シニア留学風土記

リタイア後、日本を脱出して世界を散策したいと旅立つ。英語生活の勉強も兼ねている。その様子を書き綴る。

聖地エアーズロックのアボリジニ祖先の名はAnangu

2008-11-24 04:07:25 | Weblog
 荷造りをしながら、ガイドブックでどのように見ていけば、望みどおりのリサーチができるかと調べていた。英語だから時間がかかった。するとDream Timeはアボリジニの言葉でTjukurpaということが分かった。発音は分からない。Dream Timeは適切な訳ではないとそのガイドブックには書いてある。英訳はAncestral Beings創造神、または創造主が適切らしい。

 その中の説明では、昔、世界は形作られていなかった。その期間をアボリジニの神々の創世記にあたるTjukurpa(Dream Time)と呼んでいるらしいことが分かった。最初の人間として地球に降り立ったのがAnanguという祖先であったそうだ。数万年前の話である。日本の神話よりも何万年も古い。アボリジニの人々が神々の末裔と呼ばれるのはその歴史の長さから来ている。それから動物、植物、大陸、海など、現在目にするものが形成されて来た。

 彼らの言葉に動物人間ということばがあるらしい。それこそ、人間と動物が別れる前の人間と動物が一体となっていた時期、Dream Timeの時期ということらしい。アボリジニの童話を見るとそういう動物人間の話が数多くある。天からやってきた創造的存在が、動物(例えばエミュ)になり、動物から人間が分かれていく…。各地のアボリジニよってその動物は違う可能性がある。ただ天地創造と、人間・動物・植物の関係がみな似通った話の構成になっている。Dream TimeつまりAncestral Beingsの基礎の考えが同じに違いない。

 そしてそういうところから自然と人間の調和を尊重する考えが根付いているのだと考えられる。アボリジニに文字はない。語り継がれてきたのである。何万年も前のことを、語り継ぎで子孫に伝えていることに驚かされる。絵が彼らの言葉である。アボリジニの絵はみな物語が含まれている。そして音楽である。絵を描きながら、メロディに載せて言葉を紡ぐ。それが歴史になっており、伝達になっており、教訓になっており、子どもの教育になっている。

 それで、Ananguである。実は、別名、Anyango(アニャンゴ)とアフリカのある国で呼ばれている家族がいる。アフリカと日本でアフリカの楽器を使った音楽活動をしている時の別名だ。それでエアーズロックアボリジニ祖先の名がAnanguだと読んで、あまりにも似通った名前なのでビックリしてしまったのだ。その祖先を辿るツアーがあるらしいので、もし時間が許せば参加してみたいと思った。生活習慣やアートクラフト活動などが見られると書いてある。事前に見たいと思うことが決まって本当によかった。なんと発音するのか、行ったときに聞いてみようと思う。日本語のローマ字風に読むと、アニャングだが…。

 エアーズロックではブログ記入ができないと思ったので、2回分先に記入した。

今日は‘エアーズロック’に行く

2008-11-24 04:05:04 | Weblog
 エアーズロックは、オーストラリア大陸の真ん中にある巨大な一枚岩の岩山である。「地球のへそ」と言われているそうだ。周囲9.4mもある。アボリジニの聖地だ。だから行こうと思った。観光地化されているが、アボリジニの悠久の時を隔てたなにかしらが感じ取れたらいいなと思っている。

 登山はしない。アボリジニの人々が観光地化されていることを余り喜ばず、登山なんかもってのほかと怒っているからだ。日本風にいえば、そんなことをしたら罰が当たる、といっているそうだ。実際、大勢の人が滑落して死んだり、怪我をしたりしているという。観光当局のパンフレットにも“Don’t climb Uluru.”と書いてある。Uluruとはエアーズロック地域のアボリジニ語である。それなら、なぜ登山のルートを造ったのか、と疑問がわくが、厳しい条件をつけて登山ルートのみを登山させている。観光ビジネスと伝統・風習・信仰とのせめぎあいである。アボリジニたちは資本金もなく、その趨勢を止める手立てもなかったのだと思われる。姉たちが行ってきて、巨大資本が囲い込んでしまって、ビジネスを独占してしまっているのではないか、と言っていた。そういうことも見てきたいと思った。

