「かくむごき戦(いくさ)を許し しらじらと 天にまします 神は何者」(岡野弘彦)
一読、神を冒涜する歌と読める。
再読、神を自己正当化の手段に利用する「一神教」批判の歌であると気づく。
イエスご自身、かかる自己中の一神教(ユダヤ教)を(文字通り命がけで)批判されたのではなかったか。
人は自己正当化に神を利用する。それは明らかに神の御旨にそむいている。パウロもルターも内村もイエスに続く「宗教批判者・宗教改革者」であった。
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「かくむごき戦(いくさ)を許し しらじらと 天にまします 神は何者」(岡野弘彦)
一読、神を冒涜する歌と読める。
再読、神を自己正当化の手段に利用する「一神教」批判の歌であると気づく。
イエスご自身、かかる自己中の一神教(ユダヤ教)を(文字通り命がけで)批判されたのではなかったか。
人は自己正当化に神を利用する。それは明らかに神の御旨にそむいている。パウロもルターも内村もイエスに続く「宗教批判者・宗教改革者」であった。
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