わんわんず

日々のあれこれ、感じたこと考えたこと

いっそのこと水道屋に徹しては?

2012-01-30 | デジタル・インターネット
 ドコモの通信障害が通信需要の予測誤りということになっている。自分のところでスマートフォンを売っておきながら、通信需要が判りませんでしたというのも間が抜けている。iモードの時にも同じことをやっているから、ある意味、伝統なのかもしれない。大きな会社だから、投資可能な予算の範囲でしか通信需要が伸びないという、本末転倒なことをやったのかもしれない。
 ドコモの不手際は置いといて、実際問題、通信回線を占有しているのは一部のヘビーユーザーに限られているらしい。ネットワークの構成にも問題があるのかもしれないが、契約期間ないならどれだけパケットを流しても一定額というモデルが破綻している気がする。
 例えてみれば、水道料金を平均的な家庭の使用量に基づいた金額で一律に設定しているようなものだ。一部のプールつきの家庭も同じ水道料金を払っているだけなのに、「金を払っているからいくら使っても非難される言われはない」と嘯くようなものだ。
 アメリカの携帯キャリアでは従量制に戻したところもあるようだし、定額制には、ある程度の上限があっていいだろう。
 ついでにキャリアはコンテンツから手を引いて、水道屋に徹してはどうだろうか。

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なし崩しの脱原発

2012-01-27 | 日記・エッセイ・コラム
 枝野経済産業大臣が今年の夏に原発を全停止することを前提とした対策を立てるそうだ。
 昨年夏に原発の営業運転をやめさせた時点で判っていたことを、何を今さらという感じだ。こうやって、なし崩しの脱原発が進むのだろうか。

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あなたは自分の身を切れますか?

2012-01-25 | 国際・政治
 増税論議を目にしてか、政治家に身を切る努力を求める論調が多い。具体的には定数削減や歳費のカットだ。確かに、他人に負担なり不利益なりを求めるのであれば、自ら率先すべきというのは正論なので、反対しづらい。しかし、本当に自分の身を切るようなことを政治家に限らず、求めることは妥当なんだろうか。
 日本が高齢化社会を迎えるというのは、今から20年以上前から判っていたことだ。将来の年金制度が維持困難になるというのは、昨日今日に始まった話ではない。あるいは、行革による政府の支出削減というのも昔からある議論だ。いずれも、国民に負担を求めることになるのだが、そのたびに既得権者が反対したり、「無駄な歳出を削れば金はある」といった議論に変わってしまい、本質的には何も変わってこなかった。
 いまや、予算の半分以上が国債という名の将来世代の負担で賄われている。増税と歳出削減の両方を行わなければ、今の子ども世代は使ってもいない金を返す羽目になってしまう。増税は困るし、歳出削減で受益が少なくなるのも困るが、子どもに借金を残すのはもっと忍びない。
 政治家が身を切るのが先だといって自らを守るのは卑怯な議論だろう。財政を再建するというより、子どもに借金を残さないことを目的にして、公務員の給料削減やさまざまな事業費の削減を政治家にやらせたほうが効率的だと思う。そして、それでも自らの既得権を手放さない政治家というのが、いかに卑賤な職業なのかを世間の常識にするのがいいと思う。
 民主制の政治家というから立派に聞こえるが、基本的には支配者が自分の既得権を自主的に手放した事例は歴史上皆無だ。政治家に自分の身を切れというのは、百年河清を待つに等しいことだと思って、さっさと必要なことを実行してもらったほうがいい。
 繰り返すが、子どもに借金だけを背負わせるのは親としてあまりに情けない。

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今年の雪出勤

2012-01-24 | 日記・エッセイ・コラム
 今朝は積雪2センチだった。先日の初雪はすぐに溶けてしまったけど、今日の雪は夕方まで残るかな。
 子どもが小さい雪ダルマを作れると嬉しい(豪雪地域の人に悪いけど)。

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ネットでの議論における検閲の必要性

2012-01-23 | デジタル・インターネット
 新潮社のウェブマガジンのフォーサイトに東京電力の値上げに関するトピックが立っている。閲覧・投稿は会員限定なので、いわゆる匿名掲示板みたいに荒れることはない。
 しかし、東京電力の値上げに合理性があるかどうかという議論の合間に、感情論が混じる。
 原発で儲けていたから全財産を出すのが当然と言われても、原発で利益を上げていたのは東京電力だけでなく、いわゆる原子炉メーカーや建設会社も直接利益を上げていたはずだ。今なら東京電力をいくらでも叩けるからというのは、議論ではない。
 一定の合意をもたらす議論であれば、議論が発散しそうになったり、雑談に流れそうになれば、議長や司会が話を戻す。直接会話なら「話を戻しましょう」と言うだけで済むが、ネットでの議論だと脱線した経過も残っているので、読んでいてうんざりする。
 そこで、ネットでの議論では、対談の編集者のように、議論をコントロールする方がいいように思う。そのコントロールは無用な記事が投稿されて閲覧可能になる前に実行されるだろうから、実態として検閲になるだろう。しかし、何らコントロールなく議論を続けても結論にたどり着く見通しがないなら、そして、その議論が雑談でないなら、検閲は必要だ。
 さて、自分の東京電力の値上げに対する意見だが、東京電力に会社更生法を適用して、原発事故の賠償は値上げでまかなうべきと思っている。
 東京電力のケジメは不十分だが、東京電力管内に住む者として、東京電力管外の人に負担を求めるのは申し訳ないからだ。

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