言わなければならない事は言わないと前には進まない

生活する中において言わなければならない事や、他の記事で共感したことなどを中心に。今その時の思いを表す。

メルトダウン隠蔽を民主党のせいにしていた東電の嘘が認定されたタイミングで、柏崎刈羽原発に「新規制基準に適合」のお墨付き。嘘つきが跳梁跋扈する「美しい国」ってわけか!&いつまで続く籠池夫妻の不当拘留!!

2017-12-28 20:03:36 | 言いたいことは何だ

メルトダウン隠蔽を民主党のせいにしていた東電の嘘が認定されたタイミングで、柏崎刈羽原発に「新規制基準に適合」のお墨付き。嘘つきが跳梁跋扈する「美しい国」ってわけか!&いつまで続く籠池夫妻の不当拘留!!




 くろねこの短語 2017/12/28


この年の瀬に、原子力規制委員会が柏崎刈羽原発6、7号機に対して新規制基準に適合のお墨付き。その理由が「福島事故の収束をやり遂げ、柏崎刈羽を安全第一で運営する」って一筆取ったからってんだから、国民舐めとんのかってなもんです。


意見募集「東電に資格ない」 柏崎刈羽「適合」決定 
 
それにしても、適合を決定したタイミングがまた凄い。なんてったって、「炉心溶融という言葉の使用について官邸からの指示はなく、使わないよう社内に指示したのは清水正孝社長(当時)の判断だった」って調査結果が出た直後ですからね。この結果は、福島第一原発事故直後の炉心溶融という事実の隠蔽を民主党のせいにしていたってことを意味しているわけで、つまり東電は嘘ついてたってことだ。


炉心溶融公表遅れ「官邸の指示なかった」 検証委が結論
 
こんな会社が「安全第一で運営する」って言っるからって再稼働にGOサイン出しちゃう原子力規制委員会ってのは、とことん腐ってますね。
 そもそも、東電は潰しておくべきだったんだね。それが、税金投入してどうにか倒産を免れているってのに、黒字決算だってんだからまさに盗人に追い銭とはこのことだ。
 
もっとも、実際に再稼働するには地元の了承が必要だし、新潟県知事は「県独自の検証がなされない限り、再稼働の議論は始められない」という立場を崩していないから、すぐに何かが動き出すということはないというのが救いか。
 
とにかく、この国はまだ原子力緊急事態宣言が解除されてはいないってことを忘れないことだ。そして、その責任は東電にあるということもしっかりと胸に刻んでおこう。
 
最後に、籠池夫妻の不当拘留はどうやら年を越しそうだ。法曹界はなんで沈黙を続けているのか。どう考えたって「総理のご意向」を忖度した不当拘留だってのに、何やってんだか。


http://www.dailymotion.com/video/x6cb5ec
森友学園は今?拘留中の籠池夫妻、長男、長女が語る

またアベ友問題 ジャパンライフ会長の“逃亡”は許されない

2017-12-28 19:59:51 | 言いたいことは何だ
またアベ友問題 ジャパンライフ会長の“逃亡”は許されない


2017年12月27日 日刊ゲンダイ
   
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このまま“逃亡”は許されない。詐欺や預託法違反の疑いで愛知県の被害対策弁護団に告発された「ジャパンライフ」(東京)が26日、銀行取引停止となり事実上倒産した。

東京商工リサーチによると、負債総額は2405億円。磁気治療器などの預託商法を展開してきた同社だが、告発直前に山口隆祥会長の長女・ひろみ社長が辞任。本社の不動産も売却していた。ジャパンライフには、顧客から苦情が殺到しているが、何が起きているのか。

JR水道橋駅から徒歩約7分に位置する本社ビルを訪ねると、エントランスの自動ドアは閉ざされ、インターホンを鳴らしても反応はない。1階のガラス窓には、全てカーテンがかけられていた。「私物を取りにきた」という同社の派遣社員は「室内には誰もいない」と話した。

「地方店舗の社員の多くは、会社から連絡を受けておらず、困惑しています。ひろみ社長は入院中というし、山口会長も行方不明。一部の首脳陣だけで“夜逃げ”するつもりかもしれません」(民間調査会社関係者)

このまま逃がすと、いつの間にか復活し、また問題ビジネスを始める可能性がある。山口会長には“前科”があるのだ。

「山口氏は『ジェッカー・フランチャイズ・チェーン』の社長だった1975年、国会に参考人招致された。同社が展開していた『マルチまがい商法』が社会問題化したからです。結果的に76年、ジェッカー社は倒産。以後、山口氏はしばらく行方不明でしたが、倒産を見越してなのか75年に水面下でジャパンライフを設立していたのです」(政界関係者)