 私も、その観光コースに乗らなければそこに行かれない矛盾を持ちながら、行く他ない。
「登るな!ただ、すべてを耳を済まして聞け!」というのがアボリジニの人々の希望だそうだから、耳を澄まして聞いてこようと思う。アボリジニの創世記‘Dream Time’のことも知りたいと考えて行く。アボリジニの人たちは、観光客がただ巨大な岩を見て、登ってアボリジニの「スピリット」を少しも感ぜず、はい終わり、という通り過ぎ客であることをとても悲しんでいると警告している本を読んだ。

 不思議な姿の動物カンガルー、飛べない鳥ダックビルやエミュー、ゴアンナ(オオトカゲ)そういうオーストラリア独特の動物は、みな創世記のDream Timeの賜物なのだそうだ。そういうことを感じ取ってきたい。

 クラスで旅行の話になって、「私はただ観光するのは好きではない。行くときはその国を知りに行くのだ。」と言ったら、ある学生が「でもエアーズロックに行くんでしょ?」と言った。その学生の言葉の意味は「ただの観光をするではないですか。」という皮肉な指摘であったと思う。「でも~でしょ?」にそれは表れていた。私は、むきになって、「いいえ、エアーズロックはただの観光地とは違う。アボリジニの聖地で、オーストラリアの歴史の粋がそこにはある。伝統と350年前に移住してきた西欧文化とのせめぎあいがそこで見られる。感じ取れる。それを確かめに行くのだ!」と反論してしまった。若いからそういうことも知らず、エアーズロックをただの巨岩の観光地と思っているから、そういう発言になると考えたのだ。その学生は黙った。

 実際は、この旅行が結果どういうものになるか、見当がつかないのであるが、ともかく行ってこようと思う。何が得られるか、楽しみである。留学風土記は続く。

卒業セレモニー

2008-11-23 08:52:58 | Weblog
 卒業セレモニーはどうだったか、そこでの自分のスピーチがどうだったかより、最後に話したスペインの青年の方が印象に残ってしまったので、それを先に記入してしまった。

 卒業セレモニーは、21日(金曜日)、全クラスの学生が集まっているところで、卒業証書と成績とコメントが書かれたドキュメントをもらい、小さなコアラのぬいぐるみをもらう。そして先生から、この人はどういう人だったか一言もらい、そのあと卒業生が卒業スピーチをする。それでおしまいである。「クラスで重要な役割を果たし、クラスメートにも尊敬されていた」というようなことをコメントしてくれた。こういうときの決まり文句であろう。

 スピーチはなんていうことがなかった。予定のことを少し抜かしてしまったが、概ねメモも見ることなしに話せて教師がメモなしで3分も話したと感想をいい、ある学生はあなたのスピーチやプレゼンにはいつも感心するし、好きだと言ってくれた。途中でも笑いが起こったり、何か教師が反応の言を発したりした。そのリアクションの後、「アッリアクションがあった!」と余計なことを考えているうちに、言うことを忘れて少し抜かしてしまったのだ。これは初めて経験したことだ。まだまだ場慣れしていないということだ。

 次にスピーチをする卒業生が「そんなに長く僕は用意していない」と文句かなと思われるようなことを私に囁いた。私は、習った二人の先生の特徴あるそれぞれの教え方を取り上げてそれに褒め言葉をいい、学生全体へのお礼として、具体的に、話してくれた事などを取り上げ、感謝を述べただけだ。彼は一般的にお世話になったことをいうだけだったから短かっただけだ。「具体的に語る」それを実行すればいくらでも長く話せる。自分はこれからこうします、ということを言い忘れただけだ。たいした欠落ではない。

