みんなの僧

24で僧侶になり54で住職になるまで夢や悩みを聞き続けて30年。

天下分け目の戦い

2010-11-06 21:49:05 | 日記
生まれて初めて、関ヶ原の古戦場に向かった。

特別養護老人ホームで母親がお世話になっているので、昼間会いに行った。ひ孫の話しと 気晴らしに今度どこに行こうか?みたいな話しをして ホームを出たのが 午後三時。

ふと、関ヶ原に足が向いた。足って言っても、田舎で足は車のこと。

休日何処でも千円の制度にあやかって アクセル踏んで 六時には 関ヶ原到着。
辺りは真っ暗だし、初めてのところなので 適当に路地へ突入。細い道を少し走ると ぱっと視界が!
目に飛び込んだのは 石田三成 陣地 おぁーつ!
イキナリじゃん! 西軍 総大将の陣地。


感激に浸ってると、暗がりから 老人がひとり こっちに向かってくる。

地元の人だったら、生の感覚で 世紀の大合戦の話しを聞けるかも と声をかける。

歴史は好きじゃから お教えしましょう と 実地解説が始まった。当たり!

小早川がうんたら、大谷何某が、家康の最初の陣が、三成が敗走して云々 などなど 歴史書で読んだとおり、テレビの関ヶ原特集番組のように 話してくれた。まるで合戦があった時代からやってきたかのように…

「ありがとうございました」「また来てください。今度はお昼間に」 と挨拶を交わして老人の姿は暗闇に消えて行った。とても親切なご老人だった。

ふと思った。本当に時代をタイムスリッフして 話しに来てくれたんじゃないか?もしそうなら、東軍?いや小早川を悪く言ってたから西軍やな‥ そんな事を思いながら 足を進めると 円に十字の 島津の旗印がっ!がっ!

徳川家康の大軍に ど真ん中 敵中突破をはかり 大成功させた 猛将でしょ!

その猛将は島津義弘と島津豊久 彼等が いきおおせたお陰で 薩摩と島津家は存続し、結果 西郷隆盛や大久保利道につながり、明治を開化させたわけだ。


戦で勝つのはだいじだが生き延びるのも 同等に大切と言う事ですね。

徳川家康公の勝利で二百年の太平が日本におとずれ、島津義弘公が生き延びた事が世界に名を連ねる列強・日本へとつながった。

戦を経て 平和と発展が訪れる。つまり多くの血が流れ、幾万の死があった。その上に平和と繁栄はある。

南無阿弥陀仏。



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