■権力への「すり寄り」は常套手段

ここまで世を騒がせた山口会長が率いる会社が、現在に至るまで問題ビジネスを展開してこられた背景には、政官との“密接”な関係がある。

「山口氏は83年、『健康産業政治連盟』という政治団体を発足し、3年間で、所管省庁の長を務めた中尾栄一元通産相に3800万円、中曽根康弘首相には1000万円を寄付。計1億3000万円を政界にばらまいたのです。官界工作も積極的で、83年に自ら社長を退き、ネズミ講を取り締まる警視庁保安課長を経験した相川孝氏を社長に据えたそうです。当時から政治家を広告塔に起用していたといいます」(政界関係者=前出)

日刊ゲンダイは、ジャパンライフが安倍首相“側近”の下村元文科相の政党支部に10万円寄付し、宣伝チラシに加藤厚労相のヨイショコメントを掲載させ、同社の「お中元リスト」に安倍首相の名があることを報じた。山口会長にとっては時の政権へのすり寄りは“常套手段”。新たな“アベ友”問題に発展しても不思議ではない。 


アルバイトにもボーナスを支給する理由とは? 「富士そば」会長が語る、超ホワイトな経営哲学

2017-12-28 10:24:36 | 言いたいことは何だ
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経営哲学を語る「富士そば」の会長・丹道夫氏

首都圏で働くサラリーマンであれば、一度はお世話になっているであろう立ち食いそばチェーン「富士そば」(現在は東中野店を除く全店にイスがある)。
実は『週刊プレイボーイ』と同い年の1966年創業で、今年が50周年。今では1都3県に100店以上を展開する富士そばを築き上げた丹 道夫(たん・みちお)会長は、四国の田舎町から上京しては失敗を繰り返し、4度目の上京でようやく成功を手に入れた苦労人だ。
80歳を迎えた今でも現役バリバリで、店回りを欠かさない丹氏に波乱万丈の人生を振り返ってもらいつつ、客にも従業員にもやさしい超ホワイトな経営哲学を前編記事(「最初は名前も『そば清』」だった!?…」)に続き、語ってもらった。
* * *
―富士そばは1972年に24時間営業を導入したんですよね。セブン-イレブンよりも早かった。
丹 僕が上京したての頃は泊まるお金がなくて、そば屋に入ったのね。店のTVで力道山やシャープ兄弟の試合を見て時間を潰してたんだけど、店のばあさんから「お兄ちゃん、もうそろそろ閉めるから出て行ってちょうだい」って言われて、上野のベンチで寝るわけ。あの時は寂しかったねー。
この間、僕はね、女房が出かけて帰りが遅かった日に、早く帰ってもつまらないから、ひとりで立ち食いそばを食べたの。そしたら昔のことを思い出してね、なんか涙が出ちゃって。寂しいのが一番嫌なんだよね。
―そんな想いもあって、24時間営業に?
丹 そう。今でも24時間やっていると、随分そういう人が来るんだよ。この間も男のコがスーパーで買ってきたおかずを隅で食べてたの。かわいそうだから、従業員に「熱いスープを丼一杯持ってってやりなさい」と言ったら、喜んで食べてたね。やっぱり東京は地方から出てきた人が多いから、家賃を払うのに精一杯な人も少なくないでしょ。
―お店的には、あんまり長居されても困りますよね?
丹 困るは困るけど、「出てってください」とは絶対に言わない。お互い様だから。従業員にも「冷たくしちゃダメ」と言ってるよ。いつかまたね、いいお客になるんだから。
―お店で演歌を流しているのも、会長のこだわりで?
丹 僕は「演歌がわかる人は他人の痛みがわかる人」だと思ってるの。昔、医者になったという女性から手紙が届いたことがあって、「受験に3度失敗して、途方に暮れていた時に富士そばで聞いた演歌に励まされて、もう一度頑張ろうと思いました」って書いてあったのね。
お店回りをしていると、従業員から「食べ終わっても歌をじっと聞いてる人が多いんですよ」と言われるんだけど、そういう話を聞くたびに演歌を流すのをやめてはいけないと思うんだよね。 