 学校が終わってから、クラスの人たちとお別れパーティとして一緒にシティに行って夕飯を食べた。帰りに乗ったタクシーの運転手とドライブ中ずっと英語教育について熱く!語った。セサミストリート(アメリカ制作子ども向けTVプログラム)が世界の英語を駄目にしていると言った。アメリカンEnglishに批判をしたかったようだ。イギリスから来たと言っていた。イギリス人にそのような考え方をする人は多い。日本でも、通じればいいなどいうのは駄目で、本当の英語(イギリス英語?!)を教育しなければ駄目だ、という人を知っている。その人が英語教師だったので、そのあなたはいままで少しも英語を話せる生徒を育成しなかったのに絵空言ではないか!と批判した。正統な英語は英国クーンズEnglishという人はまだまだいる。私は先の英語教師とやりあってから、その考えを捨てた。そういう考えが日本の英語教育のガンなのだ、と気がついたからだ。今の英語教育のままでは日本人は100年立ても英語を話せない。私は運転手の言葉を聞いて、ハハーン!と思い「インターナショナルな英語でいいんじゃないの?」「私のはJapanese Englishよ。日本人だからそれでいいと思っているんだけど…。」と抵抗してみた。そのやり取りが面白かった。

 いろいろな状況に立ち合って、そして使ってみて、概ねの状況をカバーできたところで言葉の獲得ができる、私はまだまだ概ねの状況に立ち合っていない。それは永遠の作業だなと思って卒業した。

とうとう卒業、しかしまだまだ修業は続く

2008-11-22 11:39:42 | Weblog
 とうとう学校を卒業した。卒業といっても自分が10週間JCU英語コースに行くと決めて、その学習期間が終わったというだけだ。業を修めたわけではない。ただ、他の学生の様子をみていても、自分の経験でも10~12週間というのが一サイクルとして一冊のテキストブックが終わるという意味で適切な期間であると思った。私には特にそれで十分という感じだ。これ以上続けると疲れもあるけれど、だれる感じがする。テキストの課は、どれも大体12ある。それを1課ずつ1週間で習う。そうすると大体12週間で終わる勘定になる。一冊のテキストが終わるということは、系統的にものが学べたということだ。

 そこでレベルが上がれば一クラス上のアドバンスなりに行けるから、その先12週間また上のクラスで学習するということもいいかもしれない。しかし、そうはうまく行かない場合がある。
① そう簡単に12週間で上のクラスに行けるほどレベルアップしない。
  習い初めであればレベルアップするかもしれない。しかし中級以上になると
  中々レベルアップするのは難しい。だからそれ以上習うとすると教科書は
違ってもまた同じレベルの学習をすることになる。不満を抱きがちになる。
② 仮にある人がレベルアップしたとしても、今度は学校の都合で、クラスを細分化
できない事情がある場合がある。多分、経費の面で、最低6・7人いないと
クラスを構成できないのだ。1人や2人だけではクラスを構成することは
できない。クラスを構成するということは先生を雇わなければならないと
いうことだからだ。
③ するとその人はどうなるか。同じレベルのクラスに留まるか、目的の違う大学
進学課程クラスに進むかになる。JCUではアドバンスと大学進学課程コースが
一緒のクラスになっている。それぞれ人数が相当数いれば分けるのだろうが、合
 わせて6・7人なので、学校としては経費の面から分けられないようだ。
④ 一般英語コースのアドバンスと大学進学課程と一緒になるとどうなるか。
  大学進学課程の学生を優先的に扱い、学習がたとえば論文作成ばかりに偏る
  らしい。だからスピーキングでアドバンスのレベルの学習をしたい、リスニ
  ングでアドバンスレベルの学習をしたいと考える一般英語コースの人の希望が
  無視される。
⑤ 論文作成は、英語の場合、カチッとしたライティングの型があるからそれを習
  い、それに当てはめて実際に長い論文を書いていくだけだから、そんな論文な
  んて書けなくてもいいと考える人には退屈である。課程の途中で、中くらいの
  論文、最後に長い論文の作成プロジェクトがあり、その二本を書いて終わりで
  ある。

