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a lice の趣味(酒味?)のブログ

八坂神社(京都)

2011年11月17日 06時29分24秒 | 神社仏閣
清水寺を見終え、駅に戻ろうか悩みながら来た道(参道)を下って行くと・・・京の坂道「三年坂」と言う道標が見えてくる。
この、三年坂・・・・実は「産寧坂」とも書くらしい・・・・・
これは、清水寺の観音様に安産祈願に通うために登った坂であることから、お産が安らか(寧)なようにと呼ばれるようになったらしい・・・・
一方、作られた年の年号(大同3年)から三年坂と呼ばれるようになったと言う説もあるようだ・・・
いずれにしろメタボオヤジは妊婦さんがこんなにキツイ坂を祈願に上り下りするのだろうかと思ったが・・・・・

この坂道を下って行くと八坂神社や知恩院に行けるようだ・・・・
他の観光客の後について細い坂道を下って行くと・・・やがて五重塔の八坂の塔が見えてくる。
※京都は、犬も歩けば棒にあたる程、神社仏閣があるようだ・・・・「犬も歩けば・・・」の諺の意味が違うが・・・・(笑)

また、この細い路地には「石塀小路」などの当時の面影を残した町のたたずまいが残っている・・・・(^0^)
時代劇大好き人間のメタボオヤジにとっては、一瞬、江戸時代に時を飛び越えたような感覚に・・・・・
※なお、石塀小路は、大正時代に作られたものらしい・・・・メタボオヤジの時代を越えた感慨は何だったのだろう・・・・(笑)

更に歩いて行くと日本神話(古事記や日本書紀)で有名なヤマタノオロチを退治したスサノヲノミコトが祀られている八坂神社が見えてくる。
このスサノヲノミコトは、新羅の国(朝鮮)の牛頭山に祀られていた「牛頭天王」の霊を、朝鮮の移民が八坂郷に祀ったことがはじまりのようだ・・・
※即ち、スサノヲノミコトは、朝鮮の神(牛頭天王)と同体とみなされている考えもあるようだ・・・・

結果、この神社は、密教や陰陽道が混合し神仏習合の時代には、お寺とみなされ「祇園寺」と呼ばれていたらしい・・・・
しかし、明治時代の神仏分離により地名から八坂神社と改称したもののようだ・・・・

なお、この牛頭天王は、疫病を司る神(行疫神)であるが、当時、疫病が流行したため、これを鎮めるために「祇園祭」が広まったようだ。
※疫病の原因は、人が多く集まると・・・不浄物も多くなり・・・・自然の浄化能力を超え・・・・疫病が発生・・・??・・・と言うことのようだ・・・

写真は、三年坂、石垣小路、八坂の塔、八坂神社

  

  

  

  
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