シニア留学風土記

リタイア後、日本を脱出して世界を散策したいと旅立つ。英語生活の勉強も兼ねている。その様子を書き綴る。

運用力がつかなくてしょんぼり

2008-10-31 11:27:29 | Weblog
 運用力がつかなくてしょんぼりしている。明らかに運用力(使う力)と理解力(分かる力)は違う。あることを習う。その時は分かったと思う。それを使ってみる。するとできない、というあのプロセスである。何でもそうだったが、ここでまた思い知らされる。

 完了形は難しいからまず理解だけできればいいと思うのだが、それだけじゃ悔しいから使ってみようと思って試す。すると間違ってしまう。これをどうしたものか、考えあぐねている。「自分がであった危険な状況」という題でエッセイを書かされた。昔のことだから沢山完了形を使ってみようと試してみた。自然に身についたものでないことを無理やり使うと駄目だなと思った。完了形の部分、たくさん間違えた。間違えれば二度と間違いをおかさないかというとそうはいかない。また間違える。その繰り返しである。

 「運用力(使う力)」その学習と育成の仕方、オーストラリアで本当に知りたかったことはそれだ。しかし、取り立ててこれはと思う学習の仕方、指導の仕方は見つからない。だから自分でも力がついていないことを認識するのだ。時間が限られている。効果的な方法を見つけようとあがくが、なかなか難しい。

 そんなこと嘆いてみてもしょうがないことではある。自然に使いこなせるように是非なりたいものだ。若い人はその点マスターが速い。理解力は年配でも負けないつもりであるが、使う力を身につけるのはかなわない。エルコノン・ゴールドバーグをまた読もう。年配になるほど賢くなる、という主旨の本を書いた人である。それは主として理解力のことであるが、それをうまく使って運用力を身につける方法がないかどうか、帰国したら探ってみたい。(帰国モードになってしまった。)

 さて今日はプレゼンである。そんなことで嘆いてはいられない。隣のクラスが参観にくることになった。隣のクラスは発表はしないという。アンフェアである。同じく発表するならOKなのだが…。

今週卒業の学生と

2008-10-30 11:44:42 | Weblog
 今週卒業の学生と話した。日本人だ。6ヶ月で話せるようになったという。20代前半の学生だ。オーストラリアに来るまでは全然話せなかったそうだ。その人の姿勢がすばらしい。私が日本語で話しかけても絶対英語で話す。そういう姿勢が上達させたのだろう。

 20大前半の学生であれば、基本的に英会話を習えば6ヶ月で話せるようになるのだ。いいデータである。あまりクラスでは積極的に見えないが、まじめに取り組んでいる様子が見える。休み時間になると仲のよい韓国の若い学生と必ず英語で交流している。それが会話力を向上させたようだ。方法は何でもよい。こうしてかならずものにするという風にすれば言葉の獲得(まず話すこと)は可能だということだ。子どもならうまく行くとその半分でも可能かもしれない。子どものほうが耳がいいし、獲得が速いからだ。

 こういう小さな材料でも実証になる。取り組みもしないで、そんなことできないという向きに聞いてもらいたいものだ。お上の考えもややもするとそれに近い。統計的なことを考えるからだろうが、一つ一つの事例でそれがどうして可能になったかを検証しながら教え方がどうだったか、教える内容はどうだったか、振り返るべきである。日本語教育(外国人に教える日本語)でも同じだと思っている。国語教育(日本の学校で教えられている日本語)でも、日本語教育から学ぶべきことはたくさんあると思っている。子どもは外国人と同じと思えば、教え方はいろいろ違ってくる。

 明日のプレゼンの準備をしなければならない。今日は放課後グループの人と調整をする。どんな発表になることか。なんだか眠いけど…。このところ、やや寝不足である。

一期一会だから交流をはかる

2008-10-29 14:52:15 | Weblog
 あと3週間を残すだけとなり、たとえ偶然であった人とでも交流を図る方がいいと思うようになった。一期一会である。会話の練習のためというより、みんなどんな考えで英語を勉強しているのかな、どうしてここに来たのかなということを知りたくなったのである。おおむね英語でではあるけれど、実際のコミュニケーションをしたくなったのである。

