わんわんず

日々のあれこれ、感じたこと考えたこと

セキュリティ

2005-03-25 | 日記・エッセイ・コラム
 今働いている職場でも個人情報保護法の関係か、単にPCのセキュリティの問題なのか、アクセス制限がかかるようになった。今までも制限はかかっていたのだが、穴がたくさんあったので何とかなっていた。
 今回はブログも見れなくなって、気に入っている人のブログを見ることはもとより、自分のブログのアップデートも出来なくなってしまった。仕事中だからといっても、昼休みくらいは息抜きを兼ねて同業の人が作っているブログを見たりするくらいは認めてくれてもいいだろうに・・・。

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花粉

2005-03-08 | 日記・エッセイ・コラム
 今日は薬を飲んでいるのに鼻水が止まらない。花粉症のせいだ。天気が良くて暖かくなるのは助かるけど、花粉だけは何とかならないだろうか。去年は薬を飲んで症状がほとんど出なかった(少し目やにが出るくらいだった)のに・・・。久しぶりにマスクを使った。次に病院にいくときまではマスクとゴーグルを使って防衛しないといけないかも。ちょっとだけ憂鬱。

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フェアということでは・・・

2005-03-02 | 社会・経済
 ライブドアによるニッポン放送株のニュースがなかなか終息しない。もともとフジテレビがニッポン放送を子会社にするためにTOBを実施していて、期限が(延長されて)3月7日までになっているし、ライブドアの仮処分申請の結論が出るのが3月10日くらいになりそうだという事も原因だろう。
 株を買ったこともなければ経営者でもないし、ニュースで見るくらいしか情報を持っていないけど、今となってはどっちもどっちだろうと見えてしまう。
 それでタイトルになるわけだが、法律をどう見るかということになる気がする。法律で禁止されていること以外はやっても構わないというのは、どうも気に入らない(つまり、ライブドアの当初のやり方は気に入らないということ)。
 違法と不当には違いがあるはずだし、特に商取引上の慣行を無視するようなやり方は長い目で見ていいやり方とは思えない。たとえば、サッカーで選手が倒れているときに審判の指示の前にボールを外に出したり、そのボールを相手に返すという行為はルールブックに書いてあるわけではないと思う。
 会社経営では時に不文律を犯すとか、誰も気づいていないことをやることで勝ちを収めることが必要なのかもしれないけど、そういう手段をとるなら、勝ってから口を開くべきじゃなかったのかなと思う。
 ところで、ライブドアという会社は、やり方と結果はともかく、プロ野球の球団を買うことができるとか、放送局も買うことができるということを明らかにしたということで評価されるべきだとは思う。

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H-2Aロケット打上げ

2005-03-01 | 宇宙開発
 すでに旧聞に属するような扱いになっているけど、日本のロケット打上げが成功した。弾道ミサイルの技術を持たない日本が独自に開発したロケットが成功したのだからとてもいいことだと思う。失敗すると何億円が無駄になったというが、ロケットというのは大量生産ではなく一つ一つが試行錯誤の手作りに近いことを、どのくらいの人が分かっているのだろうか。
 身近にある工業製品があまりに短寿命で、次々と新製品が出ているせいかもしれないが、ひとつの技術を実際にモノにするには年単位の努力が必要ということを分かってほしい。設計図があれば工業製品は作れるようなものではない。実際の加工技術やコツといったものは人が身につけるしかないし、ありていに言うと失敗する中で初めて分かることもある。
 失敗しないに越したことはないが、失敗することを予測して、失敗したらどう対応するかを十分に考えておくことも必要なことだということをもっと広い範囲の人に理解してほしいものだ。

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叔父の死

2005-03-01 | 日記・エッセイ・コラム
 先週叔父が亡くなったというメールが父から届いた。それほど近しい関係ではなく、ここ6,7年は会ってなかったけど、葬式のために実家に帰ることにした。付き合いがなかったから仕方ないけど、ここ1年くらいは体調を崩して入退院を繰り返していたらしい。叔父は数年前に離婚して一人で住んでいたので、誰にも見取られることなく亡くなったところを発見されたということだった。
 祖母は入院していて主治医から叔父がなくなったことを伝えるのは止めたほうがいいと言われたらしく、葬儀にも来ていなかった。これからどういうタイミングで伝えるのか、そんなことも喪主になっていた叔父も悩んでいた。
 人の死をきっかけにして初めて会う親戚もいた。葬式の場で「初めまして」というのも変な感じだった。ひとつの繋がりがなくなって、また別の繋がりが出来て、人生不思議なものだ。

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