パッション120%

さあさあさあ!!
今日も全開で・・・
パッショネイトにイカねーと♪♪

カフェテリア TARO

2018-11-11 14:22:14 | 岡本太郎


岡本太郎美術館に併設されているカフェ
嬉しいことに、美術館との往復は好きなだけできる作りになっている。
鑑賞の合間にカフェタイム
そしてまた、岡本太郎にどっぷり浸かる ×エンドレス
そんなこともできる♪



カラフルでかわいい椅子がお待ちかね。
決して「座ることを拒否する椅子」ではない。
「どうぞ座ってくださいの椅子」だね。

ガッツリお食事メニューも豊富!
でもやっぱり
TAROに関連あるメニューを頼むよね!



『TARO』限定 太陽のパルフェ
TAROブレンド


コーヒーが名前だけなのは、まあ仕方ないとしよう・・・
でもね
パフェが、ぜんぜんTAROでもなければ太陽でもない気がするのは気のせいですか!?

ベリーたっぷり
甘さと酸っぱさのバランスのとれたパフェ
シュークリームを太陽に見立てているのだろうね。
それはわかる。
なんとなくわかる。
でもさ、それでいいのかな・・・

もうちょっと一捻りほしい気がする。
もっとデコレートしたメニューがたくさんあれば
それだけで集客の目玉になりそうな気がするんだけどな・・・
今どきのインスタ映え的なかんじで。

岡本太郎の作品はユーモラスでシンプルなものもあるから
商品化しやすい気がする。

「座ることを拒否する椅子」をお菓子にして
「食べられることを拒否するケーキ」とか
「食べられることを拒否するクッキー」とかね。


そうそう
パフェのどこがTAROなのか太陽なのか
店員さんに聞いたのだけど
聞かれた店員さん、返答にめっちゃ困ってた(笑)





カフェから見る外の景色は
とってもステキです。

AUDIO ARCHITECTURE

2018-10-27 22:13:20 | アート


AUDIO ARCHITECTURE
音のアーキテクチャ展


アーキテクチャ(構造物)として音楽を捉えデザインし曲にする。
リズム、メロディー、音域、楽器
それぞれが組み合わさり、バランスを取ったり、バランスを外したり
曲として組み立てていく。
確かに構造物だといえる。

しかしだ
オーケストラは、その最たるものではないだろうか・・・
様々な楽器の音が折り重なっていく。
100人以上で編成されるオーケストラだってある。
音色の違う楽器
音を出すタイミングも楽器によって違う。
打楽器だってある。
まさしく構造物だろう。

「音楽を構造物としてデザインする」
今までそんな言い方をしなかっただけで
昔々から続けられてきたことでないか?
そんな気がするのだがね・・・

しかし、なかなかに斬新な企画だった。
ミュージシャン、コーネリアスの小山田圭吾が
この企画展のために曲を書き
ライブ映像も撮って流れている。
そして、様々なアーティストが
この曲をイメージして映像作品を作っている。

映像も楽しめるライブ会場のような様相を呈してた。
(企画展はすでに終了しています)



AUDIO ARCHITECTURE (Studio Live Version)

1984年

2018-10-16 01:01:07 | 本・映画・テレビ

1984年
ジョージ・オーウェル(1903〜1950)

1949年に書かれた作品
未来の1984年を舞台に描いた物語
ただし、内容はディストピア(暗黒世界)を描いている。

ストーリーをかいつまんで話していこうと試みたのだが
とてもうまく要約できそうもないので途中で放棄した。

暗黒世界とは、平易に言うとぜんぜんハッピーではない世界。
絶えず戦争が繰り返され
党から国民は監視され続ける。
表情すらも監視対象になってしまっている世の中だ。
どこに思想警察が潜んでいるかもわからず
いつ密告されるかもわからない。

党のリーダーは実在するかどうかも不確かな存在。
だが、絶対的な存在として君臨しているかのように
すべてのシステムが出来上がっている。

全てが党の歯車のような存在ともいえる。
そこに「個」の存在は必要なくなっている。

過去の歴史の改ざんを繰り返し
現在の党の政策の正当性を誇示させる。

常に仮想敵国を作り出し国威発揚させ
民衆の目を外に外に向けさせるように仕向けて行く。

非常事態を常態化させ
国民の物資や食料は常に足りず、困窮状態にさせる。

語彙を減らし、言葉の意味すらも減らし
考える余地を余地を奪っていく。

党に不都合な言葉を削除していき
反旗を翻す意思さえも奪っていく。


1984年はとうに過ぎたのだが
この小説の内容が、現代にあてはまる部分が多い。
もちろん良くない意味でのことではある。


この小説の帯に書かれている言葉の通りでもある。
国や政府、世の中のシステムに疑問を持っている人は読んでみてほしい。
内容的には、読みやすい本ではないかもしれないが
現実の危うさが実感できることと思う。