 この間は宿舎で働いている人と食事をした。若い女性でワーキングホリデイでオーストラリアに来ている。今週で宿舎を去って次の職場に移るというので、話すことになった。お互いなぜオーストラリアに来たかということなどを話した。祖父の生きた時代を知ったことから歴史に目覚め、もっと世界を知らなければと海外に出たという。ワーキングホリデイを使う若人が多いと聞いていたが、それぞれに人生があり、理由がある。日本での若者の居場所が狭くなっていることも関係していると思った。来てみて視野が開けたという。そしてこれから可能な限りいろいろな経験を重ねて行くと言っていた。話してみるといろいろな生き方が学べる。若い人からも学べる。そういう環境に感謝しなければならないだろう。

 いままでこのブログを記入するのに学校のPCを借りたり、宿舎のものを借りたりそれも時間が限られているのが大変だった。授業が少し疎かになった。本末転倒である。持参した携帯をインターネットで試してみたら、通話はできないのにインターネットだけはできた。今頃じゃと思うけれど、過ごし方を変える時だったので、助かった。ただ、パケット代が毎回々々表示されるので心臓に悪い。しかし、交流の意義に代替できないので、少々高くても国際携帯を使うことにした。ワードで記入しておいて、それをコピーペーストしてアップすればよいのである。繋いだまま記入していたらとんでもない金額になったのでそれはもう止めることにした。

 今日は、昼食時たくさんの人と話した。韓国、チリ、スロベキア、ブラジル、イタリアの人々とである。今週になって入ってきた人もいる。みんなそれぞれの理由で英語を習っている。真剣である。でもユーモアを忘れない、素敵な人たちである。ブラジルの人が日本語が書かれたTシャツを着ていたので、それを大きな声で「ワオ、あなたは日本語のTシャツを着ているのね」とラフにやりとりした。そういうことがなかなかできなかった。イタリアの年配の人は、文法に苦労していると言った。私はリスニングに苦労しているのよ、返した。誰でも苦手はある。目的が話せるようになることなので、文法学習が多いことが少々不満のようであった。先生の評判もそこでは話される。学生との相性がやはりあるなと思った。

 交流してみて気がついた。実際のコミュニケーションだからか、自然に会話ができるのである。練習のためなどと言っていると、やっぱり仮の会話になる。真剣な味が出ない。大げさに会話をする国の人にはそれ合わせて大げさに会話し、小さい声で話す人には、小さく話す。そういうことが自然にできるようになったのである。自分でも不思議な気がした。少しは学習の効果が出てきたのかなと思ったぐらいである。完了形のまとめも努力するにはするが、交流も最後にその気になって積極的にやってみることにした。年配だからだろうが、ありがたいことにみんな大事にしてくれる。

 人間誰でも大事にし、尊敬をしてもらえば居心地がよくなるものである。
「いつでもニコニコしていますね。」と宿舎の人と話したとき言われて「初めてだな、そんな感想は」と思ってビックリした。日本では、いろいろあって、いつもしかめっ面をしていたと思うのだが…。これが私の海外渡航の理由かな

リスニングも悲惨

2008-10-28 05:26:12 | Weblog
 意味が分からない語彙が半分以上になるとリーディングもパニックになる。昨日その経験をした。午後の授業がまたIELTSテストのリーディング対策だった。2000WORDS~2750WORDSの文章を読んで理解し、質問に答えるのである。時間は20分。この「時間を限られる」というのが一つのパニックの原因でもある。訳読式で力がつかないのもそういう時間感覚を育てられないからである。無限に時間があるのなら何時間でも辞書を引いて理解すればよい。しかし、現実の生活はそれを許容しないことが多い。趣味で読書をするぐらいなら時間の感覚を育てる必要はないかもしれない。しかし現実に特に仕事などで役立つように力をつけるなら時間間隔は必要である。

 今回は「日本の英語教育は英語を話せるようには力をつけなかったけれど読めるようにはした」という巷の常識を根底から覆す経験をさせられた。テストのことだから極論だと思われるかもしれない。しかし、では新聞を、普通の趣味本を、業務上の手紙をサッと辞書を引かずに読めるようにしたかというとできていないのではないか。それが問題である。

 昨日の文章は「鯨種の5感覚について」であった。科学的な文章である。半分以上語彙の意味が分からなかった。そうすると何がなんだか分からないので、パニックになる。そうするとますます理解するということから遠ざかる。特に、私は実際に試しのテストをしているのだということが最初分かっていなかったので、ますます慌ててしまった。途中で質問に答えるのだと分かって答えようとする頃には20分という時間が終わろうとしていた。まことにもって悲惨だった。