―社内の会議室には「我々の信条」が貼ってありましたけど、従業員の生活が第一という経営方針があるそうですね。

丹 昔から母に言われてたの。「お金が欲しいなら、独り占めしちゃダメ。みんなに分けてやる精神がないと絶対に大きくなれない」って。だから富士そばでも、前年よりよければ給料を増やしなさいと言ってるのね。それさえしっかりしていれば、僕がどうのこうの言わなくても、みんな一生懸命やってくれる。
やっぱり東京にいる時は、お金がないと前に進まないでしょ。それは僕が痛いほど経験してきたから。汚いようだけど、やっぱりお金はあったほうがいいよね。
―アルバイトにもボーナスや退職金が出ると聞きましたが、本当ですか?
丹 出してるね。人間は平等なんだよ。僕は生まれた頃に父が死んで、母は僕を学校へ行かせるために再婚したの。でも、弟が生まれてからは、継父は弟ばかりかわいがって、僕はいじめられた。その時にみんな平等じゃないといけないと思った。それにそのほうが楽なんですよ。売り上げを増やせば、自分たちに返ってくるとわかってるから、僕が何も言わなくても、なんとかして売りたいといろいろ考えてくれる。
―今、世の中にはブラック企業と呼ばれる会社も多いですが。
丹 あれは損してるなと思うよ。なんでブラックにしなくちゃいけないかね。ちゃんと待遇をよくしてあげれば、みんな働くし、自分も楽ができる。どうしてそんなことをするんだろうね。ああいう企業の経営方針はよくわからない。
―大きい会社でも、内部留保でお金を貯め込むことが問題になっています。それについてはどう感じられますか?
丹 いや、これも内部留保なんだよ。みんなにお金をあげれば、やめずに働き続けてくれるでしょう。従業員は資産だから。
―そんな波乱万丈な人生を送られてきて、今、振り返って感じることはありますか?
丹 自分でもよくここまで来たなと思う。それはやっぱり、みんなのおかげだね。いい人に出会えたから。頭もいいわけじゃない、体も強いわけでもない、そんなハンパ者だから一生懸命やるしかない。そうしたら、みんながよくしてくれたんだよね。
―それは『商いのコツは「儲」という字に隠れている』という本を出すぐらい、ご自身が「人を信じる者」だったからじゃないですか?
丹 一緒に不動産をやった仲間に「どうして一緒にやったの?」って訊いたら、「丹さんには騙(だま)されないと思ったから」と言ってたね。すごく優秀な人もいたけど、悪い人は早く死ぬんだ。「後ろ向いたら石投げられる」なんて言ってた人もいたけど、いつの間にか死んじゃったね。やっぱり、それだけ苦労するんだろうな。 





―今の若者に感じることはありますか?

丹 いいと思うよ。このままで。
―それはどういう理由で?
丹 そんなに苦労しちゃいけないと思う。僕自身、バカだなと思った。食べるのに苦労はしないけど、やっぱり大変なことは多いから。今の若者は賢いと思うな。適当に食べるお金があって、自分の人生をエンジョイするのはエラいですよ。
―でも、嫌々仕事してる人もいると思います。
丹 それはいかんね。自分にそぐわないことを嫌々する、そんな馬鹿らしいことはない。自分を変えるか、仕事を変えるか。もっとやりがいのあることをやらなきゃ。それが見つかるまでは、自分を探すこと。僕は自分に何が合ってるのか、本当にわからなかった。父に相談したかったけど、早くに死んでしまったしね。
若い頃に八百屋や油屋で丁稚奉公(でっちぼうこう)してた時は、何も面白くなかった。不動産も富士そばも自分の意思でやったから成功できたんだと思う。だから今の若者もやりがいのある仕事を見つけてほしいね。
―今は息子さんに社長を譲られて、世代交替もあると思うんですけど、最後に50年後の富士そばはどうなっていると思いますか?
丹 それは難しい質問だね。江戸時代は屋台で買える食べ物で、それが普通のそば屋になって、今は立ち食いそばもたくさんできた。僕はそば屋と聞いたら、35%の人が立ち食いそばをイメージしてくれたらいいなと思って、立ち食いそばのレベルを上げる努力をしてきたんです。
―昔に比べれば本当に手軽に安く、しかもおいしく食べられるようになりましたよね。
丹 でも、これがいつまで続くかはわからない。「丹さん、そば屋はいつかスパゲティ屋になるよ」と言う人もいるんだけど、それは間違いだと思うんだよね。スパゲティよりは、そばのほうが慣れ親しむだろうと。だから、あんまり個性を強くしたものはダメだと思うの。飽きられちゃうから。僕が一番不安に思っているのは、そばやうどんよりももっと手軽でおいしいものが開発されること。
―そんなことまで考えられていたんですね。
丹 そうなったら、そっちにいくかもわからないよね。ただ、うちは駅前のいい場所に100店以上確保しているでしょ。これは他の商売でも使えると思うから、違う業種に転換している可能性は考えられる。まぁ、例えそうなったとしても、50年後も残る企業になってほしいね。
●丹道夫(たん・みちお) 

