並木たより

写真付き日記

視野

2008-04-30 04:43:33 | 日記・エッセイ・コラム

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(水道橋で開催された)沖縄のT寄氏の講演に飛び入り聴講。主として平和と命の問題、そして人生と教育問題、さらに環境問題まで、風のように自由に語られた。

第二部の懇親会で30名余りの人が感謝と感想を述べたが、(沖縄という先入観のせいか)平和と命の問題に関するコメントが主で、環境問題に言及したコメントは皆無であった。

暫定税率や年金は国内問題、反戦平和やテロ対策は国際問題(しかして、「人類内問題」)、そして環境問題は人類対自然あるいは人類対造物主の問題。いずれも重要ながら、それぞれ次元(ディメンション)を異にする問題なのである。

視野のスケールを変えると、判断結果が反転することもある。

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自己正当化

2008-04-28 00:18:56 | 日記・エッセイ・コラム

「信篤き大統領は 異教徒を 屠(ほふ)りつくして こと足るとせむ」(岡野弘彦)

自己正当化が宗教の本領である。他からの批判を許さないところに「宗教性」の真骨頂がある。

他力宗(である浄土教とキリスト教)は本来、この(すべての「自力宗」の)自己正当化という宗教性を否定して存在するようになった。

その浄土教(浄土宗および浄土真宗)もキリスト教(カソリックおよびプロテスタント)も、時代と共に「宗教化」し、(自力宗同様の)自己正当化の罠に陥った。宗教はしょせん(他力宗といえども)、自己を正当化しなければ継続することのできない(神を離れた)人間の営みなのである。

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宗教批判

2008-04-27 01:15:26 | 日記・エッセイ・コラム

「かくむごき戦(いくさ)を許し しらじらと 天にまします 神は何者」(岡野弘彦)

一読、神を冒涜する歌と読める。

再読、神を自己正当化の手段に利用する「一神教」批判の歌であると気づく。

イエスご自身、かかる自己中の一神教(ユダヤ教)を(文字通り命がけで)批判されたのではなかったか。

人は自己正当化に神を利用する。それは明らかに神の御旨にそむいている。パウロもルターも内村もイエスに続く「宗教批判者・宗教改革者」であった。

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感謝会

2008-04-26 00:09:24 | 日記・エッセイ・コラム

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10年間横浜YMCAの総主事をつとめた山根氏への感謝会が催された。

大なる成果、偉大な足跡、それにもまして特筆すべきは、彼の詩心。

詩人の感性と直観力をもって巨大組織を率いてこられた。

その視点の中心は最底辺の最弱者、イエスの目線にもなずらえられる。

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バクダット燃ゆ

2008-04-25 00:33:05 | 日記・エッセイ・コラム

「砂あらし 地(つち)を削りですさぶ野に 爆死せし子を抱きて立つ母」(岡野弘彦)

こうした体験を、つい半世紀前に、強烈に味わったばかりと言うのに、(我が同胞の)何と物忘れの早いことか。

他人の体験を、自分の体験のように思い込んでいただけで、本当は似非体験であったのではなかろうか。

本当に体験した者には、忘れようにも忘れられぬ、「骨がらみ」の記憶なのだ。

かく言う自分の体験も、ほんの数時間の空襲体験だけである。しかし、それが、決して忘れることの出来ぬ、「原体験」なのである。

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