【はじめに】
以下の話は、かつて喜志村の川面に住んでいた「春やん」と呼ばれていた老人から聞いた話です。春やんはすでにこの世にはいません。
春やんは、私に昔話をよくしてくれました。遠い親戚ということもあったのかもしれません。畑のあぜ道、夏の夕涼み、嫁入りや法事など の集まり、ふとした時に私に昔話をしてくれました。
話の最初はたわいもないことから始まるのですが、酔いがまわり、戦争で弾丸の破片をうけたという左目をシクシクさせだすと、きまって「さーて、知っとるか」と昔話を始めだします。
小学生の頃は、内容もわからず、春やんの話のおもしろさにひかれて聞いているだけでしたが、中学生、高校生になって日本の歴史を習いだした頃には、春やんの話には「八幡太郎義家」や、「石川の代官所」などの言葉が頻繁に出てきたことを思い出し、単なる話好きではなく、なかなかの歴史家であったのかもしれないと思うようになりました。
「日本の中心は喜志や」「歴史は語らんと歴史とちゃう」
そう言い続けた春やんの話を、後の世に残すのも私の責任かと思ってここに記します。
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