つぶろぐ

息子の成長過程を追っていけたらな。でもその前に自分も成長せねば。。。

ニューカレドニア 3-(2)

2005-12-22 02:02:53 | かつての旅日記
ホテルの対岸にある島(ファイアヴァ島だったかなぁ)に渡るツアーが
あると言うので、参加。島の人のボートに乗せられて到着。
案内は島の男性でサングラスをかけているので年齢不祥。
言葉はフランス語なので説明されても何も分からない。
幸い日本人の一行の中にフランス語を話せる人達(多分、社員旅行)が
して、時間差はあるものの、解説してもらうことは出来たけれども...
教会を見学して少し歩き始めると、島の子供が走ってきて、巻き貝を
買わないか?と言っているらしい。白い貝殻2つ、黒い貝殻1つ。
全部で500CFP(1CFP=0.95円)だそうだ。紺色Tシャツを着たお兄ちゃんが
3つとも買った。ムレ橋が見える浜辺まで歩いていって折り返し。
レキンの断崖の対岸にあたる。この向うは"タブーの入り江"と言って
よそ者は泳いではいけないらしい。魚の産卵場所で神聖な場所として、
崇められているみたいで、悪い魚(サメ)が来ると信じられているらしい。
帰る途中、マングローブの実だの、蜜蜂だとか、米やら芋の代わりに
食べていた植物の茎だの、籠を編む植物だとか、説明してくれました。
一緒についてきた2匹の犬がとても元気で、力いっぱい走り回ってた。
人間の歩くのなんて待ってらんないよ、って感じで海に飛び込んで
泳ぎ回ったり、カニの穴を見つけては掘り出してかじりついたりとか
本当に元気なの。コースの終点、海ガメがいると言う淵で泳いでいて、
ご主人様に怒られると急に神妙になって、とても可愛かった。
スタート地点まで戻るとボスが、椰子の実を割って、椰子の実ジュース
を飲ませてくれる。小さな子供が、誰に渡そうかな?と言う表情で、
両手に大きな椰子の実を抱えて運んでくる姿はとても可愛い。
ここの椰子(駄洒落?)の実ジュースも美味しかった。小説じゃないけど
ウベアの椰子の実が一番美味しいのかも知れない。飲み終わった実を
半分に割って、殻の内側の白い果肉を食べる。海水で洗って食べると、
甘みが増すとか、ワサビ醤油で食べるとトロ食ってるみたいだとか、
いろいろ言ってたが、このままでも何となく美味かった。
再び泳ぐ犬たちに見送られて、約2時間の観光は終了。

部屋に戻り、2人とも昼寝してしまう。慌てて、レストランへ。
午後1時、もう皆テーブルについて食事を始めている。ウベアの昼食は
結局この初日の一回限り。だって、1人2,000CFP、2,500CFP、3,000CFP
の3コースのみで、お昼にしては高いんだもの。ヌメアの夕食が、
アルコール込で、4,700CFPだから、それと変わらなくなっちゃう。
メニュー
(前菜)白身魚をココナッツミルクで和えた、タヒチアン・サラダ
(デザート)キウイ・タルト
これに、パンとコーヒー。
ボリュームは満点、味も美味しかったです。
ただ、お昼にこんなにお金かけないよなぁ、って感じ。

水着に着替えて砂浜へ。早速シュノーケリング開始。遠浅だと思って
いた海は少し泳ぐと、やがて足の立たない深さになり、浜から30m位の
場所にサンゴ礁があった。
サンゴと言っても白サンゴで、まわりの砂も白ければ、水の透明度も
高いため、そこにいる魚は白い魚ばかり。それでも楽しくって、飽きずに
泳ぎ回っていました。少し体が冷えると、浜に上がって、テラスで読書。
のつもりが、すぐに寝ちゃってました。(これは普段の休日と変わらず)
シャワーの後、7時半頃、レストランで夕食。テラス側の席はどこも
埋まっている。やはり日本人が多いようだ。カップルが目立つ。
他には、昼間の島観光が一緒だった団体一行、家族連れ。
食事はシーフードをメインとしたフレンチ、美味しかったし、
ボリュームもあって大満足でした。
メニュー
漁師風お魚のスープ、カリカリクルトン添え
獲れ獲れシーフードとアヴォガドのサラダ
ぷりぷりエビのソテー、ブランデー風味のフランベ
南国野菜のグラタン&ポテト・コロッケを添えて
(デザート)グランマニエ酒風味のバナナ・フランベ