 そこで、西欧の学生はどうするか。昨日帰る間際に話したスペインから来た学生は、10週間終わったら、ブリスベンの学校に移ると言っていた。レベルが上なら上で、同じなら同じで、新しい先生、新しいクラスメート、あたらしい環境で習う方が英語を効率よく獲得する上で得策だと考える、と言ったのだ。英語学習渡り鳥である。新しい環境に移る手間、学費を差し引いてもその方が得策だというのである。
 
 にきびを気にしている20歳ぐらいの若者である。自分で学費と生活費を計算して、自分で学ぶ方法を省みて、いい方法を見つけたらすぐ決断し、実行する。そのサバイバル精神に私は驚いてしまった。韓国の若い学生が10ヶ月も居て、自分はビギナーで来てからまだ1ヶ月も経たないのに自分の方が韓国の学生より話せる。10ヶ月もここに居るのは無駄だと思ったという。その観察力にも驚かされた。

 私もここでの学習は10週間で丁度よかったが、マスターできたというわけではないので、まだまだ修業を続けなければ駄目だ。永遠の仕事と思えば良い。

討論「死刑は廃止すべきか」

2008-11-21 09:49:04 | Weblog
 昨日、クラスで討論をした。本物のディベートとは違うが、近い形を教師が考えてやってみたのである。面白かった。機械的に2派を分け、本当の気持ちは忘れろと言われた。私は、「死刑廃止派グループ」だった。これを行う前に、議論のときに使う言葉遣いや、死刑廃止か否かの議論の特殊な概念を習った。そして、議論の前には少しグループでどんな論点があるかを整理して主張すべき点をグループ内でまとめる時間も取ってくれた。一つのグループは外に出、他のグループは教室で意見を共通にしておいた。

 それで本番である。韓国の学生と日本の学生だけだったので、ある特徴が見られた。アジア人は形式論議が下手なのではないかと思ったのである。本当の気持ちを言葉に乗せてものを語るのは訥々としてでも語れるが、こういう風に、気持ちは捨てて論議して見ろと言われても上手にできないのである。もちろん、英語のスキルがまだ不十分ということもあろう。しかし、母国語でもそれぞれこういうことをしても下手なのではないかと思った。そもそも議論を上手に行う教育などされていないのだ、多分。生活の中にもそれはないに違いない。

 私は実際死刑廃止論の立場なので、意見が言いやすかった。気持ちや熱が込められた。ここで、気持ちのこもった意見に作用されやすくてつい本音が出てしまう、ということが見られた。私がなぜ廃止すべきかをとうとうと述べると反対派のメンバーがつい「その意見に全面的に賛成だ」と言ってしまったのだ。みんなで大笑いしてしまった。それじゃ議論は終わってしまうからだ。自分の(形式的)立場を忘れてしまってつい本音が出たということだろう。私の意見に感じ入ったということもあるだろう。しかしそれでは議論の練習にならないのだ。相手の主張がどんなものかを見定めて、それの弱点を見つけて議論しなければならないのだ。

 それにこういう深刻な問題についてあまり考えたこともないのだろう。「殺人を犯した犯罪者を長く牢屋に入れておくと経費がかかって大変だから死刑にしてしまうのがよい」などどいう乱暴な意見しか相手は用意していなかった。私たちの方は、「生存権が一番大事な人間の基本的な権利でそれを奪った殺人などの犯罪者はもちろん許しがたい。だから一生牢屋に入れておくのはよい。しかし、逆に司法(政府の一部)が何の権利があってその同じ殺人を許されるのか不明である。」ということを一番主張のポイントにしたので、常にその観点から相手を批判した。

