アセンションへの道 PartⅠ その理論と技法

2012年には銀河の中心と太陽系そして地球が整列し時代の節目を迎えます。アセンションの理論と技法について考えます。

第17章 ヨーガ・スートラ ⑮プラーナヤーマ

2012-07-27 06:12:03 | 第17章 ヨーガ・スートラ
前稿でも触れた通り、筆者は本年6月末からカナダのアシュラムに10日程滞在し、ヨーガ講師の研修を受けて来たが、前もって或る程度英語に馴染んでおいた方が良いとの助言を受け、余り得意ではない英語の原書に挑戦した(この本は特に身体の部位や病名に関する単語を覚えるのにも役立ち、講義の内容をかなり正確に聞きとることができた)。題名は、“Babaji’s Kriya Yoga Deepening Your Practice”(以下、同書)というもので、Jan Ahlund (ゴヴィンダン夫人、通称ドゥルガ) とマーシャル・ゴヴィンダン師の共著である。同書の主題は18のアーサナの説明であり、各アーサナの実施方法とそれらの身心への影響や医学的な効果を解説したものだが、ババジのクリヤー・ヨーガの他の主要な構成要素であるプラーナヤーマや瞑想法などについても簡単に触れている。そこにプラーナヤーマに関する興味深い記述があるので、拙い訳ではあるが大意を要約してみる。

「クリヤー・クンダリニ・プラーナヤーマ(註:ババジのクリヤー・ヨーガの第一イニシエーションで伝授されるプラーナヤーマの技法6種類を指す)はババジのクリヤー・ヨーガの技法の中で最も強力な技法である。プラーナヤーマ(以下、調気法)は長寿の為の技法としてシッダに受け継がれて来たものである。シッダによれば、通常人間の寿命は100歳であるが、呼吸法の乱れが肉体の劣化をもたらしている。調気法にはこの呼吸の乱れを整える効果がある。それは体全体に生気を行き渡らせると共に肉体の神経系を強化し恒常性(ホメオスタシス)をもたらす。プラーナは、宇宙のエネルギーであり、精妙な生気エネルギーである。これは純粋なエネルギーであり、酸素やグリコーゲンでもなく、気体でもない。それは生命エネルギーであり、宇宙の全てに浸透している霊的な物質である。それは紛れも無く、力や情熱や有益なダイナミズムの源泉である。」

「プラーナは心と精神の働きと密接に関連している。ヨーガでは、プラーナと心は構造的に異なるものではないと言われている。心が考えることができるのは、呼吸の中に含まれているプラーナによるものである。・・・呼吸がゆったりと整えられてくると心はプラーナを活性化する“燃料”を失う。そしてプラーナの落ち着きの無さがおさまると、心が静まる。」

「クリヤー・クンダリニ・プラーナヤーマは気付きに対する訓練のプロセスの始まりである。クリヤー・クンダリニ・プラーナヤーマを実施している間、修行者は他の事に集中できない。それは自然な“制感(プラティアハーラ)”と“凝念(ダーラナ)”(八段階のヨーガの内の二つ)をもたらし、修行者を瞑想に導く。」

筆者が敢えてこの調気法の説明を冒頭で行った理由は、プラーナヤーマが単なる酸素を行き渡らせる“呼吸法”ではなく、八段階のヨーガに列せられる非常に大切な技法であり、制感や凝念、延いては瞑想にも深く関連している重要な技法であることを第一に強調したかったことと、この重要な技法を学ぶ為には、ババジのクリヤー・ヨーガにおいては第一イニシエーションを受ける必要があることを読者諸賢に予め知っておいて頂きたかった為である。
続いて、『インテグラル・ヨーガ』から関連するスートラを引用して行く。

「Ⅱ-49  それ【安定した座位(アーサナ)】が得られたならば、呼気と吸気が制御され
ねばならない。これがプラーナヤーマ[調気]である。」

「姿勢がマスターできたら、吸う息と吐く息の動きをコントロールすることによってプラーナをコントロールする訓練を行う。“プラーナヤーマ”というのは、吸いこんだ息をできるだけ長く、神経が張り詰めるまで止めておくことだと思っている人がいるが、そうではない。呼吸は、乱れやムラがなく、静かでゆったりした状態で完全に制御されていなければならない。たとえば、“ナーディ・シュッディ”という左右の鼻孔を交互に使って行う呼吸法は、はじめのうちは息を止めずに、少しずつゆるやかに訓練を進めていく。そして息の保留は、もっと後になってからする。 “プラーナ” [気]は、それなしには何ものも動かず機能しない、宇宙的な力である。ガソリンならそれがモーターを動かすのである。電気なら、それが電球を通して光を放つのである。我々の思考ですら、プラーナによって動かされる。プラーナヤーマではそれを直接に扱うのだから、我々は非常に慎重にならねばならない。プラーナをコントロールするのは容易ではない。」それには時間がかかる。我々全ての中に、プラーナの予備がある。自動車にはガソリンを使い果たしてしまったら開けて使う予備のタンクがある。しかし、<神>の思慮ははるかに深い。<神>は我々に、日常使うものの何百倍もある巨大な予備タンクを与えられた。それが“クンダリニ”すなわち“とぐろを巻いた力”と呼ばれているものである。人々はクンダリニの覚醒について多くのことを語るが、自分自身の日常的な小さな力のコントロールさえままならないというのに、そんなところに首を突っ込んでどうするつもりなのだろう。それをするのはその資格ができてから、自分自身の用意が整ってからだ。このように言うのは、我々自身の安全のためである(本ブログ12章⑥クンダリニ昇華を参照)。適当な時期が来れば、この予備タンクは自動的に開かれる。それは未熟なままで、難しい呼吸法を粗雑に行うことによって目覚めさせるべきではないのである。」

