ヲノサトル責任編集・渋東ジャーナル 改

音楽家 ヲノサトル のブログ

夏から秋にかけての短編

2005年07月05日 | レビュー



レイト'80sからアーリ-'90sにかけての片岡義男の量産ぶりは半端ではない。赤い背表紙の角川文庫だけで80冊(!) ほどの短編中編長編がある。

短く読みやすいセンテンス。文中に頻出する缶ビール、バイク、フローリングのマンションといった、いかにも80s的なアイテム。それらは男女の洒脱な恋愛を描く「シティ派」小説、つまり後に流行した言葉で言えば「トレンディドラマ」的な小説と見られ、時に揶揄の対象にすらなっていた。

しかし、あらためて読みかえすと「シティ派」と呼ばれたわりには、東京などの大都会が舞台になっている作品は案外すくないことに気がつく。

島、海岸、高原、避暑地、地方都市のビジネスホテル、郊外のマンション、そして高速道路、湾岸道路、ハイウェイ…

彼の小説の背景となる風景は、たとえば「イージーライダー」「パリ、テキサス」のようなロードムービー、あるいはロバート・フランクの写真集などで見ることができるアメリカの田舎の風景のように、淋しく荒涼とした空虚な場所として、しばしば現れる。

それはひょっとしたら、後のホンマタカシらが描き出した「ファスト風土」の風景(『東京郊外 TOKYO SUBURBIA』1998)を先取りするものであったかもしれない。今や日本中を覆い尽くす、カラオケボックスやビデオショップやパチンコ屋やコンビ二やラブホテルだけが延々と続く均質な郊外の風景。

登場人物の多くは、そうした空間を「移動する人」だ。

彼らは、実際に自動車や単車で移動する場合もあれば、恋愛や結婚など人間関係の中を「移動」する人であったりする。離婚や別れは、片岡の小説に実に頻繁に出てくるモチーフだ。

とはいえ、通常の「物語」であれば掘り下げられるはずの、移動にまつわる事情や人物の内面が深く描写される事はほとんどなく、背景や道具立ての細部と人物の外面的なアクションだけが淡々と説明されていく。それが片岡小説の特徴だ。

内面の描写ではなく、外側に現われる言葉や行動だけを徹底して描く…という手法は、ヘミングウェイからチャンドラーに連なる「ハードボイルド小説」の系譜に連なるものと考えることもできる。

ヘミングウェイら「ロスト・ジェネレーション」と呼ばれる作家たちが、戦争の悲惨や過酷な現実を前に、内面を主観的に語る空虚さに絶望したあげく獲得していったこの文体を、高度経済成長という一種の苛烈な「戦争」によって日本のあらゆる文化が徹底的に変貌していった80年代の日本で、日常生活や恋愛感情を描く技法として片岡が選択したことの意味は、小さくない。



『夏から秋にかけての短編』には、「雨の柴又慕情」という作品が収録されている。

避暑地のホテルに集まった男女が、午後の静かな時間を過ごす一つの方法として、ホテルに備えられていたビデオ映画の中から『男はつらいよ』を選んで鑑賞し、それについて語り合う… という趣向で書かれたこの小説は、通常の物語のようなストーリー展開は全くせず、会話のかたちをとった「日本論」ないし「日本語論」に終始する。

寅さんの行動や言葉や存在の意味が、日本と日本語の共同体空間の中に位置づけられていく様子は、ロジカルでスリリングなものだ。片岡が近年「日本語の外へ」などの著書の中で展開している日本(語)分析/社会批評のスタンスは、既にこの作品にあらわれている。

たとえば次のような文章がある。

小津は日本的だ、彼の映画にこそ当の日本がある、とよく人は言いますけれど、彼は日本的なものを突き離してますでしょう。日本的でしかあり得ないような人に、小津は日本だなんて言ってほしくないの。戦後の日本人が、へらへら笑いながらみんなこぞっていっせいに捨てたものが、小津の世界よ。自分たちが、いかに、そしてどれだけ、捨てたかを認識しなおすためにこそ、小津の映画は価値があるのだと思うの。

片岡義男が小説を量産し続けた時期は、いわゆる「バブル」時代に当てはまる。

しかし彼が描こうとしたのは、バブリーな男女の軽妙で洒脱な恋愛ストーリーなどでは決してなかった。経済成長によって大きく変化した日本の社会、要するに、共同体が完全に崩壊し都市も田舎も全てが均質になっていく社会の中で、おのずと変容せざるをえない人間関係こそがテーマであった。そこにあるのは、自立した「個人」とは何なのか、日本人に「自立」は可能なのかという問題提起でもあった。

バブル以降の日本をクールに予言するものであった片岡の作品群は、同時期の作家たちが「へらへら笑いながらみんなこぞっていっせいに」書き飛ばしていたような「シティ派」恋愛小説群とは、実は一線を画すものだった。



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