 気持ちを込めない言葉の形式的な使い方を言語主義という。練習の意味もあるから一概に言えないのだが、ことばの獲得は気持ち主義とこの言語主義との折り合いをどうつけるかに帰趨がかかっている。英語圏の人たちは母国語でさえ永遠にこの課題に挑んでいるように見える。ブレストにしても、議論にしても、デベートにしても西欧文化のものである。教育の中で練習を重ね、実際そういうことに立ち会ったら、その中から光る真実を見つけられると考えている。けれども議論の中からは真実は見つからず、ただ喧嘩になるだけ、というのが特に私たちの風土であるように思う。熱くなってしまって冷静さが保てない。メタファー思考が苦手なのである。そういうことを討論の授業を通じて考えた。

 私も自分の気持ちと違う立場のグループにいたら、昨日ほど意見を上手に言えたかどうか分からない。

いよいよ最終日、最後のスピーチをしなければならない。感傷的になっている暇はない。そのためにスピーチがあるのかもしれない。いい考えだ。

英語で習う英語と日本語で習う英語とは違う

2008-11-20 09:49:33 | Weblog
 英語で習う英語と日本語で習う英語とでは全然印象が異なる。グラマーを習って更にその考えが深くなった。今、最後に習っているのは、modal助動詞である。 Will、must、can、should、mayなどである。日本語で習うということはこれらをも訳すということになる。
 
 印象が違うという例を挙げる。私は鮮明に覚えているのであるが、shouldを「すべきである」と訳すと習った。そしてhad better これも modal助動詞の一つだが、「した方がいい」と訳すと習った。双方、アドバイスの機能がある助動詞であるが、日本語の場合、
  すべきである → 強いアドバイス
  した方がいい → 弱いアドバイス
といえる。ところが、英語では、
  should(すべきである-日本語訳)   →  弱いアドバイス
  had better(した方がいい-日本語訳)  →  強いアドバイス
なのである。

 つまり訳読式(日本語に訳して習う方式)でならった意味と英語で習った意味は逆転しているのだ。単に私が習った英語教師が間違えて教えた、と思う人もいよう。しかし、それなら別の例で考えるとしよう。will と must これは見込み・確率の機能があるものだが、それはどちらが確かさが高いか。日本訳で考えた場合、「will-だろう」「must-に違いない」と訳しているが、英語では will の方が確かさ(certainty)が高いのである。しかし、日本語では「に違いない」の方が明らかに確かさ高いようにみえる。

 言葉は文化だなと思うのはそういうことが分かったときである。訳しては駄目だなと思うのもそういう時である。訳してしまうと訳した方の言葉の文化基準でものを考えてしまうのである。だからだんだん元の意味から離れ、ゆがんでいってしまう。日本語を外国人に教えるときもそれはいえる。英語で教えれば、英語文化で日本語を考えるように仕向けてしまうのである。

 言語教育では、直説法で習うのがよいという主張はそういうところから来る。私は、直説法指導に賛成である。英語を習ってみるとこうしたいろいろなことに考え及んでいく。直説法では、最初が大変である。媒介後を使わないわけだから、最初から獲得させたいその言葉で教えなければならない。教師も学生も大変である。しかし、実物を使ったり、ジェスチャーを使ったり、絵を使ったりして補えることはいろいろある。なぜ直説法で教えるかの趣旨説明を最初にしっかりして了解を得て、3ヶ月から6ヶ月双方我慢し合ってがんばれば、後は却って早く言語獲得ができる。実験してみればすぐわかると考えている。

髪が真っ白!?