「Ⅱ-50  気息のはたらき[ヴリッティ]は、内部的・外部的・静止的のいずれかである。それらは時間と空間と数によって規定され、長・短のいずれかである。」  

「ここでパタンジャリは、吐いた後あるいは吸った後の息の保留について述べる。しかし、この息の保留については、我々は非常に慎重にならねばならない。それは適切な個人的指導のもとで行われなければならないし、また、教えられたこと以上に進むべきではない。プラーナは非常に強力なエネルギーである。― 傍らにコブラの正しい調教師がいなかったら、こぶらと戯れてはならない。 パタンジャリによると、プラーナヤーマには三つの型がある。それは“ヴァーヒャ・ヴリッティ”、“アビヤンタラ・ヴリッティ”、“スタンバ・ヴリッティ”、つまり吸息と呼息と保息である。普通、プラーナヤーマでは簡単で安全な、息の内部保留(息を吸ってから止めること)だけを教える(筆者註:この点はババジのクリヤー・クンダリニ・プラーナヤーマと異なる)。そしてその効果を経験してから、外部保留(息を吐いてからと得ること)だけを教える。パタンジャリは、それらは“デーシャ”・“カーラ”・“サーンキャ”つまり時間・空間・数によって変化がつくと言う。“空間”というのは呼吸するときに意識を置く場所、つまり脊椎の付け根であるとか、その中ほどとか状部とかいう意味である。“時間”というのは、息の保留の長さである。“数”というのは、息を取り入れながらあるいは吐き出しながら数える数、また、息を止めている間に数える数のことである。普通、ナーディ・シュッディの場合は、それは1対2の割合である。つまり五つ数えながら息を吸い込んだら十数えながら吐き出す―といってももちろんそれは二倍の量の息を吐き出すという意味ではなく、取り入れた時の二倍の時間をかけてゆっくり吐き出すという意味である。普段の我々の呼吸は、吐くときの方が吸うときよりも短い。だからそのようにしてその進行を逆転させ、不随意筋を支配しようとするのである。」

「プラーナを調整することによって我々は心を調整する―というのは、その二者は常に同行するからである。したがって、一方がコントロールされたらもう一方もおのずからコントロールされる。そのためにパタンジャリはプラーナヤーマに言及しているのであって、それは本当に大切なのだ。制御(コントロール)と規律は、我々の生活に不可欠のものである。規律がなかったら何もなされ得ない。世界はすべて、規則的な、秩序だった仕方で機能している。もし何もかもが唯の偶然だったら、科学の偉大な発明もあり得ないし、それらの必要性もないわけだ。もし太陽や月や地球が規則正しい仕方で運航していなかったら、ロケットを打ち上げる計算はどうやってしたらいいのだ? もし地球が突然、『私はこの速度で回転するのがいやになった。もう少し早く回転したっていいだろう?』などと言い出したら、アポロ計画はどうなる―? 科学者たちが原子を分裂させることができるのも、それらが特定の速度で秩序だった動きをするからだ。」

「“スカー・プールヴァカ”は簡単で快い呼吸法で、吸息と呼息の割合を一対二で行う。はじめは吸いながら五数え、吐きながら十数えるが、徐々に十対二十まで伸ばしていく。そこまで行ったら、間に少し保息をはさむ。つまり十で吸い、五の間保息して、二十で吐く。次に、十対二十の割合はそのままで、保息だけを五から十五へ、更に二十五へと増やしていって、四十まで行ったらそこまでにする。その時点からプラーナヤーマの回数の方を増やす。ヨーガの本を見てすぐに、吸息一、保息四、呼息二の割合で練習を始める人がいるが、それは健康に良くないし、危険である。大切なのは、このプラーナヤーマをするときの割合ではなくて、一度にできるプラーナヤーマの量である。だから、たとえ保息なしでも、一度に三十回から四十回のナーティ・シュッディができれば、効果は非常に高い。」

