ヲノサトル責任編集・渋東ジャーナル 改

音楽家 ヲノサトル のブログ

ICC、その『10番目の感傷』

2010年06月20日 | レビュー


『ICCオープンスペース 2010』

ちょっと前のことだが、『ICCオープンスペース 2010』展を観てきた。

点滅するストロボライトを当てることで立体オブジェをアニメーションのように動かしてみせるグレゴリー・バーサミアン『ジャグラー』(1997)
数秒前のその場のリアルタイム映像を、カットアップ&リミックスして見せてくれる岩井俊雄『マシュマロスコープ』(2002)
360度パノラマカメラが回転しながら自動撮影した室内の映像を、リアルタイムに変型して映写する藤幡正樹《モレルのパノラマ》(2003)

…とまあ「映像」「ムーブメント」「参加型」「プログラミング」等々いわゆる「メディアアート」のキーワードがバランスよく体験できる内容で なんと入場無料! 作品数がさほど多くないのも気楽に観られて逆に良いかも。来年の2月まで開催されてるので、ぜひご観覧をお勧めします。


中でも今回、最も心を動かされたのは、クワクボリョウタ『10番目の感傷(点・線・面)』。

クワクボくんと言えば「デバイス・アーティスト」を標榜するだけあって、電子技術を生かした「モノ」を作り、観せる人、と勝手に思い込んでいたのだが、この作品はちょっと今までと様子が違うようだ。

暗い部屋の中を走る鉄道模型の先頭には,ちいさなLED照明が点灯しています.その車両は,模型の線路のルートに従い,大小さまざまな「もの」が配置された室内をゆっくりと移動し,それに伴って「もの」の影が室内の壁,天井に投影されます.その光源の動きから,静止している「もの」の影が映像として動きだし,車窓からの眺めのように移動し,あたかも観客が車両に乗っているかのように影に包囲されます. (展示説明文より引用)



洗濯バサミや鉛筆や人形といった様々な、ごく日常的で小さな物品を、内側から光を当てることで外側にうつる大きな動く影へと拡大してみせるこの作品は、僕らがふだん何となくイメージしてる「映像」というもの - 広い外界で光に照らされ輝いている図像を、カメラのレンズで額ぶちのように切り取り、フィルムという「内部」に収録するシステム - をくるりと反転させた、まぎれもない「映像作品」だ。

もちろん電子的なプログラミングは施されている。ここでの「デバイス」はミニチュア電車だ。といっても単線のレールの上をスタートからゴールまで走り、またスタートに引き返すだけなのだが、その走行速度のコントロールが実にデリケート。音楽的とすら言える。幻燈のように壁に映し出された「映像」が、ゆっくりゆっくり歪に大きくなっていき、また小さくなっていく、その映像としてのムーブメントをコントロールするのは、電車と物体の距離と走行速度。そこへのこだわりは、並大抵ではない。きわめて周到に順番と配置を準備された景色の影絵芝居は「へえ、今度はこんな絵になるの?」と意表をついて、観客の好奇心を最後まで牽引し続ける。

最初の片道が終わり、電車が終点に到着する。そのとき灯りがふっと消え、ちょっと間を置いて、今度は今までより急速なスピードで、電車が逆行を始める。それはどこか、そこまで美しいメロディを再生してきたテープレコーダーが停止した後キュルキュルキュルとそれまでの「時間」を巻き戻し始める機構にも似て。観客は、それまで観てきた風景を、倍速の逆回転で再度眺める事になるのだが、その時点で「風景」はそこまでの「順路」とは全く違った見え方となる。それもまた新鮮な驚きだ。

この作品の、か細い光が壁に映し出す影のはかなさ。それは、夏の終わりの線香花火とか、キャンプで焚き火が消えて行く最後の瞬間とか、それまで煌煌とついていた部屋の灯りを落として見つめたバースデーケーキのロウソクとか、そういった観客個人個人が持つ過去の「灯り体験」と、それに伴うせつない感情を、否応なしに喚起する。物語とか言語的説明は一切ないけど、この作品を観て思わずほろりと泣けちゃう人、多いんじゃないだろうか。

この作品にはリピーターが増えそう。作品写真とか図版では、この味は決してわからない。会場で体験しなければ意味がないし、何度でも体験したくなる。という意味で、まさに「インスタレーション」(設置)という表現方法でしか実現できない作品ではないかと思った。幸い会期はまだまだ続くし(無料だし!)ぜひ一度ご覧を。


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