 語彙を増やすことも必要である。読み物も普段から読んでおくことも必要である。4技能(読み、書き、聞き、話す)をバランスよく、という従来のお題目を主張する人にそれ見ろといわれるかもしれない。しかし、これも「聞き話す」力をつけてからだという自分の意見を変えることにはならない。やはり「読み書き」は後から教育すべきである。「4技能バランスよく」の主張は、どの力もまともにつけてこなかったというのが今日の主旨だからである。

完了形は話を興味深く陳述するため

2008-10-27 11:49:32 | Weblog
 完了形は話を興味深くするためにもあるそうだ。そういう説明を始めて聞いた。センテンスの順序を変えて叙述できるのが完了形である、というのだ。

 単純な過去だけで表現するとただ物事が起こった順序でしか書けない。だから後で起こったことを先に書いて、その前に何をしていた、何かをしていた間に何々が起こった、などとあとさきを入り混ぜて書くのである。そうすると強調点やポイントが何かをハイライトして表すことができる。

 何か英語の真髄に迫ってきた感があるので、授業が楽しみである。

 単純過去や単純現在だけだと話に深みが出ないという訳だろう。そういう書き方を教師は「つまらない」といった。リスニングの難しさが年のせいだけでもなさそうだというのが感じられた。完了形を使った話でも文章でも物事の順序に従っていないわけだから、聞いているほう、読んでいるほうは混乱する。英語がアドバンスに行く前で上達がストップするのも理由がこの辺にありそうだ。アッパーインターミディエイトになったら、完了形を使いこなせなければいけないと言われた。それで何度も何度も学習しているわけだ。

 こういう日本語とその文化、英語とその文化の違いを言葉の学習を通じて感得できるとは思いもしなかったので今充実感がある。午後の授業が始まるのでここで止める。中途半端、相済まぬ。

フラフラするほど勉強

2008-10-26 20:15:20 | Weblog
 今日は一日中フラフラするほど勉強してしまった。まず大きな宿題、アカデミックなエッセイを書いた。

「人類はみな菜食主義にするのがよい」
「交通事故を減らすためライセンスを与える前に若者に安全教育を徹底すべき」
「森林は地球の肺だから守るべきである」
「観光振興は環境を壊すもとである」
「5歳から15歳までを世界の義務教育にすべきである」
「動物園はひとつの動物保護の環境といってよい」
「18歳以下でも不良少年などを一掃するため監獄行きにすべきである」
「英国の警察は銃を携帯しない」

 これらの一つを選んで反対か賛成かの意見を書けというのだ。私は最後の「英国の警察は銃を携帯しない」を選んで書いた。300WORDほどになった。実際の試験では40分で仕上げなければならないそうだが、2時間ほどかかってしまった。まぁ今回は宿題なのだから仕方がない。どれも大きな問題なのでそう簡単に書けるものではない。但し書きに「自分の立場に理由を付し、的確な例示を挿入して書け」と書いてある。書き終わるとフラフラした。

 その他、完了形have+PPの文法をノートにまとめた。単純過去との違い、進行形との違いなどの細かいルールがあることがわかった。単純過去は現在と関係がない。完了形はともかく現在と関係があるときに使う。進行形は現在そのものであるが、現在完了形と進行形は近い関係にある。時間の概念が細かいというのが印象である。日本語訳でしか習わなかったときはそんなこと分からなかった。このまとめも途中でフラフラしたので、そこで止めた。あまり無理をすると目も耳も駄目になりそうなのでいい加減にしなければならない。しかしあと少しなので欲が出ているのである。

 今日はフィリピンのプレンゼンの準備ができなかった。明日にしよう。

グループでプレゼンの準備-不思議な偶然

2008-10-25 11:32:34 | Weblog
 またプレゼンテーションがある。誰かが学校を辞める時を卒業と言っている。それでクラスの誰かが卒業する時に必ずプレゼンテーションをするらしい。卒業生だけでなく残る在校生もついでに発表するのだ。この前入学したばかりの頃に行われたプレゼンも卒業生がいたために行われたらしい。そういうことがその時は分からなかった。だから慌ててしまった。

 しかし、今回はグループで来週発表することになった。二人の学生が来週で終了する。ついでに私たちも発表する。テーマは「次のホリデイ旅行」である。グループで発表要綱を作るわけだから、仮想でよい。私たちは3人の女性ばかりの組になった。チリ人と韓国人と私の3人である。他はみんな2人ずつの男性のグループである。各グループに分かれて生きたい国を決める。私たちの組は自分の国でないところに決めることになった。韓国の学生が「フィリピンはどう?」と言ってくれたので、それに決まった。彼女が以前行ったったことがあるらしく、薦めてくれた。