2008-11-19 09:52:56 | Weblog
 髪が真っ白になった、というのはちょっと言い過ぎである。中国に「白毛女」というお話がある。若い女性が地主にとてもひどい目に遭わされて、一晩で髪が真っ白になったというお話だ。年甲斐もなくシニア留学などして苦労したから髪が真っ白になった、と言いたいわけではない。もともと中年の頃から真っ白だった。きっとその頃、多分ストレスが多く苦労した(?)のも知れない。

 昨日、思い切ってオージーの人が経営するヘアーサロンに行ってみた。髪をバッサリ短くしてオーストラリアに来たのだが、やはり2ヶ月経つと伸びる。襟元、耳元がうるさくなってきたのである。来た当座、昼間は暑かったが、朝晩や日陰は涼しく、汗などかかなかった。しかし、夏(12月~)が近づくにつれ暑さが増し、ベトベト(夏と一緒に雨季が来る)し、汗もかくようになった。頭から汗が噴出してくることもあった。手の甲に薄っすらと汗が出てくることもあった。日本の暑さとちょっと違う感じである。

 来るまではヘアーサロンに行かなくてもいいようにとセシールカットに近い髪型にしたのだった。でも長くなり我慢ができなくなって昨日行ってみた。それにそういう普通の生活の場所で英語を使うこともいい体験だとも思った。あんまり上手ではなかったが、おしゃれにこだわる方ではないし、痛い思いがなかったし、短時間ですんだのが幸いだったので良しとした。

 退職するまではマニキア(?)とかいうのをしてもらっていた。真っ白を隠していたというべきかも知れない。以前から、退職したらそういうものをしないと決めていたから、だんだんに色が取れるように少なくしてもらっていた。それがここにきて殆ど色が取れ地毛に戻った、そして色が残っている部分をカットしたので、殆ど真っ白になったというわけである。宿舎の一つ手前のバス停にヘアーサロンがある。昨日そこによって切ってもらった。宿舎に行ったら、子どもたちがみんな「髪切ったの?」「ビックリした!」と驚いていた。ここの子どもたちは髪が長くなるとシティ街の日本人経営のヘアーサロンで切ってもらうらしい。オージーの店で言葉が通じなくて変な髪形になってしまうのはいやだと言っていた子がいた。

 とにかく、冒険をしてみた感じがある。日本でよくみる白髪の人が紫色にマニキアをしているのを見かけたことがあるが、冒険のついでに、いっそ帰るまでに同じように紫にしてみようかな!?こちらにそういうマニキアがあるかどうか知らないけど…。

 おまけに今日は大雨、雨季が来たようだ。帰れるかな?

飲茶と植物園

2008-11-18 11:32:24 | Weblog
 日曜日、宿舎の校長の娘さんご夫婦にケアンズで一番おいしい飲茶のお店に連れて行ってもらった。とても大きな店であったが、入れ替わり立ち代わりお客が入ってきて混んでいた。2階では宴会でもあったのか、太鼓の音が聞こえた。人口が少なくて客の入りが期待できず店も日曜日は休みがち、ということを昨日記入したが、ここだけは別のようであった。飲茶の中国料理店だから、無論昼の時間の営業である。おいしいという評判が広がれば、こうしてお客は集まるのだなと思った。

 アジア人のみならず地元オージーの人たちも半数を占めていた。たいしたものだと思った。休みの日には、遅くまで寝て朝飯を抜き、昼もかねて食事を取るブランチという習慣が西欧にはある。その習慣と飲茶のおいしさとマッチして繁盛しているのかもしれない。オージーの人たちも上手に箸を使っていた。あまりお酒を飲んでいる人たちはいなくて、子どもも多かった。カップルらしい人もいたが、基本は家族連れが多いのだろう。

 えび料理が得意の店だとご夫婦に教わり、蒸し物・揚げ物・焼き物・炒め物をそれぞれ頼んだ。餃子は日本の方がおいしいといってお勧めではないそうである。頼まなかった。生簀があるのを見つけ、聞いてみるとマッドクラブという大きな蟹だということであった。せっかくケアンズで一番おいしい店に来たのに珍しいものも一つぐらいは食べないと、ということで頼んでみた。揚げもので料理されてきた。薬味のネギがいっぱいまぶしてあったので、それと一緒に食べるのだろうと思って食べてみると、本当においしかった。