ダイタンフード株式会社会長。1935年12月15日生まれ。愛媛県西条市出身。中学卒業後、地元での八百屋、油屋での丁稚奉公に始まり、その後は上京しては失敗して帰郷を繰り返すも、友人と立ち上げた不動産業で成功。1966年に富士そばの前身となる「そば清」を始め、1972年にダイタンフード株式会社を設立して立ち食いそば業に専念。現在はグループ会社8社、国内113店舗、海外8店舗を展開。55歳で演歌の作詞を始め、「丹まさと」の名で作詞家としても活躍している。著書に自身の半生を振り返った『らせん階段一代記』、富士そばの経営学を記した『商いのコツは「儲」という字に隠れている』がある。

(取材・文・撮影(店舗)/田中 宏 撮影(丹会長)/綿谷和智)

古賀茂明「日の丸背負う三菱重工の“没落”と経産省失敗の本質」三菱重工を含め、日本の重電企業は、未だに経産省と二人三脚で原発に軸足を置き、再生可能エネルギー分野では世界から完全に取り残されてしまった。

2017-12-28 10:09:53 | 言いたいことは何だ
古賀茂明「日の丸背負う三菱重工の没落と経産省失敗の本質」


AERA dot. 12/25() 古賀茂明


天下の三菱重工業の危機というと、あまりピンと来ない方も多いだろう。同社は、武器や船舶、原発、火力発電所、ロケット、航空機、各種プラントなどを製造しているものの、消費者に身近な製品が少ないことから、三菱グループの中でも、三菱東京UFJ銀行や三菱自動車などに比べてややなじみの薄い存在かもしれない。

しかし、天下の旧三菱財閥グループの中では、三菱東京UFJ銀行、三菱商事と並ぶ御三家の一つで、そのグループ内での地位は、三菱自動車とは比べ物にならないほど高位にある。


その三菱重工業が今、非常に苦しい状況に追い込まれている。原因はいくつかあるが、中でも注目を集めているのが、同社が総力をあげて開発している初の国産ジェット旅客機「MRJ」だ。

2次世界大戦後初めて日本メーカーが開発した旅客機YS11の生産が1973年に中止されて以降、日本の企業が独自開発した民間用旅客機はなかった。その後、経産省はじめ、政府は、日本独自開発による「日の丸旅客機」の実現のために長年にわたり、巨額の補助金・融資などで民間企業を支援していた。そして、その悲願を託すプロジェクトとして立ち上がったのが、三菱重工のMRJジェット旅客機プロジェクトだったのだ。現在では、MRJと言えば、三菱重工のプロジェクトだと誰もが思うのだが、実際には、経産省主導の「日の丸ジェット」プロジェクトだと言ってよいだろう。

このプロジェクトは、2003年以降に本格的に立ち上がり、政府挙げての資金援助が行われた。毎年数十億円単位の資金が投入され、その結果、何とか2008年に実用機の開発がスタートした。その時の関係者のはしゃぎようは、まるで日本人が月面に降り立ったのかと思うくらいの大騒ぎだったのを覚えている。

何しろ、当初は、わずか5年後の13年には初号機が受注先に引き渡される予定だったのだから、その喜びもわからないではない。しかし、その後は、度重なる設計変更などの不具合が相次ぎ、なんと5度も納入が延期される事態となってしまった。このため、当初、2000億円とされた開発コストも、5000億円近くに膨らんでしまい、開発を担当していた三菱重工業の子会社である三菱航空機は債務超過に陥ってしまった。相当厳しいということは、はたから見ていても明らかだ。

さらに痛いことに、三菱重工がもたつく間に、ライバル企業のエンブラエル(ブラジル)、ボンバルディア(カナダ)などもMRJを後追いするように、MRJと同様の100席以下のリージョナルジェット開発に着手し、あっという間に追いついてきた。MRJの初号機納入は20年半ばの予定だが、エンブラエルの新型機も翌21年には投入される予定だ。

