わんわんず

日々のあれこれ、感じたこと考えたこと

雨のイリュージョンストレート

2007-09-30 | スポーツ

 今週末は富士スピードウェイでF1日本グランプリが行われた。
 予選からウェットコンディションで、これならホンダやトヨタも上位進出を狙えるかと思ったが、決勝は雨が強すぎてセーフティカースタートになってしまった。まあ、結果は順当になってしまった。
 富士スピードウェイと言えば1.5キロにもなる直線が名物だ。F1カレンダーでも屈指の最高速が出るサーキットだったので第1コーナーへの飛込みが見られると思ったのだが、残念だった。
 ぜひ、次回はドライコンディションで最終コーナーから立ち上がってくるマシンを第1コーナーで待ち受けるようなカメラアングルを期待したい。

 ところで、トルネードバンクはないのか?

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余計なことはしないようにお願いしたい

2007-09-29 | デジタル・インターネット

 ブログ人のメンテナンスが終了したあとに、ログインしたら、画面が変な感じなっている。薄いブルーと濃い青というアクセシビリティに対する挑戦のようなホーム画面だ。視覚障害はないので画面にセンスがないなぁと思う程度で済んでいるけど、デザイナーは見易さの検討はしなかったのだろうか。それから、アクセス解析画面でマウスフォーカスで文字がチラチラするのは、一種の嫌がらせだろうか。想像するに、ノートパソコンの比較的小さな画面でどう見えるかを検討していないのだろう。

 そんなことよりも、Googleウェブマスターツールが使えなくなったことのほうが影響が大きい。以前の改修でも、しばらくGoogleボットがクロールできないことがあった。こちらを早く解消して欲しい。

 たくさんの矛盾する要望が寄せられているのだと思うが、不都合がないのに無意味と思える改修を実施して、変なことになるくらいなら、余計なことはしないようにお願いしたい。

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格差拡大の真因を探れ

2007-09-28 | 日記・エッセイ・コラム

 国税庁の発表で、同じ企業に勤める人で年収が200万円以下の人が1000万人を超えたという記事が読売、朝日、毎日、日経の各紙に出ていた。
 さすがに200万円以下の給料だけで生活できるはずがないので、どこかに理由があるはずだ。年金をもらうようになったので、支給制限にならないように働きを制限する人とか、学生への仕送りが減っているとか、そもそも全体の給料が下がっているので家計補助のためにパートが増えたとか、いろんな原因が複合しているに違いない。

 平均給与が下がっているのも、2007年問題が言われたように、比較的高給をもらっていた団塊の世代が退職し、代わりに比較的薄給の若い人が採用されているのが原因なのかもしれない。

 企業がパートや派遣を増やした(正社員を削った)から給与の格差が広がったというのは解りやすい話かもしれないが、世の中はそれほど単純なものではないだろう。そういう統計があるか知らないが、世代別とか、世帯別の収入の統計とか、そういうものを合わせて分析する必要があると思う。

 まさに、そういう分析を行って世論に問いかけるのが報道とか研究だと思うので、そういう真因を探る活動を、誰かに期待するところです。

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弁護士の常識と世間の常識

2007-09-27 | 日記・エッセイ・コラム

 山口県光市の母子殺害事件の「ドラえもんが何とかしてくれると思った」で急に有名になった弁護士が、テレビで懲戒請求を呼びかけた別の弁護士を相手に損害賠償を求める裁判が今日(9月27日)から始まった。
 刑事被告の弁護人は、どんなことをしても、どんな手段を使っても無罪を勝ち取るのがステータスなんだろうから、その意味で、どんな主張を法廷でしても許されると思っているのだろう。DDoSを仕掛けることを呼びかけた弁護士も問題なしとはしないが、世間の常識とまったく違う主張をする弁護士は人間として信用できない。懲戒請求を受けて当然だと思っている。

 ところで、話題になった「ドラえもんが何とかしてくれると思った」と「死体とセックスすれば生き返ると思った」発言だが、一応、検討してみよう(ものすごく嫌だが)。

 まず、両方の発言が真実だとすると、弁護人は被告人がそういう発言に至った過程を論理的に証明すべきだ。例えば、被告人の生い立ちで都合が悪くなるといつもドラえもん(もちろん、具体的には保護者など)が助けてくれていた事実とか、死者とセックスすると人が生き返るという思考を持つに至った宗教的?背景を明らかにして初めて意味がある弁護となるだろう。それでも生後11ヶ月の乳児を殺害する理由になると思えないが。
 もちろん、プライバシーに関わることなので、被告人の過去にこういうことがありましたと全部を公開する必要はない(裁判の過程で公開されるが)。

 一方、発言が被告人自身の言葉ではなく、事件と裁判の進行を撹乱して何としても無罪とする(精神異常であることを前面に押し出す常套手段)ために創作したなら、被告人の弁護士は人を2人殺したことを罪と評価しないということであり到底許すことはできない。が、それよりも、真実に基づいた弁護をしないということであり、弁護士として許されることではない。

 いずれにしても、損害賠償請求の裁判を起こす暇があったら、一・二審で真実を明らかにせず、漫然とした弁護で被告人が死刑になることを看過したという理由で当時の弁護士に対する懲戒を強く求めるべきだ。

 しかし、体のいい売名行為で裁判を色物にされてしまった遺族のことを考えると、本当に何度苦しめられたらいいのかという思いが湧いてくる。被告人の弁護士(弁護団)の常識は、わんわんずが信じている世間の常識(罪には罰を)とは全く違っているのだろう。

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記者会見と著作権

2007-09-26 | 日記・エッセイ・コラム

 テレビ番組の一部をYouTubeなどの動画サイトに勝手に投稿することは著作権を侵害していることになるケースがほとんどだ。

 そこで思ったのが、先日の安倍前総理大臣が病院で行った記者会見のように、公人が公人として記者会見したときの映像の著作権はどうなるだろうということだ。中継していたNHKの映像をそのまま動画サイトにアップすると違法になるだろうと思うのだが、ああいう記者会見の場所にはマスコミ関係者以外が入り込むことは不可能なので著作権フリーの映像は手に入らないことになる。

 結局、ほとんどの場合は報道が編集した画をテレビで見ることになる。テレビは面白いところしか映さないので、記者会見の様子を一般の人が知ることはできない。(発表する側だけではなくて、誰がどんな質問をしてどういう答えを引き出しているのかが判ると、報道の姿勢が判っていいかもしれない)

 その意味で、政治家の記者会見は無編集で著作権を気にせずに見ることができる手段をできるだけ提供することが大事になると思う。もちろん、報道による編集が入ることでわかりやすくなったり、冗長さが減っていいこともあると思うので、報道の意義を否定することにはならないだろう。

 手始めに政府広報や定例記者会見は全て政府のホームページに一定期間動画を公開するということを決めてはどうだろうか。そうすると、著作権の問題をクリアすることができると思うのだが。都道府県や少なくとも農水省はやっているので、法的には不可能ではないのだと思う。

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