 ご夫婦のだんなさんの方は、宿舎の料理長である。蟹味噌は?とさがしていたがないようで、どうしたのかな、賄いで食べちゃったのかななどと料理人らしいことを言っていた。この店のオーナーと知り合いで、店を出す前に宿舎の料理をアルバイトで作ってもらっていたことがあるそうである。まだ若い人のように見えた。今はこうして大きな店をだしていることを「たいしたものだ」と感心していた。実際たいしたものだ。
 店の隣にビール工場があった。試飲ができるそうである。知っていれば、姉・姪が来たとき連れてこれたのになと思った。後の祭りだ。

 帰りがてら、途中にある植物園に連れて行ってもらった。街に近い熱帯雨林の中に公園としてかなり広い範囲で庭園として造られていた。100年前ぐらいにある資産家個人が熱帯雨林を囲い込んで、アジア系の竹なども移植して造られたという。フレッカー・ガーデンである。名前はその由来かもしれない。今は、外来種植物を極力入れないように空港であれだけ厳しくしているので、外来種移植はできない。広すぎて全部を見て回ることはできなかった。ご夫婦の奥さんの方が植物の名をいろいろ知っていて教えてくれた。葉が真っ赤になる木は、学名はどうだか分からないが、通称「クリスマスの木」と呼ばれているそうである。クリスマスの頃が見ごろだからであろう。地元に住んでいる人に連れて行ってもらわなければ知らないところばかり行って大満足の日曜日だった。

プレゼント用のリボンを買い、考えたこと

2008-11-17 09:43:29 | Weblog
 昨日ようやくシティに行ってプレゼント用のリボンを手に入れた。クリスマスが近いのでクリスマス商戦華やかである。サンクスカードも買った。リボンは不細工な結び方しかできなかったが、ないよりましだと思って良しとする。

 クリスマス商戦華やかなのだが、土曜日休んでいる店が多い。開いている店も昼で閉める。そういえばフリーマーケットも土曜・日曜は半日だけだった。日本なら、お店のような小売ビジネスなら土・日こそ長く店を開ける。働いている人は土・日に買い物に出るからだ。店で働いている人も土日は休む権利があってそうするのかと思っていたが、それもあるかもしれないが、どうも人口との関係かなとこの頃思っている。

 オーストラリアの人口は2200万人ぐらいだったろうか。ケアンズは市内だけの人口かもしれないが10万に満たないそうである。つまり人口が少ないのである。ケアンズは日本では有名である。自分にとって有名な場所は大きいと思いがちだが、実は最初ケアンズに来たとき、なんとこじんまりした市町だと思った。オーストラリアは土地が広大だからなんでも小さく見える、こじんまりと見えるということはあるだろう。しかし、高層建築(規制があるからであるが)はないし、ペタッとした印象の町である。個人の家でも2階建ては少ない。平屋が多い。土地が広ければコストがかかる2階建てにする必要はないのだ。だからペタッとした印象になるのである。

 人口が少なければ自然そうなる。この頃そう思っている。人口が少ないということはお客が少ないということである。観光客は呼び込めば呼び込むほどよいが、それも限度があるだろう。つまり最大限のお客を見込んでもそのパイが小さいということがビジネススタイルを限定しているのだ。

 オーストラリアには国独自の自動車産業がないと聞いた。オーストラリアは土地の広さに比して公共交通機関も発達していない(これも建設コストと利用客の関係で限定され、建設できないのだ!)し、生活に自動車は欠かせない。それでも自前の自動車産業が創出できないのである。トヨタが自動車工場を造ったとか、造るとか聞いた。日濠合同かもしれないが、自前ではない。それは自前で自動車産業を興しても人口が2000万ちょっとではコストに見合うビジネスができないというのである。自動車産業は大きな産業である。大きな産業は大きな人口を有していないと起こせないのではないか。1億3000万人もいる日本と客数のパイが違うのである。経済の構造は人口数でも違ってくるということだ。

