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日常の何気な写真中心に

2013奈良遠征~墓碑石を見つけ出せ編(総括)~

2013年11月06日 | 国内歴史・遺跡
今年ぎりぎりのタイミングとなりましたが無事奈良遠征を実行できました。
内容が充実しているので先に総括を備忘として記載し、古墳1つ1つを丁寧に
記録していきたいと思っています。
 
ということで総括として今回巡った古墳の備忘。
・ホケノ山古墳(内田康夫の『箸墓幻想』読んで行きたくなった)
・箸墓古墳(必ず足を運ぶ)
・赤坂天王山古墳(今回衝撃度№1で初)
・中尾山古墳(20数年ぶり)
・文武天皇陵(20数年ぶり)
・石舞台古墳(久しぶりお金払った)
・都塚古墳(石舞台の上にこんな魅力的な古墳が!今更ながら初見学)
・キトラ古墳(特に変化なく)
・真弓鑵子塚古墳(以前のようには見られない状態)
・牽牛子塚古墳(八角墳判明後は初めて)
・築山古墳(なかなかいけない場所で今回ようやく初)
・舒明天皇陵(今まで行っていなかったエリアで初)
残念だったのは、打上古墳。
打上古墳という最後を〆るにふさわしい?名前の古墳に行きたかったのが結局辿りつけず。
さらに大失態が、築山古墳をチェックに行っていながら、碑石探しを失念した点!
古墳に魅せられて、碑石探しを忘れてしまうなんてなんという失態!
なかなか行けない場所だったのでこれは残念無念。。。
 
ともかく、たっぷりと写真は撮ってきたのでじっくりと確認をしていきたいと思っています。
PHOTOは、箸墓古墳と今回の足となったレンタカーのマーチ。

2013奈良遠征~墓碑石を見つけ出せ編~

2013年11月02日 | 国内歴史・遺跡

年の始めに奈良計画をイメージしておきながらもう11月!
残すところ2か月の間に、レースは2つ予定、出張あるし、そろそろ忘年会も・・・。
っとうことで天候あやしいですが、奈良路へ旅立つことにしました。
行き当たりばったりではなく絞り込んで目的は2つ。 

1.赤坂天王山古墳の中に入る
こちらははっきりしているのでランニングでシェイプした身体でおそらく大丈夫(笑)
入口が非常に狭いらしいですが、超レア古墳チェックを!
 
2.箸墓古墳の墓碑石探し
これは難問!箸墓古墳に限らず古墳墓碑は実在しないと定説では言われているが
池田仁三氏によって箸墓古墳の墓碑は発見されている
ただし場所がはっきりせず、氏の記述から推測しながら場所を特定していく作業となるため時間がかかりそう
氏は今年の5月に古墳墓碑の画像解析に関する書籍を出版してすぐ亡くなりました
氏の遺作には箸墓古墳の墓碑石についてこう書かれています
「山辺の行灯山古墳や渋谷向山古墳に調査・・・帰路の近鉄桜井駅まで・・・バスに乗った。・・・箸墓を左に眺めながらバスが箸中の停留所に近づいたとき、国道沿いの民家の庭に見事な碑石が数個置かれているのを見つけたのである。高い塀に囲まれて・・・急いで飛び降りた。」
つまり箸中の停留所で降りて少し戻ったところで、さらに急いで降りるくらいだからバス停に離れていないところ
っで塀の高い民家に箸墓の墓碑石はある
これだけの情報でアタリがつくかはわかりませんがとにかく行ってきます
 
ただし残念ながら発見できなかった時のサブ古墳として
・中尾山古墳
・文武天皇陵
・都塚古墳
・石舞台古墳
都塚古墳以外は過去チェック済ですが今回は墓碑石探しに絞りこんで改めて眺めてきます
 
今回はカメラが大事になるので2機準備!ストロボチェックして解析のための画像を撮りまくってきます

2012奈良遠征~残り~

2012年11月03日 | 国内歴史・遺跡
今回は持統天皇の行幸ルートに関連する旅と決めたので
時代の異なる史跡に関しては、駆け足での訪問となりました。
まとめで自分の備忘録として。
 
●吉野神宮 
 
●金峯山寺(役小角が創立した修験道の聖地)
 
 
●吉野朝宮址(後醍醐天皇の南朝の皇居跡)
 
奈良時代までが守備範疇の自分には、駆け足な場所となりましたが、
桜の時期に来たい場所でした。とにかく桜が大事!
山から降りてからは、帰路の中で遺跡チェックを。
 
●藤原宮跡(去年も来たけど早朝で資料館に入ってなかったので再チェック)
 
