松尾芭蕉が・・・あの“奥の細道“に旅立ったのは・・・自宅(芭蕉庵)ではなく・・・
清澄庭園に隣接する仙台掘り海辺橋の畔にある芭蕉の門人の鯉屋杉風の彩茶庵に居を移した後・・・
この庵から船で隅田川を上り・・・千住から旅立ったのだと言う・・・
それは、門人に財力があり・・・芭蕉は常日頃支援されていたため・・・芭蕉庵から彩茶庵に引っ越し・・・
旅の準備をした後に旅立ったと言うことなのだろう・・・
では、芭蕉庵はと言うと・・・隅田川に流れ込む小名木川との岸辺に番屋を改修し住んでいたと言う・・・
今では、護岸は整備され・・・高台に芭蕉史跡展望庭園があるが・・・当時は、どうだったのだろうか・・・
確かに近くの川船番所跡や萬年橋は、若干高台にあるが・・・当時の川岸は、多分、水辺だったのだろう・・・
そのため、家というより小屋と言った方が妥当だったのではとメタボオヤジは思っている・・・
そんな整備された一角に・・・芭蕉庵史跡展望庭園の入り口があり・・・
そして入口の左手には、“川上と この川下や 月の友”と芭蕉が読んだ句碑が・・・
でも、この庭園から見える隅田川は、南北に流れているため・・・川上や川下は月の友になったのだろうか・・・
※東から昇り西に沈む月は、川上にも川下にも映らなかったことだろう・・・
などと風情もないことを思いながら・・・
って・・・そもそも、この芭蕉庵史跡展望庭園には、当時の物は何もなく・・・風情も趣も何もないのだが・・・
ちょっぴり寂しい限りです・・・
清澄庭園に隣接する仙台掘り海辺橋の畔にある芭蕉の門人の鯉屋杉風の彩茶庵に居を移した後・・・
この庵から船で隅田川を上り・・・千住から旅立ったのだと言う・・・
それは、門人に財力があり・・・芭蕉は常日頃支援されていたため・・・芭蕉庵から彩茶庵に引っ越し・・・
旅の準備をした後に旅立ったと言うことなのだろう・・・
では、芭蕉庵はと言うと・・・隅田川に流れ込む小名木川との岸辺に番屋を改修し住んでいたと言う・・・
今では、護岸は整備され・・・高台に芭蕉史跡展望庭園があるが・・・当時は、どうだったのだろうか・・・
確かに近くの川船番所跡や萬年橋は、若干高台にあるが・・・当時の川岸は、多分、水辺だったのだろう・・・
そのため、家というより小屋と言った方が妥当だったのではとメタボオヤジは思っている・・・
そんな整備された一角に・・・芭蕉庵史跡展望庭園の入り口があり・・・
そして入口の左手には、“川上と この川下や 月の友”と芭蕉が読んだ句碑が・・・
でも、この庭園から見える隅田川は、南北に流れているため・・・川上や川下は月の友になったのだろうか・・・
※東から昇り西に沈む月は、川上にも川下にも映らなかったことだろう・・・
などと風情もないことを思いながら・・・
って・・・そもそも、この芭蕉庵史跡展望庭園には、当時の物は何もなく・・・風情も趣も何もないのだが・・・
ちょっぴり寂しい限りです・・・
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