酸いも甘いも・・・


酸いも甘いも、もっと経験してから、鈍行各駅停車の汽車でゆっくり
行きましょうか・・・

約束・・

2023-08-14 10:18:20 | 日記
息子よ・・
約束したではないの・・
母さんの骨は俺も拾うと・・

だから・・
この老母を置いて先に逝ってはならぬ・・
孫の成長だって見届けてやらねばならぬ・・
まだ58歳の男盛りではないか・・

はっきり目覚めておくれ・・
救命室で体を拘束されている時は過ぎたのだ・・
君を愛する人たちのためにもしっかりと覚醒せよ・・

命をかけて3歳だった君を守り愛してきた
この老母の至上命令を聞け・・耳を大きくして・・

今日は面会に行くよ・・
怪訝そうな顔をしないで、母さん!と呼んでおくれ・・

忘れていないよ・・
母さん! 母さんを連れて北陸の旅に連れて行きたいと言ったことば・・

早く帰ってきて・・実行して!・・
毎日、それだけを祈り続けているよ・・

息子よ・・
天に昇るのは母さんが先なのだよ・・
順番を間違えてはならぬのだよ・・









私の人生・・20代・・その3

2023-08-11 22:13:05 | 日記
取りあえず、様になるお店は手に入りました。
母子二人の住まいにしては贅沢なくらいでした。

兄の親友君が幸いな事に文具の卸と販売をしていましたので、親友の妹のためならと、色々教えてくださいました。

お蔭様でスムースに事は運び開店出来ました。
28歳にして店主とはなりましたが、如何せん素人ですので、今から思いますと、おままごとの延長のようなものでした。

怖い物知らずでした・・
4歳になった息子を保育園に入れて、毎日おままごと仕事でした。
真っ赤なミニスカートにフリルのブラウスなんぞ着て、何を考えていたのやら・・

お店で利益が上がらなくても、余剰金がありますから、ラクチン仕事でした。
過保護な父親は毎日お店の様子を見に来ては、高価なアルバムを何冊も買ったり、ある日は万年筆を買ったりして、売り上げに貢献してくれました。

段々に客数も増えていきましたが、私の予想よりは純利益率が低いので笑うような商いではありませんでした。

さあ・・
ミニスカの女主はどうするのでしょうか・・・

ミニスカはミニスカートのことね・・😃 😀 



私の人生・・20代・・その2

2023-08-10 09:06:39 | 日記
自分のお店を持って、自立して息子と二人で生きる・・・

そうと決心すると、名古屋のマンションを売却して東京へと出てきました。
まず最初に手掛けたのは、店舗付き一戸建て住宅を探しました。

有難いことに資金が豊富でしたので、間違いのない物件に当たりさえすれば
大きなミスは侵さないはずでした。

後は息子がまだ小さいので、親の手も借りたいので親元まで徒歩圏内にある、と云うのも条件でした。

それと一番重要な条件は、集客力のある商店街の中にあるでした。

商売はズブの素人のはずの28歳女は、生まれ変わったようにしっかりとした、強い女になりました。

泣き虫のすぐに親を頼る娘でしたのに・・

そしてほぼ、その条件に見合う物件を購入したのでした。
それから、はて、さて・・何の業種のお商売をしたらと考えるのでした。

若い子供のいるシングルが、悪い男に騙されたり、誘惑されないような業種をとの、親の意向を受けていました。

私が騙される訳はないのに・・
親ってバカな心配をするものですね・・・

そして決めたのが事務用品と文房具のお店でした。




私の人生・・20代のこと・・

2023-08-09 09:11:55 | 日記
昭和40年2月16日、私は初産で男子を儲けました。
当時名古屋市内で結婚生活を営んでおりましたが、両親は東京在住でしたので、初産でもあることだしと、東京の親元で産むことになりました。

出産予定の2か月前には親元に里帰りして、大事な体だからとばかり、オヒイサマのような扱いを受けて、のうのうとお世話になっておりました。

そして、信じられないような可愛らしい男の子のママになれたのでした。
難産で予後が悪かったので、産んだ後も永らく親元でオヒイサマやっていました。

そして2か月が経過すると、両親はそろそろ名古屋に帰りなさいと促しました。
そんな・・酷い事言わないで・・と母親に言いましたら、少しは旦那様のことを考えなさい・・貴女はもう○○さんの妻なのだから・・と険しい顔で言いました。

親との別れが辛くて、飛行機で迎えに来た夫と、泣き泣き名古屋へと赤ちゃんと3人で帰ったのでした。

それから僅か3年後にその夫と死別して、息子と二人で東京に舞い戻ることになるなんて、神も仏も知る由もなかったでしょう・・

普通科の高校卒・・特技何もナシ・人より少しだけ歌が上手・誰とでもすぐに仲良しになれる・ほんの少し可愛い・・
たったそれだけの、28歳の女が、幼児を抱えて生きていかなければならなくなった現実を戸惑うだけでした。

幸い、息子が二十歳になるくらいまでの年数は、保険金やらなにやらで、賄えるほどのお金が入ってきました。

ですから経済的な心配はさほどなかったのですが、遊んで暮らすのも嫌でしたので、ある資金を元手に、何かお店を開いて働こう!と28歳女は一大決心をしたのでした・・

さて、私と息子の第二の人生が開始したのでした・・