 
纒向遺跡時代はさらに遡り古墳時代前期へ
●纒向勝山古墳(前方後円墳)
●纒向矢塚古墳(前方後円墳)
●纒向石塚古墳(前方後円墳)
(写真はあるけど同じ山にしか見えないので割愛)
 
これらの古墳は、箸墓古墳より古く前方後円墳としてもっとも古いと言われています。
古墳の案内板には、弥生時代の墳墓である大型の墳丘墓の可能性もあるという説明となっていました。
心残りなのは、もう1基東田大塚古墳を見逃したことです。
行き当たりバッタリな旅は、こういう重要なチェックポイントを見逃します(汗)。
4基の順番は石塚→勝山→矢塚→東田大塚といわれており、卑弥呼の墓の候補として
東田大塚古墳を唱える人もいるという重要な古墳なのですが見逃しました。。。
 
続いて近くの唐古・鍵遺跡へ
●唐古・鍵遺跡
ここは復元した楼閣だけなのであまり見るところはありません。一周して退散。
 
その後川西町に移動し、
●島の山古墳(前方後円墳 全長190~200m)
 
 ぐるりと一周してチェック。いや~立派な古墳でした。
巨大で地元の生活の中に溶け込んでいるという感じでした。
 
しかし写真並べると空の変化が激しいですね。
快晴と土砂降りがめまぐるしかったのが思い出されます。
来年はもと計画的にと思った帰路でした。 

2012奈良遠征~いざ吉野へ~

2012年09月16日 | 国内歴史・遺跡
今年は明日香では請安先生墓のみとし、いざ吉野へ。
吉野って、歴史的の変化点ごとに重要な地域だけど学校の歴史の中では
大きな登場の仕方はしないんですよね。
でも古代から中世にかけて頻繁に吉野が登場します。
まず応神天皇の時代に吉野に宮があったと日本書紀に記述。
これは本当かどうかはわかりませんが、
その後時代は下って斉明天皇(天智・天武の母)は吉野に宮を設置したし、
以降何か危ないことがあると、吉野に身を隠す歴史的な記述が見られます。
有名な壬申の乱(672年)の前に大海人皇子が出家と称して吉野に隠遁して、
準備を整えた地であったりと、幅広い年代で登場してきます。
 
限られた時間の中で、チェックしようとするとこの年代の幅が結構難しいものです。
古代だけならまだしも、その後の鎌倉末期、建武の新政後南北朝時代に突入した際、
南朝(吉野朝廷)を開いた史跡があったりすると、自分の道のりの順番と歴史の流れが
ごちゃごちゃになるんですよね。
 
でも今回は時間の限られた中の吉野。
中心は大好きな天武・持統にゆかりの各所へ。
本来はルートにもこだわりをもたないといけないんだけど
時間不足、運動不足により、車多様な旅となりました。。。
赤のルートが請安先生墓から芋ケ峠を通って吉野へ向かう持統天皇が行幸した際のルート。
今回は青の道を車で移動したので、いずれはちゃんと時間を作って参らねば。
 
 
吉野川を途中でパチリ。
 
 
歴史資料館があったので朝ほぼ会館と同時に見学してきました。

2012奈良遠征~吉野編~

2012年09月15日 | 国内歴史・遺跡
年に1年は奈良に赴くのがここ数年習慣化しました。
しかし1年経つのは早いですね。
昨年、南淵請安先生の墓と墓の入口を示す道標を間違えてお参りするという失態から早1年。
今年の奈良路の旅はまず、昨年を取り戻すところから始まりました。
しかしそこまでの旅路がまた強行なスケジュール!
9月14日(金)夜の会議を終え、千葉浦安より金沢へ。
9月15日(土)は朝から会社で所用があり夕方まで出勤。
その後金沢から奈良に移動し、奈良についたと感じさせる場所、平城京跡についたのは
夜8時を回った頃でした。
平城京跡では、ライトアップされた大極殿を眺めてまずは奈良に着いたことを実感。
その後、奈良公園に鹿がいないかと夜の道を移動するも鹿は発見できず。
まずは今日の宿にと決めていたネットカフェに向かいました。
ここは昨年もお世話になったところで、国道24号線沿いにあり駐車場が大きくて
周りに食事ができるお店もたくさんあるので、一応常宿と決めています(去年から)。
 