浜辺を歩いて、夜空を見上げながら
コテージに戻る。あいにく曇って星は見えなかった。
程なく、就寝。

ニューカレドニア 3

2005-12-22 02:02:09 | かつての旅日記
2001.12.22(sat) 3日目

起床5:00。
今日は、この旅の目的(自分の中ではそう決めてた)ウベア島上陸の日だ。
軽くシャワーを浴び、荷物をまとめる。この日の集合時間は早く、6時35分。
ホテルの朝食は6時半~10時と書いてあり、心配だったがちゃんと6時から
朝食が取れるように連絡済みとのこと。よかった。せっかく全日程朝食付き
なのに、フライトの関係で食事にありつけないなんて悲しすぎるもの。
パンやフルーツ、ヨーグルト、ジュース、紅茶、コーヒーは準備が整っていた
けれど、おかずが無い。時間前だから仕方ないが、我慢、我慢。
ウベアに3連覇した後、またこのホテルに2泊する。
それまでの楽しみにしておこう。
でもプルーンのヨーグルトは美味しかった。
6時25分、SPTの舟木さんが迎えに来た。バスに乗り込んだのは、
とりあえず僕ら2人だけ。
メリディアンでもう1組乗せて、マジェンタ空港へ到着。
メラネシア系の図体のでかい女性やフランス人風の団体で混んでいる。小説
「天国にいちばん近い島」にあるように、彼等の体臭がちょっと気になる。
こんな気持ちが人種差別の始まりなのかなぁ、なんて考える。
舟木さんの説明によれば、南半球の紫外線は日本の5倍だそうだ。オゾン層が
完全に破壊されているからだそうだ。慌てて、みんな日焼け止めを塗る。
僕らが向うホテルには日本人スタッフは受付と売店に1人ずつ、
計2名がいるらしい。
会社の同僚のがそこのホテルで働いている、って聞いており、
事前に服装やらアクティビティに関して相談に乗ってもらっていたのだけれど、
もしかしたら単なる売店のお姉ちゃんなのかな、と不安がよぎる。
舟木氏は僕の持ってきたスーツケースで腰をやられたらしい。
空港カウンタの重量測定では、26.9キロ。
ちょっと重いが、これ位で腰に来るなんて、添乗員として情けないぞ。

島に渡る飛行機は、殆ど揺れることもなく、ウベア島に到着。
途中、高度を下げ、ムレ島と、僕らが泊まるコテージが真っ白な砂浜の中に
見える。海が青い。やがて飛行機は、ムレ島上空で、島を横切り北上。
島の中央付近にある空港まで、海岸線を右手に見ながら飛ぶ。
白い砂浜はずっと続いていた。
空港からはSPTの手配したマイクロバスにてホテルまで。
日本人は今朝からの2組。もう1台、アルファの送迎バスにも1組。
旅行会社が違うとは言え、ほとんど空気を乗せて走る2台の車に、
意味はあるのだろうか?疑問を感じてしまう。
雇用の関係で、島のためになっているのかも知れないけれど...
途中、マイクロの運ちゃん(現地人)は行き交う車や、道行く人に手を上げる、
もしくは親指を立てて挨拶をする。でも時折、挨拶なしで素通りする車も
ある。宗教の関係なのか?部族間の対立があるのか?
こんな小さな島(と言っても南北に35キロほどあるらしいが)
でも、みんなが仲良しと言う訳には行かないのかも知れない。
途中いくつも教会が見えた。白い石造りの立派なものだった。
しかし、民家は萱葺きのような小さなもの、
(実は、後に知るのだが、この萱葺きは祖先を祀った建物で、住居とは別)
トタン屋根の掘っ立て小屋のようなもので、傍らに洗濯物を干したロープが
張られている。
お墓は道に面して、固まっていた。15~20分位走って、僕らが泊まるホテル
Paradis d’Ouveaに到着。