 そのリサーチが面白かった。ウキペディアでフィリピンを探し、背景・歴史・人々・見所・たべもの・特産品(みやげ物)などなどがみな記入してある。英語なのでそれを読むだけで精一杯だし、十分である。私は背景と歴史を受け持つことになった。

 昨日それを読んでいて、何だかどこも同じ歴史過程を踏んでいるなと感じた。500年ぐらい前にヨーロッパから宣教師が来て、そのあと植民地化されて大国同士の取り合いになり、先住民が巻き込まれ、今に至っていて、あらゆる紛争がもともとはそこに起因している。フィリピンは島々が寄り集まって出来ている国である。7000以上もの島で成り立っているという。人口は9000万人、他に1100万の海外で暮らす人々がいるそうだ。大きな国である。そんなに大きいとは思っていなかった。

 北に住む人々がカソリック教の人が多く、南にはモスリム(イスラム)教の人が多い。南には先住民の人々が多く住んでいる。この南の人々が独立を望んでいる。そこに紛争の根がある。21世紀は宗教の衝突の世紀だと言った人がいたが、違う。宗教は歴史の底にある紛争の種の人々を取り込んでいるのである。それが宗教の衝突のように見えているだけだ。

 最初にヨーロッパから来た人の名はマゼラン、ポルトガル人である。その後すぐスペインがフィリピンを植民地化する。長くスペインの元の植民地であったが、米西戦争の後、今度はアメリカの植民地になる。フィリピン人の多くが英語を使えるのはそのためである。

 不思議なことが起こるものだ。そのテーマでリサーチが終わって帰りにバスを待っていると中年の女性が話しかけてきた。「中国人か?」と聞かれた。「日本人だ」と言って「あなたは?」と聞くとフィリピン人だと答えた。あら不思議と思ってそれから学生であること、いろいろフィリピンのことをリサーチしたばかりだということを話すと、火山が有名よとか、ことばはカタログ語が公用語で部族ごとの言葉がたくさんあって、共通語が英語よなどと私の持っている情報を補ってくれた。しばらくすると私の方のバスが来たので乗っ別れた。偶然ではあるが、不思議不思議と思いながら帰った。きっとプレゼンがうまくいく徴(しるし)だ。偶然をありがたく思うことにした。

年の功を発揮してなだめる

2008-10-24 11:44:42 | Weblog
 クラスで若い学生がアカデミックなエッセイの書き方がつまらないと先生に向かって言ったので、つい我慢が仕切れなくて、「今あなたは若いから意義がわからないのだろうけど、将来役に立つ時があって、いずれきっと先生に感謝すると思うわよ」といってしまった。アドバイスとも警告ともなだめたともいえることを授業の中で、つまりみんなの前で言うことになろうとは自分でも思っていなかった。先生もきっと先生をさしおいていう学生はあまりいないだろうからびっくりしただろう。昨日のことだった。

 その学生は、普段からしょっちゅうそのようなことを口に出して言う学生だった。だから黙って見ていられなかったのである。しかし言った後、ずっと気になっていた。だから、今日会ってすぐ「ゴメンネ」と謝った。「先生もいろいろ苦労しているのよ、だから両方の立場が分かるので言ったのよ」と。クラスで変な雰囲気が残っていたり、彼がそれにこだわっているとと困ると思って、謝ったのだ。授業はよく流れていたのでよかったと思った。

 先生の方はといえば、問題がある。いっぺんにいろいろなことを教えようとしている。だからみんな分からなくなる。一つ一つ細かく分けて教えればいいのにな、と学生の側からみると言いたくなる。今度チャンスがあったら、「もし私が先生だったら…」と仮定法過去を使っていって見ようかなと考えている。英語でこのやり取りが行われたことを自分でもびっくりしている。その学生は韓国の学生だ。英語を使わざるを得ない。でもその子はこちらから見ればすっきりしたように見える。
よかった。

為替レートの違いを体験

2008-10-23 11:51:39 | Weblog
 株が大嫌いな私は、世界の株式の乱高下のことをニュースで見るにつけ関係ないと思ってきたが、昨日自分で為替レートの違いを実感してみることにした。学校の帰りに市街(家の方向と逆)に行って、自分で替えてみた。

