並木たより

写真付き日記

大晦日

2007-12-31 08:32:33 | 日記・エッセイ・コラム

静かなる大晦日である。諸勘定はすべて払った。愛のほか何人にも、何物をも負うことなくして、年を終ることができて感謝である。

旧年と別れるのは何となく惜しくある。しかれども、また一年だけ最後の救いに近づいたと思えば楽しくある。

「信仰のはじめより、さらにわれらの救いは近し」とある。我が生命の終末(おわり)が近づくのではない。わが真(まこと)の生命の初(はじめ)が近づきつつあるのである。

信ずる者は過去をかえりみて悲しまない。未来を望みて喜ぶ。  (内村鑑三)

.

.


凋落は復興の兆しなり

2007-12-30 03:28:16 | 日記・エッセイ・コラム

葉 落ちて 枝 空(むな)し。されども知る、芽 成らずして、葉 落ちざることを。

木を割りて見よ、厳冬の梢(こずえ)の、すでにその皮下に春陽の花を隠すを見ん。

凋落(ちょうらく)は復興の兆(きざし)なり。

世の日に日に朽ちゆくは、革新の準備すでに成りたるに因(よ)る。   (内村鑑三)

.

.

.


岡埜榮泉

2007-12-29 02:07:48 | 日記・エッセイ・コラム

Pict0003_2

.

.

神谷町と言えば、普段は、日本技術士会のことなのである。月に二三度、多い時は、週に二回も出かけることがある。

その神谷町へ(横浜から)はるばる出かけて行って、技術士会には寄らずに用を足してきた。

用とは岡埜榮泉である。左党(呑み助)には分かるまいが、その餡は絶品なのである。ことに豆大福は毎日早々と売切れになり、(時間に制約のある)勤め人にはナカナカ入手困難なのである。

今回は年賀用の羊羹が目的である(それに栗饅頭、茶通、煎餅にカリントウ、もちろん豆大福も)。案の定、大繁盛で歩道にまで行列ができていて、店内に入るまでに20分も(通行人の邪魔をしながら)待たされる程であった。まったく罪造りな店である。

.

.


一日一行

2007-12-28 00:50:03 | インポート

Pict0002 .

.

.

「一日一行」と聞いて、何のことかすぐに分かる人は居るまい。

「一行」は「一銀行」の意である。一日に2行は無理なのである。

故人の預金口座の相続解約手続きの話である。とにかく煩瑣なのである。

先日はみずほ銀行、昨日は横浜銀行、本日はりそな銀行、そして難関はゆうちょ銀行・・・。一日一行。ひとつずつ、根気良く進めねばならない。暮れの忙しい時期を難儀なことである。

.

.


師走

2007-12-26 13:19:25 | 日記・エッセイ・コラム

Pict0009 Pict0004Pict0012

.

.

.

師走である。同じ年の瀬の同じ時刻にも、いろんな世界がある。

都心の訪問先の隣で、ビル建設の基礎工事がなされていた。アネハ問題以来、設計変更や工程変更の規制が厳しいとか。周囲の空気まで緊張している。

その隣で、昼過ぎの約2時間、細かい株式データの転記作業を行う。煩瑣な無駄作業である(コンピュータ出力を手書きで転記するのである!)。案の定、転記ミスをおかして、捨印のお世話になることとなる。

相続関連では、しばしば、降って沸いたような「無理難題」を要求される。すべて「姉のため」と思い、「恨むなら義兄を恨め」と自戒して、要求相手に対しては腹を立てぬように堪(こら)える。その姉は、静かな別世界で年の瀬を迎えている。

.

.