MRJ
のセールスポイントは従来機比で30%の燃費改善だったが、ライバル勢の新型機もこれに追いつき、MRJの優位性はすっかり失われてしまった格好だ。しかも、開発当初1バレル100ドルだった原油価格は50ドル程度となり、今や低燃費は顧客の関心事ではなくなってきている。

今後、売り込み競争が激化するのは必至。今後の展開では、繰り返される納入時期延期で信頼を失った三菱のMRJは、これまでの受注(447機。基本合意段階のものも含む)からキャンセルが続出し、数千億円規模の損失となる可能性が出てきた。

現に、20171122日付日本経済新聞は、「初のキャンセル濃厚」という見出しで、米航空業界の再編のあおりを受けて、近く40機のキャンセルが出る公算が大きいと報じ、1215日には、ついに宮永俊一社長が、記者会見で、米イースタン航空が発注した計40機(オプション含む)の契約について、「おそらく、なくなるだろう」と認めざるを得なくなるところに追い込まれている。その会見では、計200機を発注している米スカイウエストなど大口契約先からのキャンセルはないとしたものの、それを額面通り受け取ることはできない状況だ。

千載一遇のチャンスを逃した「自前主義」の罪

日経新聞によれば、MRJの開発が難航していた10年頃、三菱重工はボーイング社から「ボーイング737のコックピットを使ってみては?」と持ちかけられたそうだ。しかし、三菱重工は〝純国産自前主義〟にこだわり、その提案を一蹴してしまった。

おそらく、経産省にも相談した結果のことだろう。経産省から見れば、日本の航空機産業がボーイングの下請けから脱して独自の道を歩む象徴的なプロジェクトで、エンジンと並ぶ重要性を持つコックピットをボーイングに頼ることは、絶対に避けたいという心理が働いたのは確実だ。世界のライバルの動きなどを見ながら、柔軟に方針転換する能力さえあれば、きっとこの時、三菱重工に対して、ボーイングとの協業に動くようアドバイスしたのであろうが、残念ながら、彼らには、「排外主義」の遺伝子はあっても、「国際協力」の遺伝子はない。結果として、千載一遇のチャンスを逃してしまったのである。

この時、「YES」と応じていれば、今難航している世界各国の型式証明取得などにもボーイング社のノウハウを活用できただろう。その後の納期遅れもなく、今頃MRJは世界シェア1位のリージョナルジェットになっていたかもしれない。

期待の火力発電事業でもトラブル続きで泣きっ面にハチ

タイミングの悪いことに、現在、三菱重工は日立製作所との間に大きなトラブルを抱えている。両社がそれぞれの火力発電事業部門を統合し、三菱日立パワーシステムズを設立したのは14年のことだ。両社にとって、火力発電事業は屋台骨とも言える重要な事業だ。しかし、世界の競争は厳しさを増している。そこで、統合によって、世界の2強、GEとシーメンスに対抗できる勢力を目指したのだ。

ところが、統合前に日立が受注していた南アフリカの火力発電プラント建設で工事の遅延が発生した。アメリカで東芝の子会社が、原発建設の遅れから大規模な損失を出して、破たんに追い込まれたのはつい最近のことだが、これと似たことが起きているわけだ。そして、これによって発生する巨額の損失の負担をめぐり、日立と三菱の間で折り合いがつかず、三菱は損失額7634億円全額の支払いを日立に求めて、177月末に日本商事仲裁協会に仲裁を申し立てている。

ここまで泥沼化し、仲裁申し立てまでしなければならないということは、三菱が負ける可能性もあるということだ。そうなれば、出資比率(65%)に応じた損失が生じ、その額は5000億円規模になってしまう。

ということは、MRJ、そして南アフリカの発電プラントでの損失見込みを合わせると1兆円を超えてしまうかもしれない。三菱重工の自己資本は2兆円と厚いので、1兆円の損失で即経営危機とはならないが、少なくとも、経営にイエローランプが灯ったと警戒すべき段階だと言ってよいだろう。

今後の火力発電の見通しは真っ暗

南アフリカの損失は、過去のもので、しかも原因は日立側にあった。今後、心機一転巻き返しに出ればよいのかもしれないが、それが、全くそうなりそうもない。1712月の記者会見で、宮永社長自らが、火力発電向けタービン事業の不振が「少なくとも」2年は続くと認めざるを得ないほどの不振に陥っているのである。

