の裏にや」
皆が「ははのおもかげまぶたのうらにや」と口々に言う。
徳ちゃんが「やは、いらんがな!」
皆が「やはいらんがな」
徳ちゃんが「わしの合いの手まで書かんでええのや!」と怒る。
「そやかて、初めて聞くんやさかい、どこまでがセリフか分かりまへんがな」
「しゃーない奴らやなあ。ほな、感情込めて言うたるさかいに!」

徳ちゃんが立ち上がり、本番並みに仕草を入れてセリフを言う。
畳二畳を地車の舞台だと設定して、下手から登場すると、キッと正面を見据えて「母の面影~瞼の裏に~」
天に目をやりつつ「描きつづけて~旅から旅へ~」と首を捻って見栄をきる。
その流ちょうなセリフや踊りのような仕草に皆見とれている。
徳ちゃんは昔を思い出したのか、区切るのを忘れて続ける。
「昨日は東、今日は西~、尋ね尋ねてやって来た。此処はお江戸の柳橋~、人に~知られた~水熊よ。ご免めんなすって~おかみさん」
皆が一斉に拍手をした。
徳ちゃんはますます調子にのって、首を捻るときは軽く「の」の字や「ひ」の字を書くのだとか、顔を右に向ける時は、逆の左手で仕草をつけて大きく見せるのだとか、人を指さす時手の甲をしたにしないと失礼になるのだとか細かなことまで講釈し出した。
万事がこんな調子だったから、一日では終わらず、一週間かかった。
少し長いが、皆が書き写した台本である。

 (下手から忠太郎が登場)
忠太郎: 母の面影瞼の裏に、描きつづけて旅から旅へ。昨日は東、今日は西、尋ね尋ねてやって来た。此処はお江戸の柳橋、人に知られた水熊よ。ご免めんなすって、おかみさん。
 (上手からお浜が登場)
小浜: 中へ入って、用があるんならさっさと言っておくれ。
忠太郎: ご免なすって。(敷居を越えて下手に坐る)
小浜: 何とか云わないのかい。用があって来たんだろう。
忠太郎: 「おかみさん、失礼な事をお尋ね申しますが、もしやあっしぐらいの男の子を持ったおぼえはござんせんか?
小浜: あっ! 
忠太郎: 憶えがあるんだ、顔に出たそのおどろきが。おっ母さん、あっしが伜の忠太郎でござんす。
小浜: 私には、おまえのような子はいないよ。忠太郎という子を生んだが、五歳のときに死んじまったよ。たとえお前が忠太郎だとしても、そんな姿で訪ねて来ても、誰が喜んで迎えるもんかい。母を探しにきたのなら、なんで気質の姿で訪ねてこないんだよ。
忠太郎: それじゃ、どうあっても倅じゃないと!
小浜: うるさいね!
忠太郎: よしやがれ! おい、おかみさん、今なんとか言いなさったねえ。親子の名乗りがしたかったら気質の姿で訪ねて来いと・・・笑わしちゃあいけねえぜ、親に放れた小僧ッ子が、グレて堕ちたは誰の罪。もう一つあらあ、おいらのことをゆすりと言いなすったが、想い焦がれて逢いに来た。たった一人の母親が、無事でいたならよいけれど暮らしに困っている時は、助けにゃならぬと百両を、肌身離さず抱いていた。夢に出て来た瞼の母は、こんな冷たい女(ひと)じゃない。逢わぬ昔が懐しいやい! 御免なすって!
 (忠太郎は下手に入る)
 (かわりに下手からお登勢が登場)
お登勢: おっかさん、
お浜: お帰り、早かったねえ。
お登勢:  おっかさん、今、出て行ったのは、いつもおっかさんが話していた、番場に残した忠太郎兄さんじゃないの? 
話は残らず隣の部屋で聞きました。それでもあなたは母ですか。
小浜: おっかさんが悪かった。許しておくれ。お前の事や水熊のことを考えて邪険に帰したおっかさんが悪かった。お登勢、おまえも一緒にきておくれ。
 (二人が外に出ると猛吹雪)
小浜: 忠太郎~
お登勢: 兄さ~ん
 (二人が下手に入る)
 (上手から忠太郎が出てくる)
忠太郎:  あの声は、おっかさんと妹だ! 何を言ってやんでえ! 何が今更忠太郎だ。
 (奥から 二人が呼ぶ声)
忠太郎: 誰が逢ってやるもんか。逢いたくなったら、俺ア瞼をつぶるんだ。
 (奥から 二人が呼ぶ声)
忠太郎: おっ母さんが、あんなに俺を呼んでいる、妹もあんなに一生懸命呼んでいる。
 (忠太郎は居ても立ってもおられなくなり)
忠太郎: おっ母さん!忠太郎は此処だよ、おっ母さん!
 (上手から二人が出てくる)
小浜: 忠太郎、忠太郎!
お登勢: 兄さん!
 (三人がしっかりと抱き合う)
※➆につづく

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする