言わなければならない事は言わないと前には進まない

生活する中において言わなければならない事や、他の記事で共感したことなどを中心に。今その時の思いを表す。

政党助成金と各党の規約

2013-08-17 20:30:11 | 言いたいことは何だ
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https://www.facebook.com/#!/photo.php?fbid=319480718190775&set=a.152563111549204.33525.100003865476291&type=1
 
 
なんだかこの表を見ると一目瞭然!!
 
「身を切る改革」などといいながら、絶対に手をつけようとしないのが、政党助成金です。
毎年350億円、通算2兆円をこえていますが、なぜ共産党以外の政党は口をつぐむのか、これを見て納得しました。
政党の規約に、「政党助成金を充てる」と書いてあるんですね、ちゃんと。しかも、それが収入の大半を占めている。
こういう政党が、国民の目線に立てるのか。

 

美輪明宏「悪魔」

2013-08-17 20:23:38 | 言いたいことは何だ

原爆 水爆大好きな
戦争亡者の親玉よ
お前の親や兄弟が
女房や子供が 恋人が
焼けて爛れて死ぬだろう
苦しみもがいて死ぬだろう
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週刊金曜日 2013.8.9・16合併号 PP.24~27
私が軍人に「玉砕って何ですか?」って聞いたら「みんなで死ぬことだ。日本人は最後の一人になるまでとにかく竹槍で戦って死ぬんだ」と言うんです。向うは原爆作ってるんですよ。どうやって竹槍で戦うんです?この人達は、忠義とか、忠臣とか、天皇陛下の御為とか言ってるくせに、言ってることとやってることが違うじゃないかって思ったんです。一億一人残らず死ぬということであれば、天皇陛下も皇后陛下も宮様方もみんな死ねっていうことですか?
 私、聞いたんですよ。そうしたら「バカモノ!!不敬である」なんて言われちゃって。「不敬はてめえだろう」でしょう。
 
岩倉具視や伊藤博文が、帝国憲法を作ったわけだけれども、天皇を奉るっていうことは負け戦になった時のことを考えてないんですよ。負けたときに、「あれは天皇の責任です」「天皇が全部権力持ってますから」って言って済ませてしまうということです。天皇を奉ることは、天皇を裁いてくれという裏の言葉になるわけですよ。
 
鈴木安蔵たちは、ジャック・ルソーの契約論や、アメリカ独立宣言後のアメリカ合衆国憲法、フランス革命後のフランス憲法、ワイマール憲法など、全部のいいとこ取りをしちゃって、自分の思想も入れて出したのよね。
 なんで自民党の人たちが、「アメリカの押し付け」って言っていると思ったら、政府側の案をはねつけられたからなんですよね。「アメリカが作ったものを押し付けられたんだ」というのは物知らずで無礼ですよ。日本人が作ったんです。
 
こんな素晴らしい憲法は世界に類がありません。誇って自慢してればいいわけです。日本は「私達は原爆を持ってないから、あなたたちも原爆持つのおやめなさい」って言う資格が唯一ある国なんですよ。

はだしのゲンの貸し出し制限、その真実は

2013-08-17 20:18:26 | 言いたいことは何だ

http://ameblo.jp/tinmiena/entry-11382889012.html
在特会が
http://linkis.com/matome.naver.jp/odai/PtAj
ならば
http://m.blogs.yahoo.co.jp/uwajima_sophia/15506122.html
http://m.blogs.yahoo.co.jp/uwajima_sophia/15506151.html
YouTubeで
http://m.blogs.yahoo.co.jp/uwajima_sophia/15506219.html
ご覧下さい。
 
https://www.change.org/ja/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%83%B3/%E6%9D%BE%E6%B1%9F%E5%B8%82%E6%95%99%E8%82%B2%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A-%E3%81%AF%E3%81%A0%E3%81%97%E3%81%AE%E3%82%B2%E3%83%B3-%E3%82%92%E6%9D%BE%E6%B1%9F%E5%B8%82%E5%86%85%E3%81%AE%E5%B0%8F%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E9%A4%A8%E3%81%A7%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%8C%E8%87%AA%E7%94%B1%E3%81%AB%E8%AA%AD%E3%82%81%E3%82%8B%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AB%E6%88%BB%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%BB%E3%81%97%E3%81%84?share_id=jFMBzJWNcz&utm_campaign=share_button_action_box&utm_medium=facebook&utm_source=share_petition

イエズス会士が始めた「奴隷売買」

2013-08-17 20:13:56 | 言いたいことは何だ

イエズス会士が始めた「奴隷売買」



   豊臣秀吉はイエズス会のコヨリエと明への出兵を語り合い、秀吉はコヨリエにシナ計画を持ち出されて、その誘惑に乗ったというのが「朝鮮の役」の真相であった。コヨリエは、「今に見ておれ、太閤(秀吉)を海外遠征(朝鮮の役)に引き込んで、さんざんな目に遭わせてやる」と言っている。コヨリエの策謀を見抜き、怒った秀吉がコヨリエにたたきつけた五箇条の概略を載せる。

 1、なにゆえに秀吉の臣下をキリシタンにしたのか
 2、なにゆえに宣教師は教徒(キリシタン大名をさす)に神社仏閣を破壊させたのか。
 3、なにゆえに仏教の僧侶を迫害するのか
 4、なにゆえにお前たちは耕作に必要な牛もして食用にするのか
 5、なにゆえにお前たちはお前の国民が日本人を購入し、奴隷としてインドに輸出するのを容認するのか

   秀吉側近の大村由巳(おおむらよしみ)が秀吉に差し出した手紙の中に、「黒船の奴隷船で、男女によらず手足に鉄の鎖をつけ、船底へ追い入れ、地獄の呵責にもすぐれ・・・」と書かれている。こうした奴隷船の史実はたくさん残っている。日本人はイエズス会が何であるかの真相をはっきり知らなければならない。

   イエズス会はポルトガルの商人たち、つまり長崎で金の仲買人として活躍した者たちと組み、宣教師バリニャーノは1578年に、マカオの商人と金貿易のために正式な契約を結んでいる。そうして日本人も、ポルトガルとスペインの領土拡張の競争の中に入っていくのである。やがて、難破したポルトガル船の積荷をめぐって争いが起きた。スペインの総督は秀吉に脅迫状を送り、「我々の宣教師は征服者の前触れである。覚悟するがよかろう」と。

   そうした争いの結果、1587年(天正15年)、秀吉はキリシタン宣教師追放令を出した。
   秀吉はその報復としてただちに6人のフランコ会士と3人のイエズス会伝道士、それに19人の日本人信徒を十字架にかけた。

   ・・・。柳父 章(やなぶあきら)は、「キリシタン一揆」は生活に困った百姓たちの農民一揆でもあったと書いている。日本の代表的なカトリック作家であった遠藤周作は『侍』の中で、パードレ(神父)・ベラスコを通して痛烈な日本批判をしている。

   「宗教に現世の利益だけを求める日本人。彼らを見るたびに、私はあの国には基督教のいうような永遠とか、魂の救いとかを求める本当の宗教は生まれないと考えてきた。彼らの信仰と我々基督教徒が信仰と呼ぶものの間にはあまりにも大きな隔たりがある」。

   遠藤周作は日本人にして日本人ではない。
   彼は、「現世の利益」を求めて日本にやって来たザビエルの行動から目をそむけ、目を閉じている。彼は、奴隷船に売られた何十万人の日本人の事実から目をそむけ、見ようとしない。彼は、日本の神仏や寺院を焼き払えとキリシタン大名に命じたイエズス会の悪行に目を閉じている。

   そして遠藤周作は、「・・・極秘、かの奇(く)しき紅の夢」の中に生きて、日本人を悪しざまに描いて、文化勲章を貰って死んでいった。キリスト教が日本に定着しなかったのは、日本人が「永遠とか、魂の救い」を祖先回帰のなかに求めたからであった。つまり日本人の深層意識がキリスト教の持つ恐怖を拒否し、認めないからである。

   3万7千人のキリシタンが殺されたと、日本のキリスト信者たちは語り継ぎ、それに疑問を呈さない。しかしこの点についても、矢切止夫(やぎりとめお)は書いている。キリシタン一揆については異説がある。矢切止夫の『矢切日本外史』から引用する。

   ――真相は「フロイス日本史」にもあるように、「原城(長崎)は口ノ津といったイエズス会の本拠地」であり、また戦国時代からイエズス会の者たちは、費用をひねり出すために日本では一粒も産出しない火薬の硝石を持って来ていた。そして横文字で書かれた教義も何も読めず説教の言葉も何もわからない者が、硝石をもらいたいばかりにドリチェナキリストアンと唱えるだけでよく、そうした者たちが切支丹大名と呼ばれていた」、といった有様であった。

   ――そして口ノ津は、硝石と交換にイエズス会が入手していた彼らの治外法権の場所であった。それゆえに「一揆」は火薬の硝石を手に入れたい者たちによる襲撃であり、彼らが口ノ津の原の古城の倉庫番やその奴隷を殺したのである。そしてオランダのカビタンは、神の名において仕返しをするために協力したいと申し出てきたというのである。

   ――この話(島原の乱)の裏書ができるのは、「山田右衛門なる画師がただ一人投降してきて助命されたが、その者が城内で見てきた旗というのを描かせた」とする証拠があり、(略)それがまことにおかしな話で、カトリーコ(カトリック)とプロテスタントの二種の旗が混じっていたからである。ヨーロッパにおいては共に仇敵どうしとして、互いに国をあげて殺しあっているのが、いくら東洋の九州片隅であれ、双方の旗を立てて両者が力を合わせて抗戦することはまずあり得ないことである。

   ――また今日伝わるように、3万7千から5万に及ぶ女子供までが、「主のおんために」みんな死んだものであれば、こうした話は世界中他に例のない話ゆえにローマ法王庁の記録にも残るべきものであるが、しかしなぜかまったくその記録を見つけることができぬ事実や、そもそも島原の乱に関してはただの一行も記載されていない不可思議さも、これなら謎解きできるし、判るというものである。

   八切はキリシタン史研究のために長年、ヨーロッパに行っており、研究した作家である。八切は、「つまり松平伊豆守(まつだいらいずのかみ)が、局地解決として他へ反乱が波及せぬよう、一部の者だけに切支丹を上手く利用し、政治的な発表をしたのであろうと解釈するしかないようである」、と島原の乱を解釈している。私は八切の説は正しいと思っている。

   アフリカの黒人たちを奴隷としてアメリカに送り出していた海岸は、”黄金海岸”と呼ばれた。そして日本の女性たち、一部男性もいたようだが彼らを海外に送り出した海岸を、イエズス会士たちは”白銀海岸”(シーサイド・シルバー)と呼んでいた。山田盟子は、『ウサギたちが渡った断魂橋(どわんほんちゃお)』の中で次のように書いている。

   『キリシタン禁教の前に、たくさんの庶民が「硝石に対する納め物」として、つまり奴隷にされて海外に移出されたようです。”白銀海岸”から送り出された「からゆき男女」は、この奴隷が始まりであったのです。日本では鉄砲は真似して作れても、火薬の硝石がなかったのです。その時期、取り持ち役の日本人イルマンの口移しで、諸大名が「ドリチナ・キリシタン」と言って洗礼を受けたのも、みんな火薬の硝石欲しさのためで、これがキリシタン大名の実像だと八切氏(八切止夫氏)は私に語りました。本職である歴史畑の専門家の人々が、こんな事実にあまり触れていなかっただけに、二昔も前にこのことを聞かされた私はびっくりしたものでした。』

   山田盟子は八切止夫と会い、「倭寇(わこう)におとらぬような存在で、マカオにイエズス会のキリスト戦闘団がありましてな、硝石をにぎっていましてな・・・」と教えられたという。日本の御用学者たちは、天皇と欧米に都合の悪いことはほとんど書かないように飼い慣らされているので、こうした真実は我々には決して伝わらない。山田盟子は続けて述べている。

   『このことでは学者の森克己氏も、こう述べています。
    「中世の倭寇については、史料が日本側には残されていない。ただしポルトガルが渡来して後、日本人や朝鮮人が奴隷として海外に輸出されるようになった。天正15年(1587年)に発した人身売買禁止令はこれに対する単なる応急処置でしかなかった。鎌倉期にすでに専門の人買いが諸国に市を立てており、たとえ”人身売買禁止”の法が出されていても、戦国期における辺境の諸大名たちは伊達や対馬の大名のように、”人売公許”という独自の法があった』

   レイス・アルメイダについてはすでに少し触れたが、山田盟子の著書から引用を続ける。

   『島原にポルトガル人のレイス・アルメイダが来たのは、おうら(からゆきさんの1人)たちが記録に載る64年も前のことでした。それよりすでに十数年早く、鹿児島にはポルトガルからザビエルが来ておりました。島原の口ノ津の史料によると、アルメイダは来るなり2週間の伝道で、250名も洗礼をしたことや、前年は島原のお殿様である有馬義直が、口の津開港と同時に実弟の大村純忠を通して、イエズス会の宣教師の派遣を求めたとあります。

   『”人身売買禁止令”の出る20年前の永禄6年(1563年)に、島原の有馬城主だけでなく、他の地方諸大名がいっせいに「ドリチナ・キリシタン」をやらかしたのは、彼らがみな、戦国期に生き残るために硝石という火薬が欲しかったからでした。そのためそれと交換する人売りも各地で行なわれ、”白銀海岸”は島原の浜だけではなく、他のもっと多くの海岸がそのために用いられたと思われます。

   『口ノ津に上陸したバスク人のアルメイダなどはイエズス会に属する者だったので、豊後(ぶんご)に施療院や孤児院を開いたかと思うと、口ノ津や博多、肥前(ひぜん)、名護屋を経て平戸へ、というようにその足取りは諸大名に取り入って「硝石契約」が主のようでした。

   『ポルトガルとオランダが諸大名に火薬を売りつけたために、日本は戦国時代になってしまった。信長のキリシタン擁護が腰砕けとなったことで、宣教師たちは明智光秀に新式火薬を渡し、信長殺しに成功した。しかしそのうち秀吉の鎖国政策を嫌った宣教師たちは、秀吉の朝鮮征伐には火薬を供給しなかったために、秀吉の外征は失敗に終わった。そしてこの時国内にいて火薬を温存した徳川が後の政権をとることができた。家康は火薬の流入こそが日本の戦乱を引き起こしたことを十分承知していたので、鎖国の狙いはキリシタン禁制そのものではなく、火薬流入の禁止が目的であった。』
                            (『昭和天皇の謎』 鹿島 (しょう)

八切   あの頃は車もテレビもなく、ただ人間だけが輸出品だったわけです。
      堺に納屋衆と呼ぶ倉庫業者がいて、そこは売るための人間を縛って入れておく納屋なんです。それ以外に輸出倉庫などがどうして必要ですか。

鹿島   堺は奴隷商人の町だったんですね。

八切   ちょっと脱線しますが、アフリカに黄金海岸がありますね。
      バチカン法王庁へ行くと日本の三角湾にシーサイド・オブ・シルバー、つまり白銀海岸と書いてある。白砂のような火薬原料の日本には産出されない硝石を持ってくるわけです。それを戦国大名が欲しがって引っ張りだこですから、その結果、これが当時でいう切支丹大名。硝石さえ持って来れば、その代償に男でも女でもいくらでも奴隷として交換できるわけです。(略)魔女狩りのときにはヨーロッパ女性がずい分減ったから、魔女裁判をやったラリンケ判事の魔女審判裁定書の中にも、「東洋へは硝石さえ持っていけば、女はいくらでもくれる」と書いています。

   新しい黒色火薬を使ってイエズス会の連中が、「我々の知り得たところでは、信長は髪の毛1本も残さずに、その遺骸をふっとばしてしまった」
                         (カリオン報告書、『信長公記』のポルトガル語訳)

   「キリシタン禁止令」が出たあと、奴隷売買はなくなったのだろうか。
   しかし実際には江戸時代から明治・大正・昭和の敗戦時まで、多くの「からゆきさん」たちが海を渡って行ったのである。なぜならイエズス会によって始められた奴隷売買の真似を今度は幕府が、そして明治・大正・昭和の政府が行なうようになったのであった。