シニア留学風土記

リタイア後、日本を脱出して世界を散策したいと旅立つ。英語生活の勉強も兼ねている。その様子を書き綴る。

明治期戦争と昭和期戦争のあいだと異文化理解

2009-01-12 09:47:08 | Weblog
 日露戦争の勝ち戦の記憶が、昭和期、戦争につきすすむ心理を形成したという指摘がある。保阪正康『あの戦争は何だったのか』もそのようなことを書いている。
しかし、日露戦争(1904-05年)は、ジェイコブ・シフという人に莫大な戦費を出してもらって辛うじて戦勝した。シフとその背景にいるものがロシアを叩こうと考えていて日本にそれをさせたと言われている。シフはユダヤ人富豪である。戦費を出してもらったといっても、借款(借り入れ)である。莫大な借り入れなので戦勝したといっても返還したら殆ど残らなかったといわれている。その他の戦争は、調べなければならないが、西欧列強も自らの植民地獲得で忙しかったから、ドサクサにまぎれて極東の国を植民地にしてしまったり、西欧から黙って放って置かれたり、シフのような援助を受けたりしたと考えられる。

 明治維新以降の日本は、多くの戦争を起こした。明治期の戦争が殆ど勝ち戦だったことが、明治時代の人たちは偉かった、という評価に繋がっていないだろうか。それに比べ、昭和期の戦争は負け戦が多かったという点が、駄目だという評価になってはいないだろうか。私はそういう捉え方に疑問を持っている。日本は、西欧文明化に邁進したと同時に帝国主義領土拡張路線も西欧の真似をするようになったからである。弱い国を侵略してその土地を奪い、その国民を奴隷に等しくこき使い、日本の利益につなげるのがいいことだとは、私は言えない。西欧もやっていたのだからいいのだという考え方もあろうが、同じアジア人を植民して、そう理屈をつけるのは、アジア人からすれば憎さ100倍になるといえないだろうか。だからいつまでも断罪を受けるのだと・・・。

  帝国主義によって他国を植民地にするという方向が、西欧と肩を並べて西欧との利害と衝突したとき、欧州各国は日本の植民地獲得を許さなくなってきた。昭和に入って中国本土に入り、満州国を作って植民地にしたときからである。西欧は満州国を認めなかったのである。以降、日本の世界での位置が狂っていき、敗戦まで突き進む。
 
 文明発展の西洋の常識と言われた3段階について前に記入した。福澤諭吉も同調していたと述べた。文明国、半文明国、未開国規定である。文明国は進んでいるのだから半文明国や、未開国を差別し、差別的な条約を結ばせるのは当然としていたそうである。(牧原憲夫『文明国をめざして』)幕末開国期の不平等な条約締結はそうして結ばれた。 植民地にしてそこの人々を殺したり、こき使ったり、本国の利益追求をしたりするのも当然だとしていたのではなかろうか。文明国の西欧は、半文明国の日本を差別的に扱い、半文明国の日本は未開国のアジアを差別する、これほどの悪循環はあるまい。悪循環は断ち切らなければならない。

 正月番組で、日本のタレントがアマゾンの奥地の人々に会いに行くというのがあった。その人たちは洋風の半ズボンをはいていて、その説明で「自分達の伝統ではこういうものをはかないだが(腰みの?をつける)。そうじゃないと(文明人に)ガンで打たれるから(しょうがなくてはいている)。」と言っていた。21世紀のこの時期でもそういうことがあるとは、と驚いてしまった。オーストラリアのアボリジニは、伝統としては腰みのさえないのではないかと思う。相手の文化を尊重するとはなにか。昨日記入した映画「Instinct」で主人公の博士がゴリラと一緒にいるとき、雨の場面で博士が大きな葉っぱを頭の上に乗せて雨を凌いでいたが、ゴリラは勿論そんなことをしておらず、それを見て博士は葉っぱを取る。そして濡れるままでもいいじゃないか、それも自然の恵みと思えばありがたいというように、ゴリラの文化を享受する。たいしたことでなければ、自分の文化を脱ぎ捨てる象徴のような場面だと感じ入ってしまった。その時のアンソニー・ホプキンスの演技は本当によかった。究極の異文化交流の意味を教えられた。文明の低いものは文明の高い国からどんな扱いを受けてもいいのだとなれば、地球は終わりだ、と考える。(長くなるので、あと1回、今日中に記入する。)