カーソルをアートに。

2018-10-09 13:29:22 | アート

「2.5次元の触覚」

懸谷 直弓さんの作品
上野公園に2019年3月まで展示中

パソコンの画面に出てくるカーソル
それを現実に引っ張り出してきた。

なんと4メートル!
近くでみると、粗いドットのガタガタ矢印
しかし、遠くから見るとパソコン画面のようなかたちに切り取ることができる。




「境界線」
ディスプレイの中でマウスの指令に忠実に動くカーソル
現実には出てくるはずのない存在。
それが巨大になり、確かな質感を伴いそこに存在する。

全てをパソコンやスマホに集約していこうとしている世の中において
逆行するような印象がこの作品にはあり
現実的質感をどんどん失っていく世の中に対して
アンチテーゼのようにも感じ取れる。

ディスプレイの中の存在を、敢えてリアルにした理由とは・・・

最初は異質にかんじた作品ではあるが
すぐにその感覚は溶けてなくなっていた。
それもそのはず
パソコンを使っている人には、毎日動かしている存在だ。
馴染みがある、なんてものではなく
手足のように動いてもらっている存在である。
言葉が通じない人同士であったとしても
このカーソルに対しては、共通認識を持つことができるのではないだろうか。
グローバルな存在だともいえる。

多くの人に受け入れられる可能性の高い存在ではないだろうか。

「藤」から見る表現のかたち

2018-10-05 18:53:35 | 日々を歩む



週に一度は通る、見慣れた道
藤の文字が建物の前に佇んでいた。

一度そのまま素通りしたが
引き返して写真を撮った。
私にとっての日常の道、日常の風景
そこに異物が溶け込んでいる。
アンバランスが発生していた。

日常の中に入り込んだ異物。
私としては、とても刺激を受けるモチーフだ。

しかし考える。
この「藤」はどこから来たのか?

少しの想像力があれば答えはすぐに導き出せる。
100%とはいえないが
週末の台風の風で飛ばされたのではないだろうか。
個人商店のお店の上にある名前の一部が
剥がれ飛ばされ行き着いたのでないだろうか。

そうだとするならば
この写真はそのお店の人にとっては
刺激を受けるとか、ワクワクするようなものでは当然なくて
怒りや悲しみを感じさせるような写真となるだろう。
少なくとも、嬉しくもなければ楽しくなるような写真でもないだろう。


表現の二面性とでも言えようか。
今回このようなかたちで切り取った写真表現
私にとってはビックリするような刺激を受けるプラスな作用を及ぼしているわけだが
見る人によっては、不快なマイナスな作用を及ぼす可能性もある。

そういった可能性をはらんでいるものだ。
表現全てがそうだともいえるような気がする。

だからといって、委縮してしまっては
なにも表現できなくなってしまうわけだが
完全に開き直っていいというわけでもないだろう。

要するに、自覚的であるべきだと思う。
表現するにおいて(情報発信も同じく)
どこかの誰かを加害する可能性があることを。

写真を撮った2日後
同じ場所を通ったのだが、藤の字はなくなっていた。
元の場所に無事に戻ることができたのだろうか・・・

FFモンスターと天野喜孝展

2018-09-04 23:18:25 | アート


FINALFANTASYと天野喜孝の世界展

終わってしまいましたが
素晴らし過ぎる原画がたくさん
モンスターの原画なんて
今後見れる機会がないかもしれないです!


ゼムス
FF4ラスボス


オクトマンモス
FF4ボスキャラ


オーディン


魔道士ハイン
FF3ボスキャラ


アスラ
FF4


ケルベロス



ダークナイト



アーリマン


ギルガメッシュ
フィギュアバージョン


モーグリ



貴重過ぎる!!!
ゼムスなんて、鉛筆線がバッチリ見える!
アーリマンの設定画がキュートすぎる!!
いろいろ記憶がよみがえってくるよね。

って、実のところ
FFのゲーム自体よりも
絵と音楽が好きで記憶に残っているんだけどね・・・

家族熱 美村里江

2018-08-12 17:51:34 | 本・映画・テレビ

家族熱
ミムラ 溝端淳平

向田邦子脚本のドラマ
それが二人芝居で舞台化された

ミムラにとっては
芸名が美村理江に変わる前の最後のお芝居
6月のことですが
舞台鑑賞をしてきました。

ミムラのことを知ったのは、今年の3月
テレビのチャンネルを切り替えると
偶然に対談形式の番組に出演していました。

女優さんで、読書家で、物書きでもある。
演じること、言葉を紡ぐこと、表現すること。
どれにも重きを置いている生き方。

とっても惹かれました。

演技ではなく、対談として出ていたので
作り込んでなく、そのままの姿に近かったのでしょうか。
笑顔がとってもステキで
楽しそうにお話ししている姿に一気に釘付けになりました。

俳優さん、女優さんに対して
ほんの一時的に
そういった気持ちになることはあるのですが
今回のことに関しては、持続しています。
出演している映画もレンタルしてきたり
そして、実際の舞台にまで足を運んだ。

今までの私にはない行動です。


雰囲気も、とってもステキなんですよね。
明るいときも
そして、沈んだようなときも。

大河ドラマのような長編ものに出ていることが多い気がします。
役を深くまで作り込むタイプだと自身で言っていましたが
長編ドラマ向きなかんじなのでしょうか?

