wonder land alice's blog

a lice の趣味(酒味?)のブログ

松平定信

2022年01月21日 00時53分26秒 | 観光等
清澄庭園を出て入口の写真を撮っていると・・・メタボオヤジのリュックを引っ張る人が・・・
何だろうと振り向くと・・・隣の“清澄公園”のイチョウの木が終盤を迎えているが綺麗だという・・・
まぁ~折角、ここまで来たのだから・・・貪欲に見て回ろうと・・・立ち寄ってみました・・・

  

するとイチョウの木の下で弁当を広げて森林浴をする人や・・・子供の日光浴を楽しむ人たちなど・・・
久々の好天の中で自然を満喫していた・・・(日向ぼっこしながらビールでも飲んだら最高だろうなぁ・・・)

  

  

その後、深川丼を食べに目指す飲食店に向かって行くと途中に霊厳寺と言うお寺があり・・・
そこには、あの八代将軍の徳川吉宗の孫・・・と言うより“寛政の改革”を行った人物と言った方が有名かも・・・
の松平定信の墓がある・・・

  

  

なお、“寛政の改革”とは、疲弊する幕府の財政を立て直すために行われた経済政策・・・
その江戸時代の三大改革を行った“陸奥国白河藩”の三代目藩主の墓が何故、ここにと・・・調べてみると・・・
陸奥国白河藩の歴代藩主は、御家騒動などにより移封と入封を繰り返したため白河藩は7家21代もの藩主が・・・
一方、お墓は、移封先にて弔われたのだろう・・・ほとんどの藩主の墓は白河にはない・・・

更には、改革内容も“白河の清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき”と狂歌にもあるように・・・
あまりにも庶民には受け入れられない改革だったことも要因としてあったのかも知れない・・・



  

いずれにせよ・・・伊勢桑名藩に転封後・・・江戸の大火により上屋敷や中屋敷、下屋敷も焼失する中で・・・
同属の藩邸にて身を寄せ死亡したため・・・埋葬する寺も被災により・・・本来の菩提寺ではなかったのかも・・・

なお、定信公の墓の奥には・・・更に大きな墓があったが・・・これは、奥方の墓のようです・・・
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