イヨ、サラバ

一日一生〜胃なし生活の記録〜

また勝手に片付け

2018年06月18日 | 術後9年~

チャレンジウォークの振り替えでお休みの‘ぼんこ’。
脚はまだ痛いらしく、ゆっくりしたいところだが
午前中は部活。
今日は1年生のコンクール参加メンバーオーディションがあって
出場できることになったのはいいが
まだ何を演奏するのか知らないらしい。
大丈夫なのか?
右手の小指は問題なく音が出るようになったそうで
「最初どうしてできなかったんだろう?」と不思議そうにしている。
慣れよ、慣れ。
若いってのは何にでもすぐ順応できるから素晴らしい。
明日からまた朝練頑張れ!

‘ぼんこ’が帰ってくるまでの間
‘ちょん’のクローゼットの大掃除をした。
基本、自分の部屋のことは本人に任せているが
あまりに片付けが進まないのにしびれを切らし、母が勝手に決行。
勝手にと言っても
奥の方半分は私のものも入っているのでその整理も兼ねて
明らかに不要なものを捨てて、使っているものは分別して収納。
よくわからないものはとりあえずクローゼットから出して判断を仰ぐ。
棚の上でホコリを被っていた
トイレトレーニングセット(子供用便座とオマル)は
いつか誰かの子供が使うかもしれないから箱に入れてしまっておいた。
不要なものを出したらクローゼットの中はすっきり。
あとはこの状態をキープしてもらわないと。

さて、
先日もちょっと書いたが、信用されることについてまた考えた。
私は人から信用してもらいたいし、人を信用したい。
だからと言って自分を偽ってまでとは思わないけれど
信じてもらえる行動をし、真の自分を信用してもらいたいと思う。
もし働いているのなら、信頼して仕事を任せてもらいたいし
その信頼に応えたいと思う。

私の個人的な基準は
時間を守る、約束や決め事を守る、嘘をつかない、言い訳をしない。
あとは有限実行、もしくは不言実行。
もちろん自分が100%それをできるわけではないし
相手に100%を求めるのは間違いだとは理解している。

社会に出るということは、信用され、信頼を得ることだと思っていた。
人は誰かから信じてもらいたいと思っているのが当たり前だと。
でも、
人から信頼されたくないと思っている人もいる。
100%信頼されるのは重い、と。
その裏には自分も人を信頼していない、信頼して裏切られるのが嫌
という思いがあるようで
その気持ちは全く理解できないわけではない。

しかし、仕事をする上で信用と信頼は不可欠である。
信用される仕事をしなければ任せてもらえないし、期待もされない。
信頼や期待がなければ仕事はなくなる。

人と一定の距離を置きたいのであれば別だが
仕事だけでなく
家族や友人、人とのつながりの中で生きていくのなら
やっぱり信用と信頼は必要だと思う。

だから「信頼されなくてもいい」とは思って欲しくない。
完璧じゃなくていい、自分を偽らなくていい
できない約束は無理だと言っていい。
ありのままで信じてもらえる人間になろうよ。

信頼される人の条件だとか、人に信頼されない行動だとか
ネット検索すれば、社会人としての常識のようなことが色々書かれている。
そんな理想通りにはいかないけれど
自分はどんな人間でいたいかを考える、ときにはそんな時間も大事。


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