何はともあれ
いろいろ気になる女優さんです☆

マネーの公理

2018-07-16 22:26:27 | 本・映画・テレビ


お金のことをおおっぴらにするのは
きたないような、欲深いような
あまりいい目で見られないことが多いように思う。


「お金」
生きていく中で、絶対に切り離せないもの
向き合わなければいけないもの
感情を揺り動かさせるもの

義務教育の中で
お金についての勉強をした記憶はありません。
生きていく中で、すごく身近にあるものなのに。
古文とかなんかよりも、よほどに身近だと思います・・・


向き合えばいいんですよね
気になるなら学べばいいんですよね
どっぷりと浸かればいいんです



本書がかかれたのは30年近く前
翻訳されたのも10年近く前
市場の中での儲け方を直接に語る本であれば
化石と言っていいだろう

個別の銘柄や、細かな投機方法を記した本ではない。

心構えを学ぶものであり
人間の感情の動きを説明していき
心理バイアスを理解することであったり
書かれていることは
日常生活に応用可能な部分も多い
長期計画を考えるための
人生指南書としても役に立つだろう

おっと、この本では
投機の長期計画は危険だと説いている。


12の公理から本書は成り立っている。
どれもこれも、自分自身に突き刺さってくる言葉ばかり。
今までの投機経験で
自分が取ってきた間違った(?)行動が
そのままに書き出されている
それだけでも、非常に学ぶところが多く、そして大きい。


リスクについて語っている
何かを得るためには
リスクにさらす必要がある
何も賭けずに得られるものなど
たかが知れている、と語る。

これはお金に限らず
生き方全般において当てはまるだろう

自分との約束

2018-07-12 00:30:55 | 日々を歩む
最近調子が良くない

今月に入って、ずっとではないだろうか
もしかすると、先月からかもしれない

原因に気が付いた
「やるべきことをやれてない」

時間の調節を思い通りにできていない
起床時間・就寝時間も乱れている


やるべきことをやれていない
それは私にとって
自分に課した約束を守れていないことと同義である

一日のやるべきことを列挙する
できなかったことは
次の日にまわされる
またできなければ
さらに先送りになる

自分との約束を守れていない
それがどんどん積み重なっている
そうすれば
目には見えずとも
自分の中に、約束を守れていない負の感情が
少しずつ沈殿していっている
それがたまり、身動きが取れなくなっていく
悪循環のサイクルにはまってしまう


らくじゃない
確かにらくじゃない
でも、らくをすれば
後々で苦しくなる
矛盾したような言い方になっているが
それは事実だ

自分の中で決めたやるべきこと
それは自分を成長させるためのものでもある
もっと成長したい
らくはしていられない

自分との約束
破らずにいこう
そうすれば
もっともっと楽しくなる
もっともっと成長できる

甘えちゃいけない
自分に甘えちゃいけない
他に変わりはいないのだから
自分のことは、自分しかできないのだから

印象に残らないラーメン

2018-06-26 18:31:15 | 日々を歩む
その日は、夕方から仕事が立て込んでいて
食事をとる時間を作れなかった。

終わったのは日付が変わる30分前

仕事の途中で空腹をかんじ
「終わったら、何を食べようか・・・」
という思考で頭が埋め尽くされる瞬間もあった。

「よし、ラーメンだ」
と、心の中で決めた。
鉄のような固い意志でラーメンを食べることを決める。
浮気は許されない。

帰り道の途中
駅前にバイクを停めて、ラーメン屋さんを探し回る。
滅多に来ない駅。
さらに、時間は夜12時を回っている。
ラーメン屋さんを見つけれど
どこもシャッターが降りてしまっている。

鉄のように固い意志に
少しの亀裂が入りはじめる・・・

と・・・
2軒、営業中のお店を発見する。

気分はこってりだ。
とんこつラーメンのお店の方に
迷わず足を進める。

はじめて入るお店だ。
ヘタなことは考えず
お店の名前を冠したイチオシを選択

真夜中でも、元気たっぷりの店員さんが2人
もうちょっと、声のトーンを落としてもいいのでは・・・
と、思ってしまうぐらいに元気のいい声だ。


空腹であれば、基本的になんでもうまい
空腹時に「マズい」とかんじるものは
私の中では救いようのないものだ。

スープから飲んで、少しばかりの味の濃さはかんじたが
まあ、気に留めずに完食した。
奇をてらったかんじもなく
よくあるとんこつラーメンなかんじだった。

店を出て歩きだす。
まあまあ、おなかはいっぱいだ。

「で、どんなラーメンだったっけ?」

ほんの1分前まで食べていたもの
振り返ったら、何も出てこない・・・

「あ、ちょっとしょっぱかったな」
それ以外、驚くほどに印象が残っていない。

刺さるものがないラーメン

それは本当か?
食べる側に問題があったのでは?
私の感じ方がおかしいのでは?

そんな考えまで巡らせてしまったのだが
ここまで印象に残らなかったラーメンは
今まで出会ったことがないかもしれない。

マズいなら、それはそれで残る
うまいなら、もちろん残る
どっちでもない


後に残らないラーメン
これはこれで
作るのが神がかり的なのかもしれない・・・