いい大人が、旅の宿がネットカフェかと思われる方が大半だとは思いますが、
自分としてはこの計画性の無さが気に入っています。
元々観光地巡りをする訳ではないので、結局現地に赴くまで漠然としか行き先を
考えていなくて、じっくり計画を練るためにもネットカフェは便利なんですね。
そして、休みながら、今回の旅は「吉野の旅」とすることに決めました。
まずは南淵請安先生の墓を参ってからですが。

2011奈良遠征~残り~

2011年10月16日 | 国内歴史・遺跡
奈良遠征から1カ月以上過ぎてしまいました。
本当はいろいろupするつもりではありましたが、もう記憶が・・・(苦笑)。
談山神社の後の記録だけ。
 
鎌足の墓を参ったあと、山を降りてからは石舞台側から再び飛鳥へ

・飛鳥資料館へ
この時は鋳造に関する展示をやっていて、特に実験考古学の話が面白かったです。
実験考古学というのは、発掘された遺物がどのように作られてどのように使われたのかを、
実験から可能性追求するというジャンルなのですが、
特別点の中で鋳造に関しての
実験考古学が展示されていました。
最近、石器の実験考古学を研究されている方が遠い親戚になったのでなおのこと興味をもって。
 
・蘇我入鹿首塚
大化の改新がテーマな旅であれば行かない訳にはいきません。
入鹿の首塚にも参ってきました。
 
・鑵子塚古墳(カンス塚古墳)
入鹿の首塚を参ったなら蘇我系の古墳もということで、カンス塚古墳へ。
この古墳は、今のところ国内最大級の石室をもった古墳ということで、
蘇我系(蘇我氏か東漢氏)の有力者の墓と想定されています。
 
・牽牛子(けんごし)塚古墳
近くにある昨年の奈良遠征直後に有名になった古墳です。
カンス塚も牽牛子塚も以前にチェックに行ってはいるのでうが有名になってからは、
初めてなので
なんだか緊張しました。この古墳は昨年9月に八角形であることと、
斉明天皇の墓であることがほぼ確定したという、
大変旬(?)な古墳です。
斉明天皇は、2回天皇になっている女性で、1回目は皇極天皇で、大化の改新の時の天皇です。
今回の旅ではこれまた欠かせない古墳でした。
次は斉明天皇チェックの旅をしようかな、と思いつつもこの天皇の人生は
波乱に満ちていて気軽な旅ではありませんので、時間がたっぷりできてからになると思います。

鎌足ゆかりの地チェックの備忘録。

2011奈良遠征~藤原宮跡~

2011年09月05日 | 国内歴史・遺跡

奈良入りしてからネットカフェで夜を明かし、明朝6時から始動。
今回は古墳からはちょっと離れて、藤原氏の基礎を築いた鎌足-不比等親子にまつわる
史跡チェックと勝手に位置付けながらも、でも気まぐれ行き当たりばったりな旅となりました。
元々旅の予定を立てるのが本当に苦手で。
っで近場から順に適当に向かおうとして、最初が藤原宮跡。
飛鳥浄御原宮から694年に藤原宮へ遷都した頃、おそらく不比等は大きな力を持っていたと考えられますが、
歴史の表舞台に顔を出すのはもう少し後のことです。
ともかく、何度も奈良に通い、平城宮跡はよく行っているものの、藤原宮跡には
なぜか行っていなかったので今回雨の中見てきました。
藤原宮というと昨年考古学界を揺るがす事件がありました。
遺構の発見に対して、一度発表した大発見を誤認撤回した事件です。
その内容が大変お粗末で、日本の考古学の中心とも言える奈良文化財研究所の若手研究員が誤認し、
それを経験者が見抜けなかったというもの。
あの奈文研が見抜けなかったという、考古学の信頼性を揺るがす失態だったのです。
ともかく、雨の中、日本の歴史上最大と言われる都城を朝一歩きました。

見えたけど大きな水たまりが目の前に。
遺跡チェックの必需品長靴に履き替えていざ!


2011奈良遠征

2011年09月04日 | 国内歴史・遺跡
9月3日(土)。ちょっと思うところがあり、奈良に行ってきました。かなりの強硬スケジュールで、台風の中、奈良市街地に到着したのは夜の12時近く。奈良公園の鹿たちも迷惑なヤツが写真撮ろうとしているなって感じで愛想を振りまいてはくれませんでした。雨の中、車を停めて写真を撮る自分に対して、群れのボスっぽい鹿が迫ってくるので、ほどほどでやめました(汗)。
ちょうど1年前にも奈良に古墳チェックに来ていますが、1年ぶりの奈良は夜中でも感激でした。