その原因は、パリ協定成立などで、新興国を含め世界中で太陽光や風力などの再生可能エネルギーの導入が急拡大し、逆に火力発電用タービンの需要が急激に落ち込んでいるのだ。これは、世界の潮流を見ていれば誰にでもわかることのように見える。現に、GEやシーメンスは、既に大幅リストラを発表している。両社とも再生可能エネルギー向けの需要拡大により、そちらにシフトして稼ぐ戦略をとっているのだ。

ところが、三菱重工を含め、日本の重電企業は、未だに経産省と二人三脚で原発に軸足を置き、再生可能エネルギー分野では世界から完全に取り残されてしまった。伸びる分野で仕事が取れないので、火力分野を縮小するという判断が遅れてしまったのだ。三菱重工では、173月期にエネルギー・環境部門が営業利益の7割を稼いだ。今年度はその中の重要な柱の一つである火力の受注高は2割減にまで落ち込むらしい。今後は、採算度外視でも火力の仕事を取りに行くしかなさそうだが、そうなれば、大きな損失が発生することもあり得る。屋台骨が揺らぐというのは、まさにこういうことを言うのだろう。

三菱重工と言えば、造船。長崎造船所はその象徴だった。しかし、同社では、11年に鳴り物入りで受注した大型客船2隻で、何と2540億円という巨額の損失を計上した。結局、造船部門は本体から切り離すことになったが、実は、足元では受注が減少しているという。造船は受注から実際に建造が始まるまでのリードタイムが長いが、数年後には、ドックでの仕事が減っているということになりかねない。

ちなみに、造船以外でも、同社は、178月に、試作車まで作ったのに価格で折り合わずリニア新幹線事業から撤退している。「世界の三菱」の名を汚す失態が延々と続いているという印象だ。

三菱重工は防衛・経産の子会社になる?

航空機、造船(軍需を除く)、火力などを子会社化した三菱重工本体には、主要事業として、防衛、航空・宇宙、原子力などが残っている。よく考えると、これらは、いずれもお役所の言うことに従って動く国策産業だ。

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116日には、日経新聞に「不況造船に『官の恵み』 潜水艦や護衛艦の建造・改修」という記事が載った。民間市場では仕事が取れないので、仕方なく、防衛部門にシフトするしかない関連企業の話が出ているが、防衛産業の売り上げが最も多いのが三菱重工だ。

さらに、年末の1221日の日経新聞には、「次世代原子炉を輸出東芝など官民、ポーランドで建設 」という見出しが載った。東芝などと書いてあるが、東芝と並んで三菱重工も重要なプレイヤーの一つだ。その見出しでも「官民」という言葉が躍っている。再生可能エネルギーの分野で完全に出遅れた日本企業が、経産省と新興国政府に頼って、再び原発に活路を見出そうということなのだろうか。

この二つの記事は、まさに、三菱重工が民間企業から事実上の役所の子会社に成り下がっていくのを象徴しているのではないだろうか。

日本の大手メーカーには、「我が社の技術は世界一」という思い込みを持つところが多い。そうした自惚れを持っていては、海外の優秀な企業との連携をしようとしてもうまく行かない。また、世界の最新の情報も入ってこない。その結果、様々な分野でガラパゴス化をもたらし、グローバル市場での日本企業の不調につながっているのが現状だ。

そのような企業行動は、経産省の日の丸主義と護送船団方式によってがっちりサポートされている。官民複合産業体になっているのだ。そして、三菱重工もその代表格となっている。同社が、本来のたくましい民間企業としての復活を望むなら、純国産・自前主義を完全に捨て去り、海外一流企業との間で謙虚な姿勢で協力関係を結び、新たな地平を切り開くという姿勢に転換すべきだろう。そうしなければ、MRJをはじめ、これからも大型プロジェクトで失敗が続くことになるのではないだろうか。

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1130日、愛知県豊山町に「MRJミュージアム」「あいち航空ミュージアム」がオープンした。初めての週末だった1223日は計5443人が訪れ、子どもたちが実機の展示を見て「大きい」と歓声を上げながら記念撮影をしてはしゃぐ姿が報じられた。12月と今年1月はほとんど空きがないというほどの人気だ。

このミュージアムのように、三菱重工が、子どもたちに夢を与える企業として生き残ることができるのか、それとも、役所に手取り足取り指導を受けて、武器と原発を世界中に売り歩く死の商人に成り下がるのか。同社は、大きな岐路に立たされている。