戦後の日本人には、もう忘れ去られ、分かりにくくなってしまった感覚であるが、戦前の官僚や軍人には、「天皇陛下の股肱(ここう:手足)」という意識が強くあった。
中国語の「首相」や「大臣」にも、また英語の「Secretary」や「Officer」にも同様のニュアンスがある。
戦後、官僚が主人(天皇)やライバル(軍人)を失って、独り天下となり、我が世の春を謳歌し、新しい主人であるはずの国民もその「役人天国」を認めている今日の日本では、国政レベルでは政治家よりも役人が、市民団体においても無給ボランティアよりも有給スタッフが、「偉い」と(一般に)みなされているが、これは本末転倒である。
皇太子時代にイギリスの議会制民主主義を親しく体験し、みずからロンドンYMCAにも会員登録したほどの昭和天皇には、[ 赤紙一枚で召集された兵は「ボランティア」、自分の股肱である政治指導者は「Paid Staff」 ] との意識が強くあったと思われる。「paid が unpaid と同じ立場に立ってはいけない」と言うのが「靖国不参拝」の理由であろう。
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「命じられたことを果たしたからといって、主人は僕に感謝するだろうか」(ルカ17:9)
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(今日のお弁当)
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(今日の夕食)