玄関で出迎えてくれたスタッフが、会社の同僚の友達カワシマさんだった。
印象は写真で見るよりも、ずっと優秀そうだった。白いカッターシャツと
髪型のせいかなぁ?
一通りの説明と、ウェルカムドリンクの椰子の実ジュースを頂く。
小説「天国に~」で読んで、どんな味か楽しみだったけれど、結構美味しかった。
もっと酸っぱかったり、生臭かったりするのかと思っていたので。。。
10時ちょっと前に、部屋の用意が出来たと言うことでコテージに案内される。
コテージ群の一番はずれにある。目の前の砂浜はまるでプライベートビーチ状態!
明るい太陽と真っ白な砂浜、コバルトブルーの海、と言うより青のグラデーション。
空も快晴、真っ青だ。
「一番いいお部屋を用意させて頂きました」と言う言葉はあながち嘘ではなさそうだ。

ニューカレドニア 2

2005-12-21 01:48:50 | かつての旅日記
2001.12.21(fri) 2日目

たいした揺れもなく、ニューカレドニアに到着。トントゥータ空港は、
国際空港なのに小さい。北海道の旭川空港や、女満別空港くらい。
荷物を受け取り、両替も済ませたところで、現地スタッフのお出迎え。

送迎バスにてホテル着は10時。
チェックインが12時なので、ふたりともそのままロビーのソファで眠る。
11時40分頃、駄目もとでフロントに部屋を使えないかと聞いてみると、OKだ。
カードキーを受け取り部屋へ。カードを通しても、ランプが緑に点灯しない。
ノブをガチャガチャ回していると、中からチェーンがかかっている。
不思議に思いながらドアを開けようとすると、中から声がする。
まだ掃除中なのかと思ったら、チェーンロックを外してドアが開く。
顔にパックを貼ったままのおばさんが顔を出す。日本人だった。
「もう来たんですか?1時頃まで使って良いって言われたんですけど...」
フロントの手違いなのだろう。引き下がるしか無さそうだ。

フロントにクレームを付け、別の部屋を案内してもらう。
テラスから海が見える。太陽がまぶしい。プールも綺麗だ。
昼食を取るため外出。ホテル横のパームビーチショッピングセンターに行く。
ここのLe Fareで、サンドイッチとペリエを頼む。H.I.Sの無料クーポンが使えた。
サラダを追加注文する。サンドイッチはボリューム満点。でもペロリ!
バスに乗って、ヌメア市街へ。これもH.I.Sの無料クーポンで乗れた。
郵便局の手前でバスを降りる。ココティエ広場あたりで降りるつもりが、
ずいぶん手前で降りてしまったようだ。少し歩かなくてはならない。
地図と言っても地球の歩き方くらいしか持っていない。
買い物のため、ヌメアセンターに向かう。道を歩くと、ニューカレドニアの
人々は何となく気だるそうな目をしている。大声で叫んでるおじさんがいる。
パトカーが飛んできて、警官が取り囲んでいる。酔っ払っているようだ。
警官は白人(フランス人)だ。なんだか、治安がよろしく無いのかな、と不安。
ココティエ広場でも、浮浪者風の男の人が小銭をせびってくる。
小説「天国にいちばん近い島」じゃないけれど、何となく怖くなってくる。
スーパーで水など買い込むと、バスでホテルに戻る。
夕日までまだ時間がありそうなので、メリディアンのカジノまで行く。
SPTの人は歩いて5分みたいなこと言ってたけれど、12~13分かかったと思う。
歩いているうちに暗くなり、ちょっと心細くなる。
パスポートを持っていかなかったため、カジノには入れなかった。
仕方ないので帰りのタクシーを呼んで、ホテルに戻る。
メリディアンは、僕らのPark Royalより広々していてセンスがいい。
さすが5ツ星だけある。
夕食はホテル横のMay Flower's(五月花酒家)で。
No1ビール、スープ、春巻、海老チリ、炒飯、蒸したアヒルのオレンジ
ソース煮で、約4,700CFP。
味は美味しかった、値段も妥当かな?
初日はここまで。朝が早かったので、すぐに就寝。

ニューカレドニア 1

2005-12-20 23:48:49 | かつての旅日記
前回のオーストラリア旅行記に続いて、今度はニューカレドニア。
そう、かつて角川映画「天国にいちばん近い島」で有名になったあの島です。

