音楽未来形 2005年04月17日 | レビュー 増田聡・谷口文和 音楽未来形 ―デジタル時代の音楽文化のゆくえ 洋泉社 「本書は、DJたちが行っているようなリミックスの手法にならって執筆された」というあとがきの言葉から想像される、荒削りで勢いにまかせた感覚的な文体とは真逆の、とても丁寧な本という印象を受けた。 丁寧さは言葉の選び方に表れている。これまで僕が読んできた、DJ文化やテクノロジーと音楽を扱った書物や文章のほとんどは、現代思想や芸術論などの教養を前提とするハードなもの(ひらたく言えば漢字がやたら多い文章)か、逆に「現場」の体験や気分を前提とするカジュアルなもの(カタカナがやたら多い文章)のどちらかだった。 専門用語の羅列に陥らないよう慎重に言葉を選びつつ、今日のデジタル・テクノロジーと音楽という実にややこしい問題をシンプルに解説してくれているのが、本書の何よりの値打ち。要するに、たいへん読みやすい。 内容に関して言えば、書名にふさわしく音楽の「未来形」を提示するというよりは、音楽文化の「現在形」すなわちたとえばmp3や音楽ダウンロードやi-podの流行といった現象が何を示しているのかを分析検証する部分がメイン。 とりわけ、理想の「音響」に近づこうとするがゆえにアウラから遠ざかる「オーディオマニア」と、レコードや原音そのものに何の幻想も持たないがゆえに逆にアウラを感じられる「クラバー」との対比を通して、ベンヤミンの複製芸術論を読みかえていく部分がエキサイティング。 読みようによっては、近年の電子音響音楽における「音響そのもの」の過大評価への問題提起とも受け取れる。もっともジャック・アタリを援用して、社会と音楽の関係が「演奏」や「反復」から「作曲」へと移行しつつある…と分析する本書の結論は、いささか勇み足な気もするが。 確かにサンプリング文化がこれだけ広がり、誰もが自分好みの音楽を編集して聴く時代においては、作り手の意志よりもむしろ、匿名多数のリスナーたちこそが音楽文化の主役になっているように思える。いや、話を音楽に限らずとも、ネット上の膨大な「職人」たち(ブロガー、フラッシュ職人からアイコラ職人まで?)によるサンプリング的「創作」行為の展開は、もはやそれこそ「表現」の域に達しているとさえ言えるだろう。 しかし「作曲っぽい」現象と、「作曲」ないし従来の意味でのクリエイションの間には、やはり今だ大きな隔たりがあるのではないか? 結局「創作」とは何か、「オリジナリティ」とは何かという昔からの問いに対する答は、それぞれがそれぞれの立場から考えるべき問題として依然、残されているのだ。 そんな疑問も含めて、月並みな言い方だけど「いろいろ考えさせられる」一冊であることに間違いなし。あらためてゆっくりと読み直しつつ、考えるヒントにさせていただこうと思う。 #本(レビュー感想) « HANA-GE | トップ | 夏から秋にかけての短編 »
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