シニア留学風土記

リタイア後、日本を脱出して世界を散策したいと旅立つ。英語生活の勉強も兼ねている。その様子を書き綴る。

アカデミックなエッセイの書き方で論を張った

2008-10-22 15:51:33 | Weblog
 午後の授業はアカデミックなエッセイの書き方の授業であった。色々手順を踏んでから書くので今日はまだ書いていない。が、書き方を教わるうちに論を張るのである。それが面白かった。議論の余地があるものがトピックに選ばれる。例の試験IELTSの対策のための授業である。

 日本で言う三段論法に似ている。キチンと論の張り方を習うので、その順番に従って書けば十分アカデミックなトピックでも書けるようになる。こういう授業が日本語教育でも欲しいなと思った。意見を持っていれば書ける。この「意見を持っていれば」が難しい。または「そもそも知らない」とそれは難しい。

 書き方としては
1)自分の立場(拠ってたつ意見)
2)意見の提示(その立場による意見)
3)それをサポートする意見
4)実例・実証拠・実証明など
5)結論
の順に従って書けばよい。

練習の手立てとして、いくつかトピックを考えた。
①我々は絶滅寸前の種を守る必要はない。弱肉強食の世界は自然なものである。
②技術は環境問題をいずれ解決する。
③遺伝子操作による食物は未来のたべものである。
④原子力発電は唯一のきれいで効果的な燃料である。

 これらを教師が全部賛成の立場の違憲を強く打ち出す。それに意見を出してみよというのである。いずれも大きな問題なので、なかなか意見を出しにくい。でも教師は本当に憎々しげに主張する(それは演技であるが、意見を出すように挑発しているのである)ので、私は年甲斐もなく、どれにも反対意見を述べた。若い学生は、先生の気迫に負けてなかなか意見を言おうとしない。こうした意見に反論するには知識も必要だ。幸い感情に駆られることなく話せたので、先生は"I like your opinion."などとシラッとして言う。試験官はそういう感じなのかと思った。試しているのである、学生を。

 経験をつめば色々なことも知るようになる。しかし若い人がこういう試験を受けるならば、日常から色々な知識を身につけるように世界情勢やら歴史やらを学んでおく必要がある。生きた知識が大切である。生きた知識は自分に引き寄せて考えると身につく。自分に降りかかったらどうか、自分がその立場だったらどうするか、そういうことを普段から考えておくのである。

 こういうときにことばの学習は言葉だけではないな、と思う。しかし小さい子どもの教育で「知識が先だよ」ということはできない。両方ともに学ばせねばならないのである。知識が先だよ、自国の文化を身につけさせるのが先だよ、というと何でも先送りになるからだ。そして結局やらないのだ。日本の英語教育がそうだった。

 今、英語を勉強していて、本当にそう思う。中年になってから英会話を始めた。上達が遅い。何年も英語を勉強したのだ、学校で。あれは何だったのか、といまさらながら怒りを覚えている。今の子どもたちにはそういう後悔をさせたくないものだ。

 授業は満足して終わったのに、なんだか怒りで終わってしまいそうだ。今日の日本の学生も二人で話したり、グループで話したりするときにはまぁまぁ話しているのに、全体となるとなかなか発言しないので、つい発言したことを思い出し、日本の教育、なんとかしてよ、という気持ちになってしまったのだ。相済まない。