2001.12.20(thu) 1日目

ぎりぎりまで仕事して17時半。やっとのことで会社を抜け出した。
さあ、これから夏休み。1週間仕事のことは忘れて南の島で楽しまなきゃ。

東京駅18:05発、成田エクスプレスに乗り込む。外国人が多い気がする。
幕張、都賀などびゅんびゅん飛ばし、19:00予定通り空港駅に到着。
遅いフライトのせいか、売店も殆ど閉まる寸前だった。ASPフィルムと、
北方謙三の三国志(6)(7)等買うが、これは結局無駄になった。
エールフランスの機内食は、まあまあだった。ソリティアで暇つぶし。

オーストラリア旅行記 8

2005-12-05 23:29:23 | かつての旅日記
1998年12月5日(sat) 8日目

長かったバカンスも最終日。いよいよ日本へ帰国。

帰りのJALは満席。
しかも隣の席には太っちょの外人。とても窮屈だった。
昼間の便だったから、別に眠らなくてもいいと思い映画を2本観た。
スピルバーグのマスク・オブ・ゾロ、と
イギリスの恋愛映画。さすがに立て続けに2本観ると疲れた。

約8時間半のフライトで日本へ到着。
日本は雨で、しかも寒い。びっくりした。
どうやら僕らが向こうにいる間、東京じゃも降ったらしい。

(今年はどうでしょう。やっぱり寒いですね)
こうやって書いてみると、昔は結構期間の長い旅行をしていたんだなぁ。
また、ゆっくり海外旅行に出掛けるとすれば、やっぱり南の島かな。
と言うことで、次回はニューカレドニア紀行です。

オーストラリア旅行記 7

2005-12-04 06:27:15 | かつての旅日記
1998年12月4日(fri) 7日目

ホテル近くのテイクアウェイで朝食を調達。7A$くらいで2人分、安い。

ブルーマウンテン半日観光 110A$
天気は快晴。はっきり言って期待以上に良かった。緑が濃い。
オーストラリアはでっかいなぁ、ってつくづく思った。
ギネスブックにも乗っているという最大傾斜52度のトロッコ電車も、
すごかった。ジェットコースターみたいな乗り物じゃないんだけどね。
4駆のツアーで来てる人もいたけど、あれもいい。
ただしオフロードを走るとなると、ママが車酔いしないか心配。

半日観光はコアラを抱っこする動物園には行かず、初日に連行された(笑)
免税店に再び連れていかれた。どのツアーにも組み込まれているらしい。
僕らは2回目なので、すぐお店を出て、付近のお土産屋さんをチェック。
近くのお土産屋さんは別に免税じゃないけれどTシャツとか、チョコとか、
免税店より安かった。ただ免税店でしか売ってないものもあったけど。
ケン・ドーンがラベルをデザインしたワイン(バラマンディって言ったかな)は、
他の免税店じゃ買えなかった。空港にも売ってなくて、ちょっとがっかり。

ディナー:ブルーエンジェル
シドニー最後の夜ってことで、奮発してロブスターの刺し身。
コースで一人85A$。食べきれないくらいのボリュームで、味も大満足♪
ただ場所が、ホテルからだと遠かった。
帰りは頼めばタクシー呼んでくれるみたいだった。
金曜日の晩だけあって、街はあちこちにあるパブが賑わっていた。
オーストラリアも殆ど週休2日制で、土曜日は休み。
僕らは駅まで歩いて、そこから地下鉄。昨日の件があったので、駅も行き先が
わかり易いのを選びました。

ホテルに戻ってから、近くの免税店へ。金粉入りのワインをお土産に買う。
翌日は帰国。荷造りを済ませ、12時過ぎに就寝。

オーストラリア旅行記 6

2005-12-03 00:22:33 | かつての旅日記
1998年12月3日(thu) 6日目

フェリーでシドニー対岸へ渡り、マンリービーチへ。片道6A$。
波が高くてサーフィンのメッカ。
2時間半ほど浜辺で甲羅干し。のんびりできました。
今年の夏は、海水浴にも行けなかったので、やっと夏を満喫したって感じ。
トップレスの女性は残念ながらいませんでした。
昼食はザ・コルサで。ハンバーガーとピザ、やっぱりかなりの量。
食べきれない。二人で25A$くらいだった。
その後、ホテルに戻ってロックス周辺で、お店を覗く。
ママはリビングのソファの傍らに置ける小さめのテーブルを探す。
折り畳みの椅子を見つけて、気に入った様子。明日買うと約束して店を出る。
この日は木曜日で、デパートなどが夜9時まで開いている。
他の日は夕方6時には閉まってしまう。
オーストラリアは週給制で、木曜日にはみんな懐が暖かいのだそうだ。

