通勤中は本を読んでいるかポッドキャストを聞いているのだが、たまたま聞くものがなくなったので、電車の中で試しにワンセグで録画した番組の音声を聞いてみた。基本的にドキュメンタリーやニュース、科学情報番組くらいしか録画していないのだけど、実は音声だけでも内容を理解できることがわかった。
何らかの動作を表現するようなものは別として、必ずしも動画でないと表現できないものではないようだ。ドラマは音声だけ聞いても意味不明になるだろうが、ドラマは見ないので特段問題ない。
音声だけ聞いていれば内容を理解できるように作ってくれている制作者には感謝すべきだと思うが、画像なしで成立するテレビ番組って、ラジオだけで十分なわけで、本当は無駄なのかもしれない。
今日の朝日新聞で
「ネット全履歴もとに広告」総務省容認 課題は流出対策
という記事を見つけた。記事によると、プロバイダが広告を配信するにあたり、これまでのサイトや検索履歴を利用することが認められるそうだ。検索サイトは暗号化されていないので、プロバイダが個々の契約先でどのような検索を実施し、どのサイトに接続要求を出したのかを知ることは難しくない。ブラウザのプライベートモードは単にコンピュータに履歴を残さないモードでしかないので、プロバイダで記録を残す方法に対応することはできない。
この話を手紙にたとえると、手紙の宛先と中身を配達する業者に見せて、ダイレクトメールを送ることを許すようなものだ。どのくらい広告モデルを採用することで通信費が安くなるのか判らないが、プライバシーを切り売りするほどのことはないだろう。例えば、ガン検診で再検査を受けることになったので驚いてネットで調べると健康食品の売込みが頻繁に来るようになったりするわけだ。
検索履歴やサイトの閲覧履歴をプロバイダが保有することになったら、契約者のプライバシーは守られなくなる。
2週間の研修に行って、講義やグループ討論により業務の知識を得ることになっているが、一番の収穫は本を読む時間を取ることができたことだ。普段は通勤電車の中で細切れに読んでいるのが、合宿形式なので比較的自分の時間を取ることができ、机に座って本を読むことができた。
昔から教育の成果とは、「すべて忘れ去ってなお残るもの」と言うように、実務のことはともかく、例えば職場でのリーダーシップなんていうものは研修したからできるものではない。すぐに何かになるよりも、心構えが大事なのだろう。
最近、疲れが取れないと思う日が多くなった。いい加減40才にもなれば衰えるところがあっても仕方ないだろう。生来、人と比べて体力があるほうじゃないから、疲れを感じたらできるだけ体を休めるようにしていた。それでもダメなときが多くなったと思う。
疲れを取るために横になるだけじゃなくて、マッサージとか食事とか、何か考えないといけない年齢になったということかな。