みんなの僧

24で僧侶になり54で住職になるまで夢や悩みを聞き続けて30年。

「袈裟」と「布施」

2011-11-08 16:38:35 | 日記
東京、旧山手通りにある何時ものレストランに地場移動。

被災地支援のエンタテイメント企画打ち合わせをして、今し方はレコード会社プロデューサーと新人仕込みについてミーティングした。
夜はロックフェラー財団のロックフェラー夫妻が被災地支援の為、来日している。記念レセプションに顔出ししてくる。

英語は喋れんけど、何とか意思伝達だけは してこよう。

昨日の午前中、借りてきたのに見そびれていた「結婚できない男」を観た。
阿部ちゃんが演じる主役は 偏屈で頑なでオタクでへそ曲がりかつアマノジャクなところが可笑しくて、大好きなテレビドラマ。

ある種、男らしさとは対局にある男の馬鹿げた真実を描いていて、コミカルなのにシニカルな脚本仕立てでなかなか面白い。

ジャック・ニコルソンの「恋愛小説家」がルーツの焼き直しドラマだと思うが、阿部ちゃんの演技は怪優ニコルソンにも引けをとらぬ怪演技であった。

充分「笑い」を充電した所で 午後からは臨時檀家総代会。

総代会を終え、京都に向かう。

京都では井筒法衣店で五条袈裟をチェックする。

来週16日に本山で行われる 宗祖大遠忌法要に内陣出勤するので、指定着用の五条袈裟を確認する。

大遠忌法要指定の五条袈裟は素晴らしい。

コバルトなブルーとも言えるしスカイブルーとも言える鮮やかなブルーベースに金と銀の宗門紋章をあしらった絢爛豪華なものである。

目の前にある五条袈裟が素晴らしければ素晴らしいほど 逆に袈裟の原点やルーツの事を思い出す。

「袈裟」は「布施」という言葉のルーツでもある。

衣・食足りて礼節を知るとあるが、お釈迦さんや弟子達において食は托鉢でまかない、衣は施しによるものだった。

托鉢の鉢と 身を覆う一枚の布だけが僧に許された財産であった。

「布」と言っても 寄進された布切れを継ぎ接ぎしたパッチワーク布である。

その継ぎ接ぎ布を何年間も擦り切れるまで着るわけだ。だから、インドの土埃が布の色になる。その色は黄色に近いカーキ色。

信者や民衆から大事な「布」を「寄進」して頂くことによって 続けられる仏道修行。「布を施して頂く」ことが「お布施」のルーツとなったのだ。
今や絢爛豪華に変化を遂げた「袈裟」であるが、縫製方は原点の法衣のごとく、パッチワークのように縫い上げられているのだ。

昔や、大昔はあえてエコとか再生可能とかサステナブルとか言わなくでも、持続的で、再生は当たり前で、節約は基本だった。

しかし、今や民衆は神や仏より拝むは「金銭」となった。

金銭の亡者が いくらサステナブル・エコとのたもうても やはり空々しい。

空々しいが「金銭」の魔力によらない社会は 今や無い。

つらつらと徒然に そんな事を思ってしまう。五条袈裟拝見であった。


※参考
http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/kesa.html



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