ディナー:シドニータワーレストラン
シドニーで一番高い建物、シドニーレストランの展望レストラン。
まあ日本で言えば、東京タワーかな。
日没が20時くらいなのでディナーを20時半に予約しました。
夜景は最高!あの眺めと食事で一人40A$なら安い。
ビュッフェだって言うから料理には期待してなかったけど、結構イケてた。
アルコール類は別料金だったけど、グラスワインの白は飲みやすかった。
9時くらいからハーバーブリッジ横でちょうど花火が上がっていた。感動。
満月がシドニー湾を照らしてきれいだった。ディナーは8時から。
僕らは8時半に予約していたので、食事終了も10時半位。

地下鉄で帰ろうとしたけれど時間通りに来ないし、行き先は滅茶苦茶なので、
結局ホテルまで2駅分歩いた。人通りはあるけど、ちょっと恐くてビクビク!

オーストラリア旅行記 5

2005-12-02 22:41:29 | かつての旅日記
1998年12月2日(wed) 5日目

朝3時半のモーニングコールで起床。
ケアンズ→シドニー移動
シドニー半日観光は僕達2人だけってことで、ハイヤー1台独占。
ラッキーだった。
田舎町のケアンズから来たから、高層ビルが新鮮に感じる。
シドニーの街は2年後のオリンピックに向けて、再開発をしていたけれど、
(2000年シドニー五輪といえばQちゃんこと高橋尚子さんがマラソンで優勝しました)
カナダのバンクーバーや、アメリカのマイアミなどに比べてもきれいな街並。
気に入った。ロンドンの次に好きな外国かな。

頼みもしない免税店に連れて行かれるのは、旅行会社と契約していたのだろう。
特に買うものも無いし(ここには結局2日後連れて来られる)、早々と店を出る。
ミセスマックォリーズ岬、オペラハウス、セントメリーズ大聖堂と巡ったあと、
ロックスのイタリアンビレッジで昼食。ワインとオパールの説明を受けたあと、
オプショナルツアーの申込み。とりあえずブルーマウンテン半日を申し込む。
その後、またホテルと目と鼻の先の免税店に連行され、やっと解放された。
ホテルに戻ったのは、午後3時半くらいだったかな。

ディナー:中華街マリーゴールド
中華街にあるお店でガイドブックで選んだ。
北京ダック、炒飯、えび団子スープ、野菜炒めと注文した。
シドニーはケアンズに比べると、一皿あたりの量が多くて持て余した。
美味しくても食べきれなければ、仕方ない。大失敗(泣)
タッパに詰めてもらい持ち帰る。二人分で84A$。
帰りは地下鉄。

オーストラリア旅行記 4

2005-12-01 05:39:22 | かつての旅日記
1998年12月1日(tue) 4日目

朝食はホテルの1階でコンチネンタルブレックファースト。
一人25A$って円換算すると2千円だから、ちょっと高いけど、納得の内容。

乗馬半日コースは、85A$。
ご主人のロイさんは、ロデオ大会で優勝したこともあるらしい。
日本に6年間いたらしいけど、日本語はまったくしゃべれないみたいだった。
奥さんのサナエさんは美人でよく気が付く人。4人の子持ちには見えない。
馬はよく調教されていて、ちゃんと言うことを聞いてくれる。
実際馬に乗ったのは2時間半~3時間弱。全力で走らせられる程度に上達した。
ここの馬が優秀だったからだと思う。日本の乗馬クラブじゃ、こうは行かない。
履いてたジーンズはかなり汚れ(多分鞍の油)、ママはひざに痣(あざ)を作った。
お昼はバーベキューで、この時食べたステーキはすごく美味しかった。
帰りは世界最古の熱帯雨林の広がるキュランダの街まで送ってもらえた。
乗りたかったレトロな列車で帰った。一人25A$。
列車はとても可愛く、思わずニンマリ。昔乗ったSLみたい。ママも上機嫌♪
昨日ゴムボートで下ったバロン河を上空から見下ろす形で、線路は進む。
途中いつの間にか眠ってしまった。約2時間でケアンズの駅に到着。

