ワカキコースケのブログ(仮)

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6月6日イベント上映、貴重作品の見どころ

2013-06-06 07:19:26 | 日記


また告知をさせてもらいます。
ひとりでも多くのお客様に来て頂くための、最後の悪あがき。

本日6日、19時より、渋谷アップリンクで。お待ちしております!
http://www.uplink.co.jp/event/2013/11680


フェイスブックには、以下のようなことを書いた。
「おかげさまで、イベント2DAYSの初日は、「あいてる席以外は超満員」(©笑福亭鶴光)でございました!
2日目はさらに貴重な映像を上映します。昭和40年代の、原発が建設される様子をたっぷり記録したPR映画。
貴重というのをミもフタもなく言うと、今回を見逃しますと、ほぼご縁がなくなるということです!
しかも、ゲストの清水浩之さんも一部では知る人ぞ知る、昭和の短編映画研究のマスターですが、人前に出てお話する機会はとてもレア。
しかもしかも、清水さん作成の、戦後の原発関係の映像を完全網羅したリストを配布します。明日しか手に入らない、異常な情熱の資料を、欲しくない人にもお渡しします。欲しいという方にも、明日しかお渡しできない超・限定配布なのです!」


ガツガツした物言いで恐縮だが、実際、ご損はありません。言い切れるほど、貴重な上映なのだ。
見どころをぜひ書いておきたい。素材確保がギリギリになったこともあるが、もっと早くに書いておくべきだったと後悔しつつ。


6月6日上映作品(1)
 『陸の孤島を拓く 敦賀発電所建設の記録』

 1968 日映新社(PR映画) 監督:松川八洲雄


まずもって、題名通りの内容。敦賀原発がどのように出来たのか、原子炉はどんな風に設置されたのか、ひとつひとつ全部ようすがわかる。それだけでも、とんでもなく貴重。 しかし、戦後の技術立国の旗印のもと、新しいものはなんでもよい風潮(だったのだ。ホントに)の時代に、松川という映像作家は、微かに、しかし確かな違和感と疑問を抱いている。この点については清水氏がneoneo2号で端的に解説しているし、上映後のトークでももっと聞いてみるつもり。要するに、「原子力の平和利用」という「夢」を真には受けていない。

ゆえの、二層構造的な作りによって、汲めども尽きぬ魅力がある映画になっている。

・「陸の孤島」だった寒村が原発招致によって豊かになる明るい展望/伝統的な暮らしが根こそぎ変わる不安
・巨大原子炉や建屋が着々と築かれていく勇壮なダイナミズム/秋の漁、春の田植えの歳時記的四季
・アメリカから滞在してがんばってくれた技師/青森から出稼ぎに来てがんばってくれた労働者
・着々と新エネルギーを実現させる最新鉄鋼技術への感嘆/村の産屋に代表される、前近代文化への謙虚さ

あらゆる要素が対であり、しかし直接的にぶつけるのではなく、独特の散文的な構成のなかで、バラけるように編集している。見る人の読み方次第で、いろいろ掘り下げられる作り。

目線の付け方次第で、見る人の心はどうにでも動かせる。卑劣な殺人犯も、警察に追われて必死に逃げる姿をうまく描けば、観客は自然と肩入れしてしまうのだ―。そんな映画の悪魔性を戦前にさっさと具体化させたのはイギリスの若き天才アルフレッド・ヒッチコックや、『M』のフリッツ・ラングだが、松川はおそらく、そのアンビヴァレンツをかなり敏感に意識していた。見る人の意識が「ブレる」作りにすることで、時代が変れば意味合いが変る映画にしている。今、その遠望深慮をたしかめると、こんなに刺激的な映画はなかなか無い。

もっと具体的に内容を、松川の演出術を知りたい方、それはもう、ぜひお越しください!(地方に住んでおられる方、今回はご勘弁を……) 将来、「2013年のneoneoの上映会で再評価の声が高まり……」と記録されることになってもおかしくない映画だし、ぜひそうしたい! ぐらいの勢いでお届けします。



6月6日上映作品(2)
『原発のまちに生まれて ~誘致50年 福井の苦悩』

   2012 福井テレビ(テレビ番組) 演出:宮川裕之


『陸の孤島を拓く』のフッテージを効果的に使った、去年制作のテレビ・ドキュメンタリー。上映はこちらを先にする予定。
実際に敦賀原発が稼働し、寒村の暮らしが根底から変わり、そして東日本大震災が起きて原発が停止した。町の人はどんな思いでいるのか。

誰かが悪いと決めつけていないのが、いい。なにが最善だったのか、自問自答している作りなのが誠実。「現代の城下町」で生まれ育った地元ローカル局のディレクターならではの、地に足のついた心境報告。そうそう、こういう視点のが見たかった! と僕は膝を打った。『陸の孤島を開く』と好対照の、簡単な答えは無いのだと腰を据えている、作り手のまっすぐな「ブレ」をぜひ。




初日に来てくれたお客様に、「こういう社会派のイベントは貴重ですね」と声をかけて頂いた。
笑顔で頭を下げながら、(うーん。社会派ととられやすいのは分かるけど、そればっかりでも無いんです……。)と、やや抵抗があった。

カンタンに言うと、原発はもう社会問題なんて括りにカテゴライズされるものではない。これからは、すっかり「ふつうに身の回りにあるアブないもの、イヤなもののひとつ」なのだ。否が応でもそう顕在化されていく。これが今回の通底テーマ。

推進派さんたちが今、どんなに力こぶを入れて張り切っても、申し訳ないけど(認めるのはとても怖いと思うので気の毒ではあるけど)いずれ負けるのはアナタたちだ。なぜかといえば、「こわい思い出」として311を知る21世紀の子どもたちはもう、そこには乗らないから。
彼ら“新しい人たち”にとって、原発はもはや、病気や事故のような災厄と同じ文脈。積極的に関わりたいと思わせるものではないのだ。


とはいえ、まだ、原発がテーマのイベントをやれば「社会派」と認識されるのは仕方ない。なんにせよ時間はかかる。

でも今夜上映する2本は、推進派への短兵急な怒りを煽るようなものではない。社会派に興味が無くても、むしろ、そういうのはニガテな人にほど、面白いと思ってもらえるのです。


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