 私がオーストラリアに来る前に替えた時は、103円だった。このごろ、一番日本円が上がった時で63円、上がり下がりが続いているが昨日は73円だった。つまりおよそどういうことになるかというというと次のようになる。
  1)100円の時は、3万円が300ドル
  2)60円の時は、3万円が500ドル
  3)70円の時は、3万円が約410ドル
になるということだ。買い物に明らかに差が出る。

 宿舎の人や学生が騒いでいた意味がよく分かった。

夕方だから、どこに交換所があるかよく分からず、最初に見つけた銀行で交換した。やや損をしたらしいが面白いことが経験できた。パスポートが必要だったのである。知らなかったので、パスポートは持参していなかった。そこで、IDカード(学生証)なら持っているとねばり、見せると”O.K.”と言ってコンピューターに向かっていろいろ入力していた。4万円持っていたのでそれを全部替えてみようと思った。ところが、計算しているうちに4万円が500ドルを越したので、IDカードだけでは、500ドルを超えるお金は替えられないと言った。新しい法律があるなどと言っていた。

 事情はそうであるかどうか不明なので、3万円でよいと言って替えてもらった。
日本にいたらこんなことはあまり興味なかったのであるが、学校が終了したら1週間帰りまで余裕を見たので、とても高い観光地だと聞いていたエアーズロックにでも行こうと考え、差額で楽ができればいいなと考えた。

 エアーズロックはアボリジニの聖地でもあるので興味がある。行きたいと思った観光地はそこだけだ。

アカデミックなエッセイの書き方で論を張った

2008-10-22 15:51:33 | Weblog
 午後の授業はアカデミックなエッセイの書き方の授業であった。色々手順を踏んでから書くので今日はまだ書いていない。が、書き方を教わるうちに論を張るのである。それが面白かった。議論の余地があるものがトピックに選ばれる。例の試験IELTSの対策のための授業である。

 日本で言う三段論法に似ている。キチンと論の張り方を習うので、その順番に従って書けば十分アカデミックなトピックでも書けるようになる。こういう授業が日本語教育でも欲しいなと思った。意見を持っていれば書ける。この「意見を持っていれば」が難しい。または「そもそも知らない」とそれは難しい。

 書き方としては
1)自分の立場(拠ってたつ意見)
2)意見の提示(その立場による意見)
3)それをサポートする意見
4)実例・実証拠・実証明など
5)結論
の順に従って書けばよい。

練習の手立てとして、いくつかトピックを考えた。
①我々は絶滅寸前の種を守る必要はない。弱肉強食の世界は自然なものである。
②技術は環境問題をいずれ解決する。
③遺伝子操作による食物は未来のたべものである。
④原子力発電は唯一のきれいで効果的な燃料である。

 これらを教師が全部賛成の立場の違憲を強く打ち出す。それに意見を出してみよというのである。いずれも大きな問題なので、なかなか意見を出しにくい。でも教師は本当に憎々しげに主張する(それは演技であるが、意見を出すように挑発しているのである)ので、私は年甲斐もなく、どれにも反対意見を述べた。若い学生は、先生の気迫に負けてなかなか意見を言おうとしない。こうした意見に反論するには知識も必要だ。幸い感情に駆られることなく話せたので、先生は"I like your opinion."などとシラッとして言う。試験官はそういう感じなのかと思った。試しているのである、学生を。

 経験をつめば色々なことも知るようになる。しかし若い人がこういう試験を受けるならば、日常から色々な知識を身につけるように世界情勢やら歴史やらを学んでおく必要がある。生きた知識が大切である。生きた知識は自分に引き寄せて考えると身につく。自分に降りかかったらどうか、自分がその立場だったらどうするか、そういうことを普段から考えておくのである。

 こういうときにことばの学習は言葉だけではないな、と思う。しかし小さい子どもの教育で「知識が先だよ」ということはできない。両方ともに学ばせねばならないのである。知識が先だよ、自国の文化を身につけさせるのが先だよ、というと何でも先送りになるからだ。そして結局やらないのだ。日本の英語教育がそうだった。

 今、英語を勉強していて、本当にそう思う。中年になってから英会話を始めた。上達が遅い。何年も英語を勉強したのだ、学校で。あれは何だったのか、といまさらながら怒りを覚えている。今の子どもたちにはそういう後悔をさせたくないものだ。

 授業は満足して終わったのに、なんだか怒りで終わってしまいそうだ。今日の日本の学生も二人で話したり、グループで話したりするときにはまぁまぁ話しているのに、全体となるとなかなか発言しないので、つい発言したことを思い出し、日本の教育、なんとかしてよ、という気持ちになってしまったのだ。相済まない。