夕食:イタリアン、ラ・フィットチーネ
ラザニヤ、サラダ、シーフードの盛り合わせ等、ビールで二人で約49A$。

熱っぽかったけど、カジノへ行く。
現金の持ち合わせが少なくて、結局スロットマシーンへ。25A$擦った。
外国人観光客はディナーショーのあと、カジノに降りてくるらしく
正装の人もちらほら。Tシャツ着てるのは日本人くらいだった。

オーストラリア旅行記 3

2005-11-30 23:37:45 | かつての旅日記
1998年11月30日(mon) 3日目

ラフティング半日 70A$(≒6,300円)。
これは、すごく楽しかった。最初渋々だったママも満足していたみたい。
一日コースもあったけれど、結構体力使うから半日で十分だったと思う。
瀬(流れの強さ、波の程度、レベル1~5があって、最高が5)のレベルは
3級が2つ程度。あとは2級。
一日コースの方は朝6時半出発で、3球の瀬が40程あると言っていた。
ライフジャケットを着込んで、ヘルメットをかぶり、ボートを漕ぎ出す。
水しぶきでびしょびしょになったり、途中全員川に飛び込んでゴムボートと
一緒にしばらく流された。
川は濁ってたけれど、全然臭くなかった。だからこの川は泳いでも平気。
日本でも釧路川、那珂川でカヌーをやったけれど、生活廃水が流れ込んで臭う。
オーストラリアで下ったバロン川の上流にも、キュランダやマリーバという街が
あるのだけれど、人口が少ないのか生活臭さが無かった。

川の両側は渓谷。世界最古の熱帯雨林が広がっています。
波の無いとろ場では、ほんとに静か。心が安らぐ。
途中2箇所のチェックポイント岩の上からお土産用の写真を撮っていた。
勿論、最高の笑顔でクリア。(注;掲載画像はあくまでもイメージです)
まるでディズニーのスプラッシュマウンテン。写真は3枚だと15A$。
僕らのボートのガイドは、ロケットという名前のオーストラリア人だった。
日本語は、"前へ"、"後ろへ"、"つかまれ"しか話せずに、あとは英語。
他のボートは日本人クルーで、日本で夏に水上温泉でガイドをしているらしい。
昼食はスコーンと紅茶、フルーツ。

13時半頃ホテルに戻り、ケアンズ・セントラルに買い物に出かける。
日本のロードサイトのショッピングモールみたいなところで、かなり広い。
日本人観光客がほとんど訪れることもない場所で、結構気に入った。
ただし、店の中はクーラーが効き過ぎて寒かった。あとで知ったのだが、
オーストラリア人は体温が我々日本人よりもかなり高いらしい。

夕食:ナイトマーケット内フードコート
"一番"とか言う中華料理ともラーメン屋ともいえない店を選んだ。
僕はビーフ丼、ママは餃子定食。合計17A$(≒1,500円)くらい。美味かった。
ここは日本人観光客が多い。日本人と目を合わせないようにしてたら、
タスマニアから来たと言うオーストラリア人の夫婦が話し掛けてくる。
日本の大学とか教育制度について質問された。疲れたけど楽しかった。

日本で引いた風邪が治らず、咳が止まらないので病院に行くことにした。
24時間やっている町の病院を教えてもらい歩いていく。
若くて綺麗な女医さんで、もちろん外人。
微妙なニュアンスが伝わらないと、おかしな薬を出されてしまうかも、と
診察室までママに付き添ってもらった。
気管支炎を起こしていると判明。薬代込みで60A$(≒5,400円)。
診察料とか、保険のこととか全然わからなかった。ママ、サンキュー!
その代わり、先生からは、すっかり子供みたいに扱われちゃいました。

ホテルから結構離れてしまっていて、夜道を帰るのは怖かった。
まじで狩られるかも、と思った。