「Ⅱ-51  プラーナヤーマには、内的な或いは外的な対象に集中しているときに起こる、 
 第四の型がある。」

「プラーナヤーマの四つ目のタイプは、自動的に起こる。そこでは、ある対象又は観念に心を集中させるだけで自然に息が止まるので、意識的に保息する必要がない。これは、“ケーヴァラ・クンバカ”とも呼ばれる無作為の楽な保息で、瞑想が深まると自然に起こる。心が停止状態になっているときは、プラーナにも同じことが起きている。たとえば本を読んでいてその中の何かに深く引き込まれていると、息が止まる。そういうときの自分の息を振り返ってみると、ほとんど呼吸していないことに気付く。そういう集中が何かで中断されると、その保留の埋め合わせとして深い溜息をつく。同じように、たとえば突然悪い知らせを受け取ったりすると、息が完全に止まってしまう。そしてその後、深い溜息をつく。それは、突然の知らせが心を止め、それと一緒に息も止めてしまうからだ。ジャパや瞑想をしているときに息の保留が起こったら、それはいいことだ。それは身体の用意が整わないと起こらない。」(ジャパや瞑想が)十分に深ければ、息は二、三分止まることもある。サマーディでは何時間も止まる。しかしそこにはエネルギーの消費が無いので人は死なない。それは保存されているのだ―。 ・・・ 聖者チルムーラー(筆者註:ティルムラルとも言う)は、『心の赴くところどこへでも、息は従う』と言った―。 それらは分かつことが出来ない。だから、まず心が制御されれば、息も制御される。しかし、心と息とではどちらがより精妙か? そしてその精妙なものと粗大なものとでは、どちらがより扱いやすいか? 氷をある場所に置いておくためには、ただそこに置きさえすればよい。水だったら何らかの容器が要る。しかし水蒸気の場合はそれでも不十分で、密閉できるシリンダーが必要だ。氷も水も水蒸気もまったく同一の化合物だが、それらは異なった段階にある。それと同様、プラーナも、精妙な顕現状態にあるときよりも粗大な状態のときの方が扱いやすい。だからわれわれは、先ず物質的なものである身体を制御することを学んでから、次に息の動き、次に感覚、そして最後に心というふうに進むのである。それが非常に科学的で、段階的で、やりやすいのである。

「Ⅱ-52  その結果、内なる光を覆い隠していた緬紗(ヴェール)が破壊される。」

「さて、パタンジャリが次に述べるのは、プラーナヤーマの恩恵である。我々は内なる光を覆い隠しているヴェールを破壊するのである。内なる光“プラカーシャ”は、心の闇というヴェールによって覆われている。そのヴェールを取り除く最良の方法は何か? 糸を、なくなってしまうまで、一本一本抜くのである。心は思いによって織られたヴェールである。心は、それ自身が実体なのではない。思いを一本づつ抜いていけば、全部抜いてしまった時にはもう心は残っていない。それは“一山の砂糖”と同じである。砂糖の粒を一つずつ取り除いていけば、“山”は存在しなくなる。本当は“山”という言い方はおかしいのだ。実際には“山”などなく、そこには“砂糖”があるだけなのだから―。木は、様々な形に整形されて、他のいろいろな呼び方をされるようになる。椅子とか、テーブルとか、ベンチとか、薪とか―。 外見が異なると、名前が変わる。然し変わるのは外見だけで、基本となるものは決して破壊され得ない。我々の基本となるものは<自己>である。われわれが自分自身を身体や心だと思っているかぎり、われわれは自分を滅びるものだと感じる。プラーナヤーマはわれわれに、間接的にその<単一性>を、その決して変わらない<もの>を、理解させてくれる。それは、それがヴェールを取り除くからである。そしてその修練はやりやすい。現に、瞑想のクラスにはあまり多くの人は来ないが、アーサナとプラーナヤーマのクラスには非常に多くの人々が集まる。」

「Ⅱ-53  そして心がダーラナー[集中]への適性を得る。」

「“プラカーシャ・アーヴァラナ(光を覆うもの)”が取り除かれると、心は、完全に滅びてはいないがその濃度が薄くなり、“ダーラナー”の修練に、より適したものとなる。」

同書から推測すると、スワミ・サッチダーナンダ師の教室では(恐らく他のヨーガの教室でも)受講者にプラーナヤーマの技法を比較的簡単に教えているようである(即ち一般的に知られている技法なのだと思う)が、既に述べた通り、ババジのクリヤー・ヨーガに於いては“クリヤー・クンダリニ・プラーナヤーマ”は覚醒に到るための最も強力な技法であり、第一段階のイニシエーションで伝授されるものである。そのことは、『完全アセンション・マニュアル』や『あるヨギの自叙伝』でも、修行者の霊的な成長を一千倍加速する技法として紹介されている。

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