 小売も同じで、10万に満たないケアンズでどこの店でも年中無休、しかも朝から晩まで全日というようなやり方は無駄が多いと考えられているのではないか。フリーマーケットは金・土・日だけ、土日は午前だけ、普通の店は土日午前だけ、スーパーも土日は夕方4時に閉めると聞いた。逆にナイトマーケットというのがある。夜だけ開くらしい。夜は出かけたことがないので見たことはないが、名前だけからするとそうに違いない。そういうことがお客に徹底して知られれば、お客はその時間に行けばよいと考えられているのだろう。つまり時間の棲み分けである。観光客もそういうことを予め頭にいれていけばいいのである。

 リボンを買いに行っただけで、人口と経済構造の関係まで、多くのことを考えついた。海外へ行くと「オヤッ?」と思うことにぶつかりやすいので、そこから「なぜかな?」と考えはじめ、多くのことが学べるということだ。面白い。

未来形の基本は4つ

2008-11-16 14:40:37 | Weblog
 英語の未来形というものを系統的に習うと,学校で日本語で習ったときのイメージとやはり違う。時間というものをきちんと入れて習わないと駄目だということがわかった。
 未来形の基本が4つある。

①現在形を使うとき → 時刻表などのようにタイムテーブルが決まっていて、
         バスは○○時に出発だ、というときには現在形で未来を表す。
  例:The bus starts at 6pm.(話している時間は午後6時以前)
②willを使うとき → 根拠無しの予想や話している最中にこうしようと思った
            こと(new idea)を表すとき、未来形willを使う。
  例:I’ll be there tomorrow.(話している差中に「じゃ明日行くわ」など)
③is going to ~ を使うとき → 根拠がある予想や一般意思や話す前からこう
    しようと決めていたこと(old idea)を表すとき、is going to ~を使う。
例:I’m going to be there tomorrow.(話す前に「明日行く」となっている時)
④is ~ingを使うとき → 現在進行形is ~ingを使って未来を表すのは、相手
       との約束などがもう決まっているときの未来を表すときに使う。
 例:I’m seeing the doctor tomorrow.(「明日医者へ行くのよ」などの場合)

 後は未来完了形、未来進行形など未来形と完了形・進行形などが合わさった場合があるが、複雑で今説明するのは難しい。私も試験でいつもつまずく。上述基本の4つの未来でさえ、状況によってはいろいろに使い分ける。文章で表されている状況がどれなのか見当がつかないときがあるのだ。こういうことは、実際に使っていかないと身につかない。

 たとえば、willを使っていろいろ予想を立てて見ろと言われて、丁度金融危機でメディアが取り上げていたときだったので、世界金融はいずれ壊れる、ストックマーケットが荒れているので。と言ってみた。そしたら、それは、その兆候が証拠としていくつも挙げられるだろうからwillではなくてis going to ~の方がいいと言われた。単純憶測と根拠のある予想との違いである。やはり実際の例に落とし込んでみないと言葉の機微は分からないものである。そして使わないと駄目だ。

 完了形もそうだが、時間感覚と根拠をしっかり会話の中で表す、後先前後しても時間の関係がしっかり分かるようになっているのが英語であるということがわかった。しかし、悲しいが今はそのようには使えない。日本語ではこんなに時間感覚と根拠を厳しく考えていないと思われる。西欧系の思考とアジア系の思考の違いが「時間」「根拠」にもあるのか?「因果関係を常に考えること」と「時間をしっかり考えること」とに何か西洋と東洋の違いが凝縮されているようで面白い! しかし、哲学まで踏み込まないと解けそうもない。