戦国時代にカンボジヤで採れたある野菜がポルトガル船によって日本にもたらされた。
その時、中国の南京を経由して来たことから南瓜という名もついた。
というわけで、カボチャを収穫して来た。もう少し付け根の茎がコルクのようになった方が良いのだが、この暑さで葉茎が枯れ始めてきた。そこで致し方なく収穫。
といっても、すぐには食べない。一か月ほど家の中で寝かせて追熟させる。採ったばかりのカボチャは澱粉(デンプン)のままで甘くない。追熟させることで水分がとぶとともに、デンプンが糖分(=甘さ)に変わって美味しくなる。
スーパーで売っているカボチャは心配ないが、道の駅や産直市場で売っているものには、切り口がみずみずしいものがある。「新鮮だ」と思うが、追熟されていないので美味しくない。
茎がカリカリに乾燥してへその緒のようになっているのが美味しい。
同様のことはサツマイモにもいえる。子どもが遠足の芋掘りに行って持ち帰ったサツマイモを、その日に食べたいのは人情だが、美味しくない(甘くない)。
サツマイモは少なくとも一か月、理想は二か月ほど追熟させないと澱粉が糖分に変わらない。だから10月頃に売っているサツマイモは、一か月は追熟させる必要がある。
というわけで、今日採ってきたカボチャは、我が家の台所の片隅にしばらく鎮座することになる。そして、日に日に数が増えていく。
昔は堤防の土手の草むらに、こぼれ種で育ったカボチャの花をよく見かけた。適期に収穫すれば食べられるのだが、たいていは草が刈れる冬に実が見つかるので食べられない。
「どてかぼちゃ」と言って、〈役に立たない〉という意味の悪口に使ったが、♪おらうちのどてかぼちゃ 日に焼けて食われない♪ というかわいい童唄もある。
「かぼちゃに目鼻」という諺(ことわざ)は〈不器量〉の意だが、かぼちゃの花は、畑